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31. 拒絶反応
しおりを挟む悔しさを滲ませながらも感情を押し殺すレオンと、愛息子の目覚めに気分が高揚している様子の正妃フローレンス。二人の間で視線を交互に彷徨わせながら、セシルは何と言えばいいのかと狼狽する。
そんな三人の中に割り入ってきたのは、セシル以上にこの状況に困惑している様子のアレックスだった。
「ははうえ……僕、こわい」
見た目の年齢はおおよそ十二歳ほど。だがそれは長年魔力を流し込み続けてきた結果、身体が幾分か成長しているにすぎない。
「いやだ……おまえたちは、きらいだ」
二十年間ずっと目覚めず眠り続けていたアレックス本人の認識としては、少し長く眠ってしまったという程度だろう。記憶も、知能も、思考も、喋り方も、五歳の少年のそれと変わらない。大勢の大人たちに囲まれた恐怖と不安に涙を浮かべて怯えるアレックスの姿は、『幼い王子』そのものだった。
「そうね、アレックス。急にたくさんの人がお部屋に来たら、怖いわよね……」
そんなアレックスの心の機微にもっとも早く反応したのは、彼の実母である正妃フローレンスだった。
フローレンスはセシルの手を離すとドレスの裾を持ち上げて再びベッドに近づき、彼女に向かって必死に手を伸ばすアレックスの細い体をひしっと抱きしめた。
二人の様子を見ていると、親子の愛とは本当に不思議なものだと思ってしまう。もちろんアレックスを抱きしめるフローレンスと、彼が最後に目にしたフローレンスにも二十歳の年齢差があるだろう。少年から青年に成長するほどの外見変化はないかもしれないが、それでも二十年前と全く同じ容姿ではないはずだ。
それにも関わらず、アレックスは目の前にいる女性が自分の母であると認識している。見知らぬ大人に囲まれる不安に怯えながらも頼るべき存在を見極めて縋る様子を見ていると、母と子の絆を感じずにはいられない。
小さな驚きと感動を覚えるセシルだったが、今はそう和んでいられる状況でもない。アレックスからほんの少し身体を離したフローレンスが周囲の人々を強い視線で睨みつける。
「下がりなさい。セシルを残して、他は全員ここから出ていくのよ」
「し、しかし……」
フローレンスの命令に、その場にいた人々の間にどよめきが広がった。もちろん、驚いたのはセシルも一緒だ。
彼女はここにいる医師、魔法医師、国政の重鎮、護衛騎士、侍女、さらにはアレックスの妹である王女たち、そして彼が眠り続けている間アレックスの身代わりを努めてきた義弟レオン――その全てをこの場から強制退場させようとしているのだ。
それだけではなく、王族でも貴族でもなければ、アレックスの身の回りの世話や護衛を務められるわけでもない、完全な部外者であるセシルだけをこの場に残そうとしている。周囲の者たちが顔を見合わせて困惑の声をあげたくなる気持ちは、セシルにもよく分かった。
「あの……」
「あら、私の『お願い』が聞こえなかったのかしら?」
急に注目を浴びたセシルが遠慮の声を発した瞬間、フローレンスが目を細めてそこに集った者たちをさらにきつく睨みつけた。
その有無を言わせない力強さに加え、彼女の意見が今はまだこの場に駆けつけられていない国王陛下と同意であることを匂わせられると、この場にいる誰にも意見はできない。
「も、申し訳ございません……!」
「それでは、我々は失礼いたします」
空気を読んでその場からそそくさと離れた医師と思わしき男性と、重役を担っている騎士と思わしき男性が出ていくと、それに習うように他の者たちもぞろぞろアレックスの部屋を退出していった。
「レオン様……」
残されたセシルは部屋の入り口付近の壁に寄りかかり、腕を組んで全員の退出を見届けていたレオンにそっと近づく。不安のままに彼の名を呼ぶと、レオンが表情を緩めてセシルの耳元に唇を近付けてきた。
「部屋の外で待ってる」
「……はい」
たった一言だけ告げられた言葉に、セシルも一度だけの首肯で返答する。
退出する直前にレオンがベッド上のアレックスをぐっと睨みつけたが、ベッドカバーを握りしめてそこに視線を落としたままにアレックスとレオンの視線は、とうとう交わることがなかった。
レオンが閉じた扉がパタンと小さな音を立てると、しん、と空気が静まり返る。その静寂の中でフローレンスが動くと、セシルの緊張感もさらに高まった。
「さあ、セシル。こちらに」
「……はい、失礼いたします」
フローレンスに促され、アレックスのベッドに歩み寄る。すべての生活機能を包括し、ひとつの部屋で何から何まで完結するレオンの私室よりもこの部屋は格段に狭い。
とはいえ、セシルが賃貸している住宅と比べれば二倍も三倍も大きな部屋だ。クリーム色のふかふかの絨毯を踏みしめながら緊張の面持ちでベッドに近づくと、セシルの接近に気づいたアレックスがふと視線を上げてこちらを見つめた。
