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33. ちびっ子王子は成長中

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「はぁ……は、ぁ……はぁ」

 複雑な魔法陣の中に立って目を瞑ったセシルは、意識を集中させることにとにかく必死だった。かれこれ三十分ほどこの状況を継続しているせいか、呼吸は荒く乱れ、全身から汗が噴き出している。

 しかしその雫が胸や背中を伝って服の中が汗だくになろうと、めいっぱい魔力を貯め込んだお腹が苦しかろうと、集中力を欠くわけにはいかない。途中で力を抜いてしまったら、せっかく蓄積した魔力が漏れ出てしまうかもしれないのだ。

(大量の魔力の蓄積は、こんなに大変なのか……)

 全身の空気を入れ替えるように大きく吸って肺に酸素を取り込むと、細く長く息を吐く。こうやって深呼吸をすれば、幾分か苦しさが軽減されるように思うのだ。

(お腹に石を詰め込んでいるみたいで……すごく重い)

 何度か深く呼吸をすると汗は少し引く気がしたが、それでも全身がひどく疲れるのは変わらない。不意に目眩を覚えたせいでわずかにバランスが崩れたが、どうにかその場に踏み留まる。

 一瞬のよろめきを見ていたのか、セシルの身体に魔力を流し込んでいた魔法使いの女性が、フッと魔法の力を緩めた。

 すると全身に纏わりついていた重たい気配がスウッと霧散する。魔力が消えた感覚を不思議に思って目を開けると、女性が心配そうに首を傾げてきた。

「大丈夫ですか?」
「あ、はい……平気、です。少しずつですが、落ち着いてきました」
「ちょうど本日はこれで終わりです。魔力が定着すれば多少は楽になるはずですが……。次回までに身体が慣れているといいですね」
「そうですね……」

 セシルの前に立つ女性は『特級魔法士』の称号を持つ、この国でも指折りの実力を有する魔法使いだ。王城に仕えているというその女性は、国王や有力貴族たちの要請に応じて様々な場面で魔法を使うことを許されている。特に対象者や武具に特殊な効果を与える付加魔法が得意らしく、他者の魔力を操作する能力にも長けているという。

 その女性をはじめとした複数の魔法使いの協力のもと、セシルはここ数日、己の身体の中にひたすら魔力を『蓄積』する作業を続けている。本来『蓄積の魔法』は魔法を使う者自らが少しずつ魔力やマナを集めて、体内に蓄積しておくものらしい。

 しかし今は悠長に魔力収集をしている時間がない。アレックスが循環の魔法を使い始める時期が差し迫っている以上、セシルもいつでも魔力を渡せるように備えておかなければならないのだ。

「これでもまだ、半分の量なんですよね?」
「そうですね。アレックス殿下の魔力を十分に補う量となると、最低でもこの倍量は常時貯蔵しておいて頂きたいです」

 去年のマギカ・リフォーミングの際に収集した魔力の残りは、すでにセシルの体内に移行済みだ。そして今は王城に仕える魔法使いから少しずつ魔力を分けてもらい、身体に取り込んでいるところ。これが終われば次は力の強い騎士や貴族、国営ギルドに所属する冒険者から分けてもらった魔力を取り込んでいく予定だ。

 これらをすべて蓄積して、ようやくアレックスの『循環の魔法』を扱う訓練が始まる。そうして二人が各々の魔法を適切に扱えるようになってはじめて、国内各地を巡ってマナの循環を促す処置を行っていくのだ。

 すべてが完了するまで、一体どれほどの月日がかかるだろう。数か月――いや数年単位の長い時間を要するかもしれない。

「大丈夫か、セシル」
「はい……」

 女性と挨拶を済ませて次回の日程を確認すると、室内の少し離れたところで様子を見ていたレオンが近付いてきた。

 彼も仕事で忙しいはずなのに、魔力を込めるときはこうして時間を作って極力セシルに付き添ってくれる。第二王子が傍にいたのでは女性も仕事をしにくいはずだが、何度平気だと言ってもレオンは頑として譲らず、結局同じ室内でセシルの様子を見守ってくれるのだ。

「無理はするなよ?」
「ありがとうございます。平気ですよ」

 女性が退室したことを確認すると、レオンがそっと身体を抱きしめて頭を撫でてくれる。いつも大丈夫だと言っているが、セシルよりも大きな身体と優しい腕に包まれると、いつもこうしてホッと安心する。

