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第1話
しおりを挟む強大な魔力を扱う『大賢者』の力は『髪』に宿っている。それはこの世界では常識のこと。マリーと同い年の大賢者ノエルも、その美しい黒髪に強い魔力を宿している。
街の一角でまじないや魔法道具や薬を売って生計を立てているマリーは、ノエルの姿を大きな鏡越しにぼんやりと眺めた。
ノエルが昔から行きつけにしている理髪店は、マリーの店からもさほど離れていない。だから連絡を受けると、こうしていつも散髪に立ち会うことにしている。
ノエルの髪には強い魔力が宿っているが、切った髪は理髪店の主人にあっさりと捨てられてしまう。それは大変もったいないので、ノエルが散髪するときは、こうして切った彼の髪をもらいに来るのだ。
いくら力があるとはいえ『髪なんて』と思われるかもしれない。しかしマリーにとって大賢者の毛髪は、竜のひげや魔法草と変わらない。極上の魔力を秘めた彼の髪は魔法の材料になるので、ただ捨てるのは勿体ないと思うのだ。それに市井の人には知られていないが、万能薬や霊薬の類には大抵魔法使いの髪が使用されているものである。
(それにしても……)
ノエルの髪は、伸びるのが異常に早い。
暑い季節になってきたから、少し伸びるだけで鬱陶しいのだろう。それは分かるが……少しどころではない。鏡の中のノエルの髪の長さは、マリーの予想を大幅に超えて成長していた。半月前に肩甲骨まであった髪を耳の上あたりまで短く切ったのに、もう同じ長さまで髪が伸びている。
(あの噂、本当なのかな……)
マリーは最近耳にした噂話を、頭の中に思い浮かべる。
『えっちな人は普通の人よりも髪が伸びるのが早い』
マリーにその話を教えてくれたのがケーキ屋のキャロルだったのか、花屋のリースだったのか、宝石屋のベルだったのかは忘れてしまった。けれど、確かにそう聞いた。下心に溢れる男性は体内に熱と力を蓄積して増幅する機能が高く、その影響から毛髪の成長がやけに早いというのである。
(まさか、ねぇ)
ただの冗談だと思う。少なくともノエルの印象には全く当てはまらない。
魔法カレッジの同期であるノエルのことは昔からよく知っている。だが彼は、朝から次の日の朝まで魔法研究のことしか考えていないような、無口でクールで堅物な大賢者様なのである。
カレッジの下級クラスの中でも落ちこぼれ、研究機関には就職できず、祖母が残した小さな魔法店を継いで細々と生きているマリーとは違う。
特級クラスで常に首席、魔法研究の最高峰である魔法府に就職し、歴代の大賢者の中でもとりわけ優秀だともてはやされても一切その表情を変えない――あのノエルが。
(ないない)
頭を振りながら苦笑する。
堅物クールのノエルの髪が伸びるのが早い理由が、えっちすぎるからだとは思えない。
それに、ノエルに不埒な行為をする相手がいるとも思いたくはない。
もちろん魔力の宿った髪のおこぼれでどうにか生計を立てているマリーなど相手にされないことは分かっている。だがマリーはずいぶん前からノエルを特別に好いている。
マリーは本当の彼が優しい性格だと知っている。生まれ持った純度の高い魔力の上に膨大な知識を積み重ね、その力を役に立てるために日夜研究に励んでいる。そんな努力を怠らない人だから、カレッジ生の時からノエルに強く憧れているし、尊敬しているし、恋慕の情を抱いている。
「マリー。終わったぞ」
ノエルに声を掛けられ、はっと顔を上げる。随分長い時間物思いに耽っていたらしく、鏡の中を見ると長髪だったノエルはすっかりと爽やかな短髪になっていた。
「はい、マリーちゃん。ノエル様の髪だ」
「ありがとうございます」
理髪店の店主からノエルの髪が入った小さな麻袋を受け取る。その声はいつもと同じだが、目には明らかな蔑みの色が含まれている。
理髪店の店主だってマリーの作った植物栄養剤で野菜を大きく育てているし、魔除けのまじないで変な客が寄り付かないようにしている。その恩恵を受けているはずなのに、街の人々は大賢者の髪でまじないを作るマリーに怪訝な眼差しを向けて来るのだ。
麻袋を受け取り、散髪の会計を済ませたノエルと共に理髪店を出る。
ノエルは魔力を抑えるためにいつも黒いグローブをしているが、暑さをしのぐためにシャツの胸元は開かれ、袖も肘までまくられている。一気に爽やかな見た目になったノエルの顔を見上げて視線が合うと、ノエルがふと表情を緩めた。
「マリー、このあと一緒に食事に行かないか?」
「……え?」
「昼食はまだだろう? 俺も研究室に戻る前に、この辺で昼食を摂ろうと思っていたんだ。だから……その、一緒にどうかと」
ノエルの誘いに、マリーは内心では舞い上がりそうなほどに喜んだ。うん、と頷きそうになった。
けれどすぐに思い直す。
「誘ってくれてありがとう。でも私、依頼の薬を夜までに作らなきゃいけないの」
「……食事の後に、俺も手伝う」
「平気。大丈夫よ」
ノエルの申し出をもう一度丁寧に断る。
「大賢者様にそんな事はさせられないもん」
「……」
もちろん誘いは嬉しい。
けれどノエルは大賢者の地位を持つ優秀な魔法使いだ。魔法カレッジの同期のよしみで彼の魔力のおこぼれをもらっているだけでも、周囲の人からは白い目で見られる。マリーもこの街の人間なので表立って攻撃されることはないが、人々はマリーを貧相な店の貧相な魔法使いだと認識している。
そのとばっちりを、大賢者のノエルにまで受けさせたくはない。一緒に食事に行っているところを見られたら、何を言われるのかわからない。ノエルの地位や名誉を傷つけることはしたくないのだ。
「悪い……迷惑だったか。髪も、いつもマリーに押し付けて」
「えっ……ちょ、違うよ?」
しゅん、と悲しそうな顔をするノエルに、慌てて手と首を振る。自分の意見を一方的に述べてしまったせいで、ノエルを誤解させてしまったようだ。
「ノエルの髪が伸びるの早いから、私はありがたいと思ってるの。本当よ?」
ノエルは散髪のとき、わざわざマリーに連絡して呼び寄せてくれる。その優しさと気遣いを知っている。目を掛けてくれていることを嬉しいと感じている。同期の魔法使いなんて何十人何百人といるのに、その中でもとりわけ落ちこぼれのマリーを気にかけてくれることを、本当はありがたいと思っている。
その感情を上手に隠して笑顔を浮かべる。マリーが再度断ると、ノエルは残念そうな表情をひとつ残すと、何も言わずにその場から立ち去ってしまった。
後に残ったのは彼の毛髪だけだったが、そこに宿っているのは彼の魔力だけではない。マリーの淡い恋心と小さな憧れも、手のひらの中にかすかにくすぶっていた。
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