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第4話
しおりを挟む今日の二限目は、仲が良い友達と講義が被っていなかった。他のみんなは別棟の講堂で授業を受けているが、菜帆は食堂に近いゼミ室で資料の作成作業をしていたので、終わり次第食堂の場所取りをすることになっていた。
みんなを待つ間、時間があったのでお気に入りのランジェリーブランドサイトを眺める。暦はとっくの前に十二月に変わっている。クリスマスシーズンが近づいてくると各社がこぞって新商品を発表するので、この時期の菜帆には楽しみがたくさんあった。
数日前は大和の提案をあっさり却下してしまったが、菜帆は彼氏や好きな人に下着を送られたら、めいっぱい喜んでしまう気がする。
例えばこのアン・フルールのホワイトキャロルシリーズ。オフホワイトのリボンとレースの組み合わせは最高に可愛いし、ピュアホワイトのセットには同じ色で形の異なるショーツがある。
(もうほんと、全部可愛いー!)
これを恋人や好きな人にプレゼントされたら。そして『似合う』『可愛いね』と褒められたら、きっと嬉しくなってしまう。そんなプレゼントをしてくれる人なんて、菜帆にはいないのだけれど。
「菜帆ちゃん」
食堂の席に座ってスマートフォンの画面に熱中していると、正面から声を掛けられた。待ち合わせている女友達三人の誰でもない――男性の声に驚いてパッと顔を上げると、そこには菜帆が密かに憧れている先輩が立っていた。
「あ、先輩。こんにちは」
「隣いい?」
先輩が菜帆の隣を指さす。六人掛けのテーブルの端に座っていた菜帆は、偶然会えた嬉しさを感じながらコクコクと頷いた。彼は菜帆が待ち合わせている友人たちとも顔見知りなので、同席しても大丈夫なはずだ。
売店で買ったサンドイッチとコーヒーをテーブルの上に置いた先輩が、席に腰を下ろす。その動作を眺めてると、ふと先輩の視線が菜帆の手元に落ちた。
「菜帆ちゃん……それ……」
「え?」
困ったような顔をしている先輩の『それ』が指し示す場所を見る。それは菜帆のスマートフォン。その画面の中からは、下着姿の女性がこちらに向かってに静かに微笑んでいる。
「あっ……いや、これは……!」
認識した瞬間に、慌ててスマートフォンを後ろ手に隠す。アン・フルールのホワイトキャロルシリーズは、すべて海外の女性モデルがプロモーションを担当している。先輩の目には、下着姿の外国人女性の画像にしか見えなかったと思う。
もちろん、やましいことなど何もない。菜帆が見ていたのは過激な画像ではなく、女性用下着のブランドサイト。王手の衣料品通販サイトや、アパレルブランドのSNSアカウントと何も変わりはない。
けれど先輩は、明らかに誤解している。
「菜帆ちゃんって、意外とえっちだね?」
「!?」
ふ、と笑うその声を慌てて否定する。
「ち、ちがいます……!!」
顔から火が出る、というのはこういう事なのだろう。自分でも顔が真っ赤になっているのがわかる。慌ててぶんぶん首を振ると、先輩がにこっと笑顔を作った。
隣に座っていたこともあって、身体をちょっと傾けるだけですぐにその距離は縮まってしまう。そして内緒の話をするように、菜帆の顔の傍で声のトーンを落として、囁かれる。
「でも俺、いやらしい子好きだよ?」
「!!」
「菜帆ちゃん、胸大きいし。触ってみたいと思ってたんだ」
ぞわり、と。
全身の産毛が逆立つ気がした。その奇妙な感覚を何処かへ逃そうとしたが、失敗して口元がひくっと引きつってしまった。火照っていた顔の熱が急激に冷えていく。
菜帆の表情を確認した先輩が、怪しい表情でクスクスと笑う。
「なんてね、冗談冗談」
「……」
冗談。なら、尚更言って欲しくなかった。もちろん本気で言われても嫌なのだけれど。
胸が大きいのは、菜帆のコンプレックスだ。自分ではそれを上手く隠してきたと思っていた。けれど菜帆自身が嫌だと感じているところは、相手にも簡単に見抜かれてしまうのだろう。きっと無意識のうちに。
先輩に対する憧れの気持ちが、急速に崩れ落ちていく。上手く表現できない嫌悪感が、胸の奥でひしめき合う。
悲しみや苛立ちや泣きそうな気持ちを一気に感じながら『あはは』なんて無理に笑ってみた。乾いた笑いで不快の感情を誤魔化して、自分の手元に視線を落とす。
画面が真っ暗になったスマートフォンのロックを解除すれば、きっとまたお気に入りのランジェリーのサイトが表示される。そうすれば下降してしまった菜帆のテンションはすぐに復活する。
でも。
いや、だからこそ。
今、この場でスマートフォンを操作して自分の好きなものを見たいとは思えなかった。隣からにこにこと笑いかけてくる先輩に、これ以上コンプレックスを暴かれたくなかった。
それよりも。菜帆が大好きなランジェリーの世界を、きらきらと眩しい、可愛らしくて美しい世界を。いやらしいと一方的に決めつけてくる先輩の目に晒したくはなかった。大好きな世界と菜帆自身に、これ以上踏み込んできて欲しくなかった。
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