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第8話
しおりを挟む「やっほー! マリー! お店大繁盛だねぇ」
「あ、クリス……お疲れさま」
来訪者がクリスだと気が付くと、マリーは思わず苦笑いを零してほっと息をついてしまった。やって来たのがまた新たなお客だったらどうしようと思っていたのだ。
クリスの言う通り、ここ最近マリーのお店は大盛況だった。
マリーは元々、まじないや魔法の薬を売り細々と生計を立てて静かに暮らしていた。しかしノエルが頻繁にマリーの家にやって来るものだから、二人の関係は街の人々にあっさりと知れ渡ってしまったのだ。
マリーはノエルに迷惑がかかってしまうと焦ったが、街の人はマリーの予想を裏切り、明るい反応を示して祝福してくれた。それに付随するように、今まで理髪店の店主しか知らなかった『マリーのまじないや薬には大賢者の力が使われている』という話が街中に伝わってしまった。
まじないや薬の効果は前とさほど変わっていない。しかし貧相な魔法屋のマリーが大賢者のノエルを射止めたという噂話の威力は絶大で、マリーのまじないや薬がとてもよく効くと言われるようになったのだ。
大好きな祖母から受け継いだ店が繁盛するのは、もちろん嬉しい。だがその分、マリーは大量の薬やまじない作りと慣れない大勢の接客をこなすことになり、ここ最近疲れてへとへとになっていた。
「マリーも大変だね」
「うん、まぁ……って、クリスもなんか疲れてない?」
自分の疲労に気を取られてすっかりと見落としていたが、見ればクリスの表情もどこか疲れている。仕事に関しては力の抜きどころが上手なはずのクリスが、こんなにもわかりやすく疲労しているのは珍しい。
「いやー、最近ノエルの仕事量がすごいんだよね……。やる気ありすぎて毎日フル回転してるもんだから、周りはもう疲労困憊だよ」
「へえ……そうなのね。何かいいことあったのかしら?」
「え、いや……それマリーが言うの?」
「ん?」
クリスにじっと見つめられ、つい首を傾げてしまう。マリーの様子を見たクリスが『浮かれてるんでしょ』と呆れたように呟くので、言葉の意味にようやく気が付く。
恋が実って私生活に潤いを持ったノエルは仕事にも精が出ているらしく、これまでにも増して仕事に真剣に打ち込んでいるようだ。
そういう所は素直で単純で可愛いと思ったが、ため息交じりに文句をいうクリスの様子を見ていると、少しだけ申し訳なくなる。
「マリー、これは……?」
ぶうぶうと文句を言っていたクリスの視線が、作業台の上に留まる。そこにあったのは薬草を煮出して冷ましている途中の、作りかけの霊薬だった。
不思議そうな顔をしたクリスに、マリーは曖昧な苦笑いを浮かべる。
「その薬、売り物じゃないんだ」
「へえ、そうなの? なんの薬?」
「え、えーっと……育毛剤、かな」
「育毛剤? 毛生え薬ってこと?」
クリスの怪訝な顔をみて、マリーは自分の頬を掻いた。
キャロルやリースやベルも、マリーやノエルやクリスと同じカレッジの卒業生なので知り合いではある。だが『えっちな人は髪が伸びるのが早い』だなんて女の子同士の秘密の噂話を、男性であるノエルやクリスに伝える必要は無いだろう。
さらに『ノエルの髪の成長が早い気がする』とも『ノエルがえっちだから、はげないか心配なの』とも恥ずかしくてとても説明できそうにない。
だからマリーは『そうだね』と呟いて言葉を濁した。マリーの説明に、クリスは案外すんなりと頷いてくれる。
「すごいなぁ、マリー。熱心だね」
「ええ? そんなことないよ。まだまだ勉強不足だもん」
にこにこと無邪気に褒められ、マリーはそっと照れた。
無口で不愛想な堅物ノエルと違い、明るく陽気な遊び人クリスは、女性が喜ぶような褒め言葉や相手の心を掴む表情の魅せ方をちゃんと心得ているらしい。クリスがにこにこと褒めてくれると、老若男女を問わずみんな嬉しくなってしまうのだ。
