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26. 見えない攻防戦

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 仕事が終わるとマルコムと研究所長に呼び出され、王城からの要請とセシルの意思に相違がないかを確認された。秘密にしなければいけない部分を上手く隠しつつ事情を説明し、セシルが自分の意見を述べると話はすぐにまとまった。

 これでセシルはアレックスを起こすための秘薬作りに集中できる。

 資料庫で見つけた書物『始祖なる魔法の系譜』によると、自然循環の魔法を扱う者は常に魔力と体力を消耗し続ける状態になる。その影響か、一度眠りにつくと中々目覚めない状況に陥ることも決して珍しくないらしい。

 ゆえに本にも対処法が記されており、特殊な覚醒薬は複数製作して常備しておくことが望ましいとされている。その記述にならい、今回セシルも最低三回分の薬剤を作る手筈となっていた。

 明日の薬作りはセシルも体力を使うだろう……と考えながら研究所のエントランスから出ると、目の前にここ最近よく目にする馬車が横付けされていた。

「セシル」

 御者が扉を開けると中からレオンが顔を出した。セシルの姿を見つけると、すぐに柔らかく表情を緩めてくれる。その優しげな笑顔を見るだけでセシルも自然と嬉しくなってしまう。

「レオン様、申し訳ございません。わざわざ迎えに来て頂いて……」
「いや、いい。俺も早く会いたかったからな」
「!」

 今朝まで一緒にいたのに、言われたこちらの方が恥ずかしくなるぐらいに甘やかされている。それがただの戯れだとわかっていてもセシルもつい喜んでしまう。自分でも女々しいと自覚しているが、手を差し出したレオンに、

「ほら、早く来い。足元気をつけろよ」

 と微笑まれると、またその表情に見惚れてしまう。

(レ、レオン様って本当に男の人なんだろうか……いつもすごいキラキラしてる……)

 今日も笑顔が眩しい。昨日、セシルが真実を告げたときの怒りと絶望に満ちた表情とは違う。

 いや、造形が美しいレオンはどんな表情も魅力的だ。昨日はセシルもそれどころではなかったが、怒ったときに眉間に皺を寄せた表情も、悲しみで項垂れる表情も、嫉妬心を剥き出しにした野性的な表情も、今改めて考えてみれば芸術品のように美しい。同じ年齢と性別を持つ、同じ人間ではないみたいだと思えるほどに。

(って、男に決まってるんだけど……)

 そう考えてすぐに、自分の考えを自分で否定する。それはそうだ。散々『あんなこと』をされておいて、男じゃなかったらなんだと言うのだ。

 自分の発想に苦笑いしつつ馬車に乗り込もうとする。しかし足台につま先を乗せる直前で、後ろから誰かに声をかけられた。

「セシル!」
「! ジェフリー!?」

 振り返って相手の顔を確認した瞬間、驚きの声をあげてしまう。大声でセシルの名前を呼んで引き留めてきたのは、同僚のジェフリーだった。

 セシルは仕事――といっても今週はほぼ読書をしていただけだったが――を終えてからマルコムと研究所長に呼び出され、報告と意思確認のためにこの時間まで研究所に残っていた。

 しかし特に用事のないルカが終業と同時に退勤したので、てっきりジェフリーも同じタイミングで帰ったとばかり思っていた。

 焦ったように駆け寄ってきたジェフリーが、振り返ったセシルの両腕を正面からがっちりと掴む。

「セシル、お前家に帰らないのか? この馬車は一体……」

 爵位を返上したセシルの父は、持病の療養のために自然豊かな王都の郊外へ移り住んだ。その際に元々邸宅としていた館も売却したが、セシルが郊外の館から研究所へ出勤するにはあまりに遠すぎる。

 そのため現在のセシルは若者でも住みやすい集合賃貸にひとり暮らし中で、同じ区画に住むジェフリーとは帰る方向が一緒である。

 何もなければ一緒に帰宅することや、時には共に夕食を摂ることも多いので、もしや今日もセシルを待っていてくれたのかもしれない。

 だとしたら申し訳ない。約束をしていたわけではないが、セシルは今日も家に帰れない。明日、朝早くから王城で薬の製作をするからだ。

「え……アレックス殿下!?」

 馬車の中にレオンの姿を見つけ、ジェフリーが驚愕の声をあげる。馬車を見つけた時点で王家の紋様には気付いていたはずだが、中に王族である『アレックス王子殿下』本人が乗っているとは思わなかったのだろう。

(そっか、ジェフリーあのときいなかったもんね……)

 以前レオンが研究