なるほど、寝ている姿でも似ていると思ったが、眼を開けばなおさらレオンにそっくりだ。
長い眠りについていたためか腰まで伸びているが、極上の蜂蜜を思わせるハニーブロンドの髪はさらさらで美しい。多少痩せてはいるものの顔の輪郭はレオンのそれとよく似ているし、唇の形や鼻の高さもまるで生き写しなのではないかと思うほど似通っている。
そしてなにより、開かれた彼の瞳はよく晴れた日の天空を思わせるアイスブルー。美しく澄んだ瞳は穢れを知らない煌めきを秘め、見るものの心を惹きつける力強さがある。
確かにこれほど外見が似ているのならば、レオンをアレックスの身代わりにしようと思いつき、本当にそれを実行してしまった国王陛下やそれを後押しした他のものたちの判断も頷ける。セシルは数えるほどしか対面したことがないが、二人とも父である国王陛下によく似ているのだ。
レオンとうりふたつの少年がセシルの姿をじっと見据える。
「お前はだれだ」
「はじめまして、アレックス殿下。僕はセシルと申します」
「……せしる」
セシルが挨拶すると、アレックスがその音を反復する。美少年が自分の名前を呼ぶ様子に見惚れていると、そのアレックスの目に強い緊張と不快の感情が混ざった。
「きらいだ」
「……え?」
ぽつりと呟いた声に、セシルの動きが止まる。直ぐ側で見ていたフローレンスも「えっ?」と小さな驚きの声を発した。
「お前も嫌いだ。出ていけ!」
「だ、だめよ、アレックス。この子はアレックスの体調を見てくれる人で……」
「いやだ!」
強い拒否反応。
拒絶の台詞と敵視の眼差し。
その感情を真正面から受け止めたセシルは思わず凍りついてしまったが、焦った声を発したのはセシルではなくフローレンスだった。
彼女の不安や焦りの気持ちは十分に理解できる。
先ほどまでこの部屋に集っていた者たちは、アレックスが始祖なる力『循環の魔法』を持ってこの世に生を受けたことと、セシルがその補佐役として今後アレックスの傍に身を置くことになるだろう状況を把握している。
それはもちろんフローレンスも同じで、だからこそ『アレックス』にとって『セシル』の存在が必要不可欠であることも理解している。
セシルが傍にいなければ――膨大な魔力を必要としたときにすぐにセシルから受け取れなければ、またアレックスが長い眠りについてしまう可能性がある。フローレンスはそれを危惧しているのだ。
「やだ! いや! 出てって!」
母フローレンスに叱られたアレックスは一瞬泣きそうな表情を見せたが、それでも彼の精神年齢は五歳の子供のままである。いくら母に諭されても、自分の心が拒む存在を簡単に受け入れることはできないらしい。
まして今の彼は長い眠りから目覚めたばかりだ。実際の年齢はセシルの方が少し下だが、彼にとってはまったく知らない大人であるセシルとすぐに向き合うことができないのは、当然と言えば当然である。
「アレックス殿下、本日はこれで失礼いたします。また会いに来ますね」
「……」
今のこの状態でどうにかしようとしても仕方がない。殻に閉じこもったアレックスの心を無理やりこじ開けるのは不可能だ。
仕方がない、と苦笑すると、フローレンスに目礼してその場を離れる。不安そうな彼女に「また明日参ります」と告げると、彼女は愛息子とセシルの顔を交互に見つめたのち「わかったわ」と力なく返答した。
部屋を出たセシルは、扉の向かいの壁に寄りかかっていたレオンに歩み寄り、静かに首を横へ振った。
「だめですね、拒否されてしまいました」
「そうか」
レオンも中の様子に聞き耳を立てていたらしく、皆まで説明しなくても理解しているというように数度頷いた。
「今夜はもう遅いですし、アレックス殿下のごご気分も優れないようですので、明日また改めることにします」
「……放っておけ」
セシルはレオンに説明するようにぽつぽつと自分の考えを伝えていたが、レオンはつまらなさそうに鼻を鳴らしただけだった。
「母子そろって自分勝手にもほどがあるだろ。どれだけ周りを振り回せば気が済むんだ」
「……」
確かにそうかもしれない。
レオンの言うこともある意味では正しい。
だが始祖なる魔法と呼ばれるアレックスの『循環の魔法』と、それを補佐するセシルの『蓄積の魔法』は、必要があるからこそこうしてこの世に姿を現したのだ。そう考えれば、今はまだ大きな影響が出ていないとしても、このまま無関心に放置していいとも思えない。
有事に備えて万全の体制を整えておくべきだと焦る感情は、セシルの腕を引いてそっと唇を重ねてくるレオンにも十分に伝わっているはずだった。
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