とはいえマリーとしては、ノエルに褒められて頭を撫でられる方が何倍も嬉しいと思ってしまうのだけれど。
そんなことを考えていると、来客用のドアベルがチリリーンと響いた。今度は友人ではなく、本当に来店客らしい。
「お客さんだ。……ごめんね、クリス。ちょっと行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
そう言って立ち上がると、お店のカウンターへ向かう。
急いでその場を離れたマリーは、すっかりと見落としてしまっていた。作業台の上に頬杖をついてマリーを見送ったクリスの表情が、ニコニコと――否、ニヤリと怪しい笑みを浮かべて、歪んでいたことを。
*****
「じゃじゃーん! ノエル、見てみて!」
今日も一緒に夕食を摂ろうと言って、ノエルはマリーの家へやって来ていた。クリスと違い一切の疲労を感じさせないノエルに、本当はちょっぴり疲労を感じていることを隠しながら、自信満々に胸を張る。
「……これは?」
一緒に食事を摂ってシャワーを浴び終えたノエルの前のテーブルに、ガラスの小瓶をコトリと置く。
「育毛剤よ」
「育毛剤……?」
マリーの説明を聞いたノエルが、やや不安そうに表情を歪める。
「このまえ髪の毛引っこ抜いちゃったから、お詫びに作ったの」
「……何か妙な気配がするが……?」
「そう? レシピ通りに作ったけど……まあ、一回使ってみよ! ね?」
もちろん間違ってノエルの髪を抜いてしまったお詫びもある。だがそれだけではない。もし効き目があるようなら、これを作り置きしておいて、ノエルの毛髪に危険を感じたらすぐに使用したいと思っているのだ。
結局答えはわからなかった。
えっちすぎると髪が伸びるのが早いのかどうかも。
髪の成長が早いとそのぶんはげるのも早いのかどうかも。
だから答えのない疑問を巡ることは一旦横に置いて、とりあえず対処法を優先することにした。これはその完成品第一号である。
「……いい香りがする」
「そうでしょ~?」
ノエルの後頭部にぺたぺたと薬の塗りながら返答する。
香りはハーブを用いているので、爽やかな草原のようだ。ミントの葉を入れると爽快感を得られるが、はげを防止する目的の育毛剤を塗って頭がスースーするのは、なんだか目的と逆行している気がする。よって今回はミントは使っていない。
でもノエルが香りを気に入ってくれるならばよかった。それならせっかくだし、頭全体に塗って、ついでに頭皮マッサージとかしたらいいのかも。
と考えたのがいけなかった。
「あれ……? ……抜けた……?」
髪全体に育毛薬を塗っていると、はらりと黒い絹のような毛髪が一本落ちてきた。ほろりと抜けたそれは、薬を塗る際に指が引っかかった所為で抜けてしまったのだと思った。
落ちた一本の髪の毛を拾い上げながら『気を付けなきゃ』と自分自身に注意する。育毛薬を塗っていて髪を失うだなんて本末転倒だ。
しかしマリーの指先が髪の毛に触れた瞬間、黒い絹糸はシュウ……と煙になって崩れるように消えてしまった。
「……え?」
目の錯覚かと思い、瞬きする。
しかし顔を下げていたマリーの視線の端に、もう一本、二本……と黒い髪が落ちてきた。
「あ……また抜け……。……っていうか溶け……え!?」
顔を上げたマリーは、そのあまりの光景に言葉を失ってしまう。シャワーを浴びて髪を洗い、自分の魔法で髪を乾かし、美しく艶々だったノエルの黒髪が――
「か、かか、髪……! かみ、溶けちゃっ……」
「マリー?」
気が付けばすべて抜け落ちてしまっている。落ちた髪は溶けたように煙になって、次々と蒸発している。
なんにも……なんにも無くなっている。
「ノエルが……ノエルが!!」
「ど、どうした?」
「ノエルがつるっぱげになっちゃったああぁ!!」
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