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第2話
しおりを挟む「マリー!」
店の看板を片付けていると、遠くから声を掛けられた。顔を上げると、深い青髪と明るい緑眼の青年がこちらに向かって来ていることに気が付く。
「あ、クリス」
「マリー、今日はもう店仕舞い?」
「うん、そうなの」
ノエルと同じ魔法府に勤めるクリスも、魔法カレッジの同期だ。彼は同期の中ではノエルの次に優秀で、在学中は常に次席の成績を収めるほど優れた魔法使いだ。
クリスはノエルとは異なり性格も明るく見た目も華やかなので、カレッジ生時代も今も女性からの人気が高い。それにマリーのような落ちこぼれ魔法使いにも分け隔てなく接してくれる。
誰にでも気さくな性格のためか軽薄な印象が強いが、友人としては付き合いやすい人である。街の人も皆、魔法府に勤めていても気取らない調子のクリスには、気さくに接している。そしてそれはマリーも同じだ。
「クリスも仕事終わり?」
「そそ。今日は川の水質調査日だったんだ。サンプルの採取が終わったから、今日の仕事はおしまーい」
「いつも大変ね」
「そんなことないよ。調査対象の採取日は仕事終わるの早いから、すごい楽なんだ」
クリスのおどけた様子にマリーもくすくすと笑みを返す。
ノエルは仕事の時間が終わっても自分の研究に没頭するような人だが、クリスは仕事はあくまで仕事であり、プライベートの時間はしっかりと確保するような人だ。
「仕事が終わったなら、一緒に食事でもどう?」
「今から?」
「うん。宿舎の食堂で一人でさみしくご飯食べるのは勘弁だもん。たまにはマリーとご飯に行きたいじゃん?」
「あはは、そうなの?」
クリスの冗談に笑みを零すと、彼もはにかんで笑ってくれる。しかしクリスの提案は嬉しいが、その誘いには乗れそうにない。
「でも私、今日はもう夕食の準備が済んでるの。お店が暇だったから、その間にシチューを煮込んじゃった」
「お、じゃあ今日の夕食はマリーのシチューだな」
夕食を準備してしまったのでクリスの誘いには乗れない、と断るつもりだった。だがクリスはマリーと一緒にレストランに行くのではなく、ここでマリーの作ったご飯を食べたい、と言い始めた。
「いいわよ。じゃあ温め直すから、少しだけ待ってくれる?」
その誘いであれば、応じることが出来る。
クリスと夕食を共にすることを決めると、店の看板と来客用のドアベルを店内に戻しながら頷いた。作業用のエプロンから調理用のエプロンに着替え直すと、すぐにかまどに火を入れる。
ノエルと同じくクリスも優秀な魔法使いだ。だからマリーと一緒にいるところを見られ、心のない噂を立てられたら、彼にも迷惑がかかるかもしれない。
以前、そう言ってクリスとの食事を断ったことがある。だがクリスはマリーの心配を『そんな事気にしなくていいよ』『マリーを泣かせる奴がいたら俺に言って。お仕置きしちゃうから』と笑ってくれた。その笑顔に救われたマリーは、クリスの言葉に友人として甘えることにしていた。
それに堅物で生真面目なノエルが女性と二人で食事に行けば、相手が誰であっても噂になると思う。だがクリスは女性との噂をちらほら耳にする、いわゆる『遊び人』だった。遊び相手の女性は、いつもとびきり可愛いかとびきり美人のどちらかである。マリーのように地味で平凡な女性では、一緒にいる瞬間を見られたところで遊び相手とすら思われないだろう。
しかも今日はレストランではなく、マリーの店の中にある小さなダイニングだ。居住スペースはプライベート空間なので入れられないが、閉店後の店内であれば自由に過ごせるし、人の目も気にしなくていい。
シチューとパンとサラダを食べながらクリスと話したのは、他愛のない雑談だった。お互いの仕事のこと、クリスの先輩が最近彼女と別れたこと、新しく見つかった魔法花の命名についての論争、ここ最近の魔法府宿舎の夕食で一番美味しくなかったメニュー。
そんな話をしながら食事を楽しんでいると、店の出入り口から誰かに名前を呼ばれた。
「マリー!」
急に聞こえた声に驚き、後ろを振り返る。しかし相手の存在を確認するよりも早く、向かいに座っていたクリスが
「げっ……ノエル」
と嫌そうな声を出した。
そして傍までやって来た人物の顔を見て納得する。陽が沈んで暗くなった表通りからマリーの店に入ってきたのは、確かにノエルだった。
真夏の夜の暑さを緩和するために入口のドアを開けっぱなしにしていたので、ノエルも中にクリスがいると気付いたのだろう。と呑気に考察している場合ではない。
近付いてきたノエルの表情を見て驚く。いつも無口で不愛想なノエルが、今日に限ってなぜかその整った顔立ちを歪めている。堅物クールで物静かなノエルが怒りをあらわにする姿は珍しく、マリーも思わず息を飲んでしまう。
「クリス……なんでマリーの店に……?」
「え、ええぇ~?」
ノエルに睨まれたクリスが視線を泳がせる。街の人に何を言われても、他の女性にからかわれても一切動じない飄々としたクリスだが、ノエルには何か後ろめたい感情があるようだ。
「えーっと……じゃあ俺、そろそろ帰ろうかなぁ」
「え、ちょっと、クリス!?」
そう言ってダイニングから立ち上がると『またね、マリー』とにこやかに言い残し、颯爽と店から出ていく。
(怒ってるノエルと二人にしないでえぇ!)
心の中で絶叫しつつクリスを呼び止めるがもう遅い。せめてどうしてノエルが怒っているのか理由だけは教えて欲しかったのに、逃走が早すぎて追うことも出来ない。ノエルは何か言いたそうにクリスの姿を睨んでいたが、彼の後ろを追うことはなかった。
その代わり、すぐにマリーの方へと向き直る。怒りに満ちたその表情を見て、マリーは再び息を飲んだ。
「マリー」
案の定、腹の底から湧くような低音に名前を呼ばれ、マリーの身体がびくっと飛び跳ねた。ノエルはマリーの傍に大股で近付いて来ると、不機嫌な表情を浮かべて不機嫌な声を出した。
「俺と食事に行くのは嫌がるのに、クリスは食事に招くのか」
「え、ええぇっと……」
マリーはノエルとの食事が嫌な訳ではない。いつも迷惑がかからないように遠慮しているだけで、本当はマリーだってノエルと食事に行きたい。もっと一緒の時間を過ごしたいと思っている。
だがマリーの心を知らないノエルは、ぐっと眉間に皺を寄せると、さらに苛立ったような声を出した。
「なんで俺が大人しく我慢してると思ってるんだ!」
「はひ!?」
急に大きな声を出されて、思わず変な声が出る。
さわやかな黒髪に蒼い瞳。整った目鼻立ちと薄い唇。筋骨格や身長は成人した男性のものだが、普段は身体を動かすことが少なく表情も変えないので、精巧な機械人形のように思えてしまう。そんなノエルが珍しく美しい表情を歪めて、怒っている。
どうして? どうしよう?
と疑問に思っているうちに、突然腕を掴まれて、ぐいっと身体を引っ張られた。
「マリーはクリスの事が好きなのか!?」
「えっ……ち、ちがうよ!?」
掴まれた手首に更なる力を込められると同時に、身体がふわりと浮いた。どうやら魔法を使われたらしい。
普段は紙とペンとインクに囲まれていて体力も腕力も一切無さそうなノエルが、いとも簡単にマリーの身体を抱き上げてしまう。
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