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30. 雛鳥の目覚め
しおりを挟む「あ~~! 尻が痛えぇ~~!!」
「うーん、肩もだいぶ凝ったなぁ」
「眼もしぱしぱしますよぉ」
第六研究室から依頼されていた古代遺跡の発掘品を解析する業務が、本日すべて終了した。ジェフリーがずっと座りっぱなしだったせいで身体を痛めたことに文句を言う。セシルがそれに便乗すると、ずっと顕微鏡を覗いていたルカも目が乾いたと愚痴を零し始めた。
「あはは、皆さん本当にお疲れさまでした」
部下たちの疲労を察したマルコムがにこやかな笑顔で三人を労ってくれる。だがそのマルコムが一番疲れているようだ。目の下の隈が濃い。それに睡眠不足とストレスのせいか、明らかに解析の手伝いを始める前よりやつれている。
全員身体がボロボロの満身創痍だが、その甲斐があってか第六研究室から依頼された解析業務はおおむね予定通りに進行した。こうして無事に終えることができたため、明日からはまた本来の論文作成業務が始まる。
その論文が完成すると同時に、セシルは王立魔法研究所を退職することとなっていた。
(あと二週間、か……)
マギカ・リフォーミング予定日の一か月前。アレックスを目覚めさせる日。
アレックスが目を覚ませば、セシルは彼と行動を共にすることになる。魔法書『始祖なる魔法の系譜』によると、対の魔法を扱う二人は常に行動を共にする必要があり、もし魔力が欠乏するとアレックスは再度眠ってしまう可能性が高い。
彼を目覚めさせるための薬は、三つしか用意がない。そのうち一つは最初に起こす際に使用するので、予備は実質たったの二つ。アレックスが精通を迎えるまでは新しい薬の製作が困難なため、彼の男性機能が成熟する前に薬を使い切ってしまうと、今度は本当に目覚めさせることが出来なくなってしまう。
不測の事態を避けるため、アレックスを取り巻く人々は皆、目覚たあとの環境を懸命に調整中だ。
アレックスに与える予備の魔力の確保、彼の主治医を中心とした魔法医療チームの強化、アレックスの魔法の教師の選出、マギカ・リフォーミングの継続実施の検討――そしてセシルをアレックスのパートナーとして確立するための動き。
アレックスが目覚めれば、セシルは常に彼と行動を共にすることとなる。しかし王族どころか今は貴族ですらないセシルが、突然第一王子の傍に身を置くとなると、当然それを受け入れられない者も出てくるはずだ。そのためセシルをアレックスのパートナーとして公的に認めさせるための調整が進んでいる。
セシルも国王と王妃への挨拶を済ませ、自らの口で魔法書に書かれていたことを翻訳して説明し、彼らの提案を受け入れることに同意した。それと同時にセシル自身もこの『蓄積と隠匿の魔法』を強化する訓練に臨み、彼の目覚めに備える日々を送っている。
その一方で、レオンと共に『セシルがアレックスの傍にいなくてもいい方法』も模索している。暇を見つけては書物を読み漁り、レオンと議論を重ねることで、セシルがレオンの傍に身を置くための方法を必死に考えているのだが。
(解決策は、なにも見つかってない……)
他の準備が着々と進行しているのに対し、セシルとレオンの希望だけは暗礁に乗り上げたまま停止している。
何年かかるかわからないが、アレックスが魔力をコントロールできるようになれば、四六時中一緒にいる必要はなくなるはずだ。そうすればセシルがレオンと共に過ごす時間も作れるだろう。レオンの提案通り、夜だけでも彼と一緒に過ごす――はさすがに不埒な考えかもしれないが、二人で過ごす時間を多少は確保できるはずなのだ。
「ではお疲れ様会にしましょうか。今日は僕の奢りですよ」
迫りくる刻限に内心一人焦っていると、マルコムの明るい声が研究室内に響いた。ハッと我に返るセシルの隣で、ルカとジェフリーが喜びの声を上げる。
「わーい! ごちそうだー!」
「室長太っ腹~」
二人の喜ぶ姿を見ていると難しい考えがどこかへすっと溶けて消えていく。明るい同僚たちに、セシルはいつも密かに慰められているのだ。
マルコムと目が合うと彼がにこりと笑顔を見せる。ルカとジェフリーにはまだ伝えていないが、マルコムには研究所の退職と言える範囲での事情の説明が済んでいる。
セシルの不安を酌み取って微笑んでくれるマルコムに感謝して、今日はセシルもたくさん食べて飲もう――と決めた矢先だった。
廊下の向こうからパタパタと複数の足音がしたかと思うと、その足音が研究室の前で止まる。直後にピピッと音がすると、開いた扉の向こうからある人物が室内に転がり込んできた。
「セシル様、皆様、お疲れ様です」
「ローランド様……!?」
その人物の姿を認めた瞬間、セシルは思わず大きな声を上げていた。
入り口に立っている女性事務職員の姿を見て、ローランドが無理矢理乗り込んで来たのではなく、正規の手続きを踏んで研究所の職員に連れられてここへやってきたことに気付く。
ルカとジェフリーが、誰? と不思議そうな顔をしているが、二人に事情を説明している状況じゃないこともわかる。
「申し訳ありません、セシル様。これから城に来て頂きたいんです」
「え?」
研究員たちへの労いの言葉を述べて以降ずっと息を切らしていたローランドが、ようやく呼吸を整えてセシルに向き直る。そのまま数足歩んでセシルの耳元に唇を寄せると、他の者には聞こえないほどの声量で驚きの事実を囁く。
「アレックス殿下が、目を覚ましてしまいました」
「え……ええっ!?」
思いもよらない報告に、せっかく密やかに報告してくれたローランドの配慮を台無しにするほどの大声量を発してしまうセシルだった。
* * *
「申し訳ございません、こちらの都合で」
「いえ、大丈夫です……」
王城の廊下を早足で歩きながら、ここに来るまでに何度も繰り返されたローランドの謝罪に苦笑を返す。
彼が謝る必要はない。どう考えても、彼も迷惑に巻き込まれた側の人間だ。
『王妃が……フローレンス妃殿下が、アレックス殿下に勝手に薬を飲ませて、目覚めさせてしまったんです』
馬車の中でローランドから聞いた説明に、セシルはこれまでの人生で一番間抜けな『へ?』という声を発してしまった。
今までアレックスの父である国王を筆頭に、弟のレオンやその側近ローランド、他の王族たち、事情を知る一部の貴族たち、後に彼をサポートすることになる魔法医や強い力を扱う魔法使い、未熟なアレックスを守るための騎士たち、そしてセシル自身も、来るべき『目覚めの瞬間』を万全な状態で迎えられるよう準備を進めてきた。
その叡智と努力の結集を、国王陛下の正妃であるフローレンスが先走って崩壊させてしまった。完成していた薬を勝手に持ち出してアレックスに飲ませ、勝手に起こしてしまったのだ。
だがその気持ちがまったくわからないわけではない。
二十年という長い眠りにつき、その間一度も目覚めていなかった愛しい息子が目を覚ます方法が、すぐ傍にあるのだ。以前挨拶をした際に正妃フローレンスが愛息アレックスを溺愛していることは彼女の態度からも感じていたし、眠りにつく前からアレックスを大切に慈しんでいたことも想像に容易かった。
国王と王妃は他に三人の王女をもうけているが、王子はアレックスただ一人。彼の目覚めをフローレンスが今か今かと心待ちにしていたことも、一刻も早く会いたくて焦れる気持ちも理解できるので、誰も彼女を責めはしないだろう。
ただ一人、レオン以外は――
「レオンさま!」
「……セシル」
アレックスが地下の部屋から魔力を蓄積しておく装置ごと自室に移されたと聞き、許可をもらったセシルもアレックスの部屋へ通された。広い部屋に入るとそこには十数人の人が集っており、入り口のほど近い場所にレオンが佇んでいた。
レオンが勝手な真似をしたフローレンスを責めているのではないかと冷や冷やしていたセシルだったが、彼は思ったよりも冷静だった。しかしセシルの顔を見るなりほっと安堵の表情を浮かべたので、やはり怒っているには怒っているようだ。
「悪かったな、セシル。仕事の後に呼び出して」
「いえ、それは全然……」
「ああ、セシル!」
近付いてきたレオンが労いの言葉をかけてくれるが、それに反応したのはやり取りを聞いていた王妃フローレンスだった。部屋の中央にある大きなベッドの傍にいた彼女が、セシルのいる入り口の方へ視線を向けてくる。
以前国王に謁見して挨拶をしたときに彼女にも会っているが、最初に会ったときはレオンとその傍に立つセシルが気に入らないと言わんばかりの態度だった。冷ややかな視線を向けられ、セシルは一人で震えあがっていた。
しかし今夜はまったく違う印象だ。冷たい態度が一変し、表情も明るく声も高く、喜びを全身で表現される。
「本当によくやったわ、大成功よ! おかげで私の可愛いアレックスが、長い眠りから目を覚ましたんですもの!」
豪奢なドレスの裾を摘まみ、レオンを押しのけてセシルの傍までやって来ると、セシルの手を取ってぶんぶんと振り回す。
至近距離で見るとその美貌に驚くが、今はそれよりも別の驚きの方が強い。感情が昂っているのかフローレンスの目はらんらんと輝いており、セシルの手を握る指先の力も女性のものとは思えないほど強力だった。
「本当にいくら感謝しても足りないぐらい! 欲しいものがあれば何でも言いなさい。なんだって用意させるわ!」
「は、はあ……」
フローレンスの圧に負けて、曖昧な返答を零す。
その様子を見てセシルとフローレンスに声をかけてきたのは、ベッドに半身を起こした、まだあどけなさが残る少年、アレックス王子殿下だった。
「ははうえ……その人はだれですか?」
アレックスの声を聞いたフローレンスが瞳を輝かせたまま愛息子を振り返る。
「聞いてちょうだい、アレックス。この子は貴方の人生のパートナーよ」
「!」
フローレンスが放った言葉に驚くセシルだったが、それより強く反応したのはレオンだった。
(……レオン様)
セシルの傍で何も言えないまま佇んでいるレオンの拳に力が入る。ギリリ、と音するほど怒りの感情を滲ませて、喜びの表情を浮かべるフローレンスを睨み付ける。
その忌々しそうな表情を間近で見ていたセシルは、何とも言えない気持ちで胸が押しつぶされそうになった。
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