秘密のノエルージュ

紺乃 藍

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第8話

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 メッセージや電話が来るかもしれないと思っていたが、その後大和から連絡が来ることはなかった。もちろん本人が家まで訪ねて来ることもない。

 思いがけない告白から咄嗟に逃げてしまったが、家に帰ってから、そしてバイトが終わってから冷静になって色々と考えた。

 ただの幼なじみだと思っていた大和に、特別な意味で好かれていた。クリスマスに菜帆が欲しいものを贈りたいと言われた。その真剣な眼差しが、嬉しかった。

 大和は菜帆の悩みと趣味を知った上で受け入れてくれる。菜帆も大和が他の誰かと付き合うかもしれないと思ったら、急に胸が苦しくなった。彼に恋人が出来るかもしれない事を、面白くないと感じてしまった。

 理由はきっと、菜帆も大和を特別な意味で好いているから。

 ――あれ、じゃあ私たち両想いじゃん。

 公式に当てはめるだけの簡単な問題なのに、答えに辿り着くのに深夜まで時間を要した。

 恋をするってもっとわくわくして、一分一秒が楽しくなっちゃうものだと思っていた。少なくとも今まではそうだった。

 けれど大和が相手だと何かが違う。ワクワク楽しい気持ちじゃなくて、なんだかそわそわと落ち着かなくて、今までの関係が壊れてしまうそうな不安もあって……

 ――クリスマスはもうすぐそこまで迫っている。そんな月曜日。

「大和」

 マンションから出てすぐに、先を歩く大和の背中を見つける。小走りで大和に追いつくと、イヤホンを外した大和に『おはよ』と声を掛けられた。

 セクハラ発言じゃなくて、普通に朝の挨拶をされた事が珍しい。けれど妙に気恥ずかしくて、大和の顔を見ることが出来ない。顔を上げて目が合ったら、顔が火照ってしまいそうな気がした。

「昨日、ごめんね」

 菜帆は昨日、大和を盛大に放置した。真剣な告白に返事もせず、返事をするための期間を設けることもせず、驚きのあまりその場から脱兎のごとく逃げ出してしまった。

 これは怒られても、呆れられても仕方がない。だからとりあえず謝罪をしなければ、と意を決して顔を上げる。

「私っ……」
WHO-LILLフリルのホリデーランジェリー『ノエルージュ』」
「……」

 口を開こうとした瞬間、大和が突然、呪文のような言葉をたくさん羅列しはじめた。


 一瞬、間が空く。

 菜帆には大和が発した呪文の全てを正確に理解できた。その聞こえた内容に驚いて顔を上げると、ようやく大和と目が合う。その瞳はやっぱり真剣そのものだった。

 WHO-LILLフリルは菜帆が好きなランジェリーブランド。既製品の中ではどちらかというと高品質・高価格帯に分類され、いつも新商品をチェックしてはいるが、製品自体は二、三セットしか所持していない。

 そのWHO-LILLのクリスマス限定ランジェリー。ノエルージュ。クリスマスカラーの一つである鮮やかな赤地に、細やかな純白のスノーフレークが刺繍されたブラジャーとショーツの組み合わせ。

 菜帆が、今期発表されたクリスマス限定ランジェリーの中で、一番欲しいと思っていた商品。

「昨日ちらっと見えたスマホの画面……から探した」
「は……え、あれ見ただけで探せたの?」
「まぁ」
「……変態?」
「探しながら自分でも四回ぐらいそう思った」

 引く、とまでは言わないけど、びっくり、よりは衝撃が強い。もちろん『男性が見るものではない』と否定するつもりはない。ただどんな顔で探していたんだろうと思うと、面白いというか、申し訳ないというか。

「サイズはF70」
「!?」

 噴き出しそうになる気持ちを懸命に押さえていると、大和がぼそりと呟いた。あまりの驚きから、弾かれたように顔を上げる。

「俺、女の人の胸なんて触ったことねえし、下着のことなんて全然詳しくないけど。一生懸命覚えた知識と憶測で、多分そのぐらい。違う?」
「え……えっと……」

 そんな確認されても、素直に合ってるとも間違っているとも言えない。

 言えはしないが、恐ろしい観察眼と推理力だ。――合っている。

 いや、でも、なんで。

「へ…………変態?」
「自分でも百回ぐらいそう思った」

 先日までパーカーだったのに今日はコートを着ていた大和が、白い息を吐きながら苦笑する。

「二年前に菜帆の下着姿見たときから」
「!?」

 告げられた思いがけない台詞に、菜帆は今度こそ顔が熱く火照った。きっとツリーに飾られた丸いオーナメントのように赤くなっている顔を、手袋をしたまま押さえる。恥ずかしい、とちゃんと顔に出せているはずなのに、大和の告白は止まらない。

「好きなやつのあんなカッコ見て、何も思わない男なんていないからな」
「やま、と」
「ま、外れててもいいよ。サイズはあとからでも交換できるらしいから」

 はは、と苦笑する声がすぐ隣から聞こえる。

 大和は菜帆に、本当に下着をプレゼントしてくれるらしい。

「クリスマス、毎年親いないんだ。結婚記念日だから」

 それなりに人通りが多い歩道の端を歩きつつ、大和が大胆な事を言う。

 駅までの道を進んでいく人々は、みな時計やスマートフォンを気にしている。もしくはイヤホンをしている。だからきっと、菜帆と大和の会話など誰も拾えていないはず。

「菜帆」

 わかってはいるけれど、大和も一応は気を遣ってくれたらしい。傍に寄ってきた大和が菜帆のイヤーマフラーを少しだけ上にずらして、

「イブの日、二十時にうちに来て」

 と呟いてきた。えっ、と顔を上げると、大和と再び目が合った。

「来なかったら、それが菜帆の答えだと思って俺も諦める」
「大和……」

 大和の目は本気だ。

 友達同士で集まってゲームをしたときよりも。菜帆とテストの点数を競ったときよりも。後輩を庇って先生に怒られて謝罪したときよりも。菜帆が今まで見てきたどの表情よりも、ずっとずっと本気だった。

 けれどその本気の目は、すぐにすっと消えて無くなる。いつもと同じ冗談で菜帆をからかう、優しい色に変わる。

「で? 今日の下着は何色?」
「な……ばかっ!!」
「ははっ」

 そうやってからかってくるのは、菜帆が深刻になり過ぎないよう気を遣ってくれている証拠だ。万が一菜帆が大和の告白を断ったとしても、後々気まずい関係にならないために。

 長い間近くにいたから、ちゃんと知っているのだろう。菜帆の性格まで熟知している大和の隣は、たしかに誰の傍よりも居心地がよかった。
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