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第11話
しおりを挟むノエルの髪の成長には驚くばかりだ。数日前までつるつるぴかぴかの綺麗な肌が見えていたのに、あれから一週間もしないうちにノエルの髪はまた爽やかな短髪に戻っていた。
「たった数日で元の長さに戻るなんて……絶対普通じゃない」
やっぱり何かがおかしい。人の髪はあんな風に簡単に伸びるものではないはずだ。
「確かに、ノエルはその……ちょっとえっちかもしれないけど……」
いつもの激しい行為を思い出し、そっと恥じ入る。えっちな人が髪の成長が早いのならば、ノエルの髪の成長が早いのも頷ける。
付き合い始める前まではそんなことは思ってもいなかった。だが改めて考えてみれば、ノエルの行為は確かに愛情深くて、激しくて、ねっとりと執拗だ。
あれが髪の成長スピードの極意なのかと考えて、こっそりと照れる。そして自分がそのねちっこい行為に溺れていることに、気付いてしまう。しかしその割にマリーの髪の成長は以前と変わらない気がする……と思ったところで。
「マリー」
後ろから声を掛けられた。
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはクリスが立っていた。店先の掃き掃除をしていたマリーは、竹箒を動かす手を止めてクリスを迎え入れる。
「こんにちは、クリス。今日もお仕事……」
「ねえ、マリー? なんでノエルの髪、もう生えてるわけ?」
マリーの挨拶は、いつになく不機嫌なクリスの声に遮られた。
陽射しが強い暑い時期だから不機嫌なのかと思ったが、どうやら違うらしい。クリスの不機嫌な声は、明らかにマリーへ向けられたものだった。
「綺麗にハゲたから、絶対成功したと思ったのに。また生えたら意味ないじゃん」
「……クリス?」
いつも気さくで明るいはずのクリスに不機嫌な言葉を投げつけられ、マリーは目が点になった。
手にしている箒の柄をぎゅ、と握りしめる。クリスの瞳に宿った光が見たこともないほど冷たく感じてしまい、思わず息を飲む。
「……もうすぐ魔法府内で、昇進試験があるんだ」
マリーの怯えを感じ取ったのか、クリスがぽつりと呟いた。
魔法府と呼ばれる魔法管理と研究の最高機関は、所属する魔法使いの質を保持・向上するために、年に一度更新と昇進の試験が実施される。更新試験に通れば今までと同じ地位のまま勤務が可能で、昇進試験に通ればさらに高い地位を得ることが出来るのだ。
ノエルは魔法府に勤めて二年目には賢者の地位を、その翌年には大賢者の地位を得るほどに優秀だった。だがクリスは去年の初めにようやく賢者の称号を得たところ。カレッジ時代に次席の成績を修めていたクリスですら、賢者の称号を得るのは容易ではないのだ。
「その更新試験にノエルが落ちて、昇進試験に俺が受かれば、俺が大賢者の地位に就けるのに」
「え……ええ?」
突拍子もないクリスの言葉に、マリーの声は思わずひっくり返ってしまう。
確かに賢者や大賢者になれる人数には限りがある。特別な存在が多数存在するとその付加価値は下がってしまうので、特殊で希少な存在には枠と制限が設けられているのだ。
しかし高い地位と称号を得るために重要なのは、あくまで個人の実力である。もちろん他者と関わる社会性や他人を思いやる人間性、人の上に立つカリスマ性に加え、仕事に対して真摯に取り組める責任感も重要だろう。
大賢者と呼ばれる優れた魔法使いに選ばれるのは、その全てを兼ね備えた者だけだ。体裁を綺麗に取り繕ったところで、張りぼての実力はすぐに見抜かれてしまう。他人を下げて自分の価値を上げようという心構えでは、大賢者の地位になど到底辿り着けると思えない。
「えっと……ノエルの試験の結果が悪くても、クリスが大賢者様になれるとは限らないんじゃ……?」
「なれるさ。あいつさえいなければ」
だがクリスはそう思っていないらしい。ノエルさえいなければ、自分が大賢者の地位に登り詰められてると信じているようだ。
「マリーがもう少しまともな薬を作れるような魔法使いだったら良かったのに」
そこまで言われて、はっと気が付く。
どうしてクリスの機嫌が悪いのか。どうしてそんなことをマリーに宣言してくるのか。なぜ怒りの矛先をマリーに向けるのか。
「え……もしかしてクリス、私の作ってた育毛薬に、何かした……?」
「……は? 今さら気付いたの?」
マリーがおそるおそる訊ねると、クリスが逆に驚いたような声を出した。その言葉を聞いて、ようやくクリスの意図を理解する。
「ノエルが蓄積してる魔力を、マリーの薬で無効化するつもりだったのにさぁ」
強大な魔力を扱う『大賢者』の力は『髪』に宿っている。それはこの世界では常識のこと。ノエルもその美しい黒髪に強い魔力を蓄積している。だからマリーも、その髪に宿る力を使って、お店で売るまじないや魔法道具や薬を作っているのだ。
もちろんクリスもその事実を知っている。ノエルの髪に魔力が宿っている事も、マリーとノエルが恋仲である事も、売り物ではない薬がノエルだけのために作られてた事も。
「やっぱり落ちこぼれマリーの貧相な魔法なんかじゃダメかぁ」
そしてマリーの魔法の腕が、さほど優れていない事も。
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