 身体を離してふと見つめ合うと、やっぱり少しだけ照れてしまう。セシルがはにかんで笑って見せると、レオンの首がゆっくりと傾いた。

「今までほとんど使ってこなかった魔法ですから」
「へえ、そうなのか」
「一応は複数のものを蓄積できるんですけどね。レオン様の子種を預かっている間は、極力他のものは入れないようにしていたので」
「なんでだ?」

 セシルの説明にレオンがさらに不思議そうな顔をする。その仕草を間近で見たセシルは、すぐに余計な説明をしてしまったと感じた。

「え……何か悪い影響が生じたら嫌なので……?」
「なぜ疑問形なんだ」

 セシルの心を知らないレオンはさらに深掘りしようとするが、セシルはそれを笑顔で誤魔化した。レオンと距離を取るとそそくさと部屋を後にする。そろそろ午後のティータイムの時間だ。

(レオン様の大事な子種に他のものを近づけたくなかったから……は、言わない方がいいかな)

 後ろをついてきたレオンが隣に並び歩く。その横顔をちらりと盗み見て、自分の考えに苦笑する。

 思春期を迎える頃には、自分の身体に複数のものを隠し持つことが可能だと気が付いていた。だが実際に魔法を重複して使用することはほとんどなかった。それは単純にこの魔法が必要とする機会がなかったからなのだが、レオンの子種を預かってからはより意図的に魔法を使わなくなった。

 その理由はきっと、レオンから預かった大切な子種に他のものを近付けたくなかったから。レオンの真意を知らなかった六年間は苦しい秘密だと感じることも多かったが、その一方でお腹の中で眠る子種を大切な宝物のようにも感じていた。だからこそ、間接的であっても誰にも触れさせたくないと感じていた。

「アレックス……」

 二人で廊下を歩いていると、ふと中庭の様子に目を向けたレオンがぽつりと兄の名を呟いた。

 セシルも顔を上げてレオンの視線を追うと、芝生が敷き詰められた広い庭でアレックスと末の王女・コリン、そして彼女が可愛がっている大型犬のローレルが元気に転がり回っているところだった。 

「ローレル! アレックスお兄さまはそちらよ!」
「わっ……! ばかっ、コリン! こっちに投げるな!」
「うふふっ」

 数人の護衛騎士と侍女に見守られながら、王子と王女と大型犬がボール遊びをしている。

 現在十八歳の末の王女コリンが、見た目十四歳ほどのアレックスを『お兄さま』と呼ぶ姿には少し違和感があったが、それでも微笑ましい兄妹のやりとりを目ているとつい笑顔になってしまう。

「楽しそうですね」
「まったくだ。こっちの苦労も知らずに」

 レオンが憮然とため息をつく。

 目覚めた翌々日からベッドを出て自分の足で歩く練習を開始したアレックスだったが、意外にもすぐに自力で歩き出し、さらにたった数日で日常生活のほとんどを自らこなせるようになった。

 アレックスの回復の早さは、身体が元の状態を覚えているからなのか、それとも若さゆえなのかはわからない。だが目覚めて一週間が過ぎた今日は、こうして庭を走り回って転がり回るまでになっている。

「身長も伸びましたよね?」
「そうだな、少し成長したかもしれない」
 
 さらに驚くべきは、目覚めたアレックスが日を追うごとに急激に成長していることだ。

 一番わかりやすいのは体型だろう。最初に会ったときは痩せて貧相な印象を覚えたが、彼はこの数日で身長が伸びて体重が増え、あっという間に健康的な少年の姿へと変化した。その回復と成長の早さは、マナの力だけで生命を繋いでいた二十年の虚しい時間から脱却し、活動的で生き生きとした普通の時間を取り戻すかのようである。

 ふと自分を見つめるセシルとレオンの視線に気付いたらしい。傍にいた王女コリンと周囲の者に声をかけると、アレックスがこちらへ駆け寄ってくる。もう走れるようになったのか、とセシルは密かに感動してしまうけれど。

「〝しゅぎょう〟は終わったのか、セシル」
「あ、はい」

 目の前にやってきたアレックスに訊ねられ、慌てて笑顔を返す。内心『修行じゃなくて本番なんだけどな』と思ったが、アレックスにとってはどちらでも同じだろう。どちらにせよ、セシルが蓄積の魔法をコントロールして体内に魔力を貯められなければ、アレックスが循環の魔法を扱う最低条件を満たせないのだから。

(それにしても、髪を切ったら本当にレオン様そのままだな……)

 ベッドを出たアレックスが日常生活の練習を開始するよりも先に行ったのが、伸びきった髪を切り清潔感を取り戻すことだった。一応、眠り続けている間も整える程度の散髪はしていたらしいが、起き上がらなければ上手く調整できないところはそのままになっていたらしい。

 短くさわやかに整えられた頭髪を見て『レオン様の幼少期……可愛い』と思ってしまうセシルである。

「どうせなら美味そうな魔力に変える練習もしてくれ」
「……」

 おまけに本当の意味で心を許していない者に対して不遜な態度をとるところまで、そっくりである。

 セシルには魔力の味や匂いなどわからない。だがアレックスは味覚や嗅覚が優れているのか、それとも五感とは別の感覚が発達しているのか『セシルとレオンは匂いが同じだ』とか『魔力の味が好みじゃない』とか、意味が分からないことばかり言う。この感覚は対の魔法を扱うセシルにもまったくわからず、彼が求めているものを理解することも出来ない。

 無茶を言う俺様王子が増えた、と失礼なことを考えていると、アレックスがフフンと鼻を鳴らした。

「レオンとはなれてくれてもいいぞ」
「断る」
「レオンには聞いていない」

 アレックスの尊大な要求に即答したのはレオンだった。たった一言でアレックスを退けたレオンだったが、対するアレックスも簡潔かつ傲慢だった。

 この二人が本格的に兄弟喧嘩をはじめてしまえば、セシルには止める手立てがない。慌てて二人の間に割って入ると、アレックスに向き直って自分の用件を伝える。

「アレックス殿下。僕、明日はちょっと城の外に出ようと思います」
「ん? どこに行くんだ?」
「勤務している王立魔法研究所です」

 アレックスが目覚めてから一週間以上、セシルはずっと欠勤状態になっている。ローランドに手紙を託し、彼の口からもセシルの状況を説明してもらっているので、研究所としては受け入れる他ないだろう。

 しかし研究所は受け入れていても、セシルが所属する研究室のメンバーであるマルコム・ジェフリー・ルカは納得していないかもしれない。

 セシルは自分の口から状況を説明したい。無断欠勤はぎりぎり免れているものの、このままではずっと一緒に仕事をしてきた仲間に不義をすることになる。だから論文の作成という大事な場面で迷惑をかけてしまったことも含め、研究室を退職する旨を自分の口でちゃんと説明して謝罪をしたいと思っているのだ。

「ふうん?」

 セシルの報告を聞いたアレックスが、興味なさげな声を出す。もちろん彼がさほど理解を示してくれないことは百も承知だ。彼にとっては平民である研究員たちの仕事など、どうでもいいことこの上ないに違いない。

 それでもきちんと説明しないまま不在になり、その間にアレックスに何かが起こることは避けたいので、そのまま話を続ける。

「僕がいない間に循環魔法の練習をしたり、新しい魔法を使ったりしないでくださいね。あまり体力を使いすぎるのも禁止ですよ。倒れたら大変ですから」
「いや、心配しなくてもへいきだ」

 アレックスを心配して不在の間の注意点をこんこんと説くセシルだったが、その言葉はにやりと笑ったアレックスに綺麗に遮られた。

「僕もセシルについていくから」
「……え?」
「はぁ!?」

 アレックスの言葉に驚いたのは、セシルだけではなくレオンも同じだった。いや、むしろ彼の方が衝撃を受けたような大きな声を発している。

 だが驚く二人に対し、アレックスは終始笑顔だった。

「僕の魔力がなくなっても、セシルといっしょにいれば問題ない」
「えっ! いえ、でも……許可とか、護衛の問題とか、お食事のこととか色々準備が必要なので……急には難し……」
「レオンがなんとかする」

 セシルの心配はレオンに向けられたアレックスの一言で唐突に方向転換する。レオンが驚きに目を見開く。

「あ、僕とセシルのお出かけだからな。レオンはこなくていいぞ」
「行くに決まってるだろ!」
「!? 行くんですか!?」

 いや、そこは許可しない、無理だ、と言えばいいところなのに。どうしてレオンまで便乗しているのだろう。

(ま、また面倒なことに……!)

 ただ報告と謝罪と最期の挨拶に行くだけのはずが――なぜまたこんな、面倒な状況になってしまったのだろうか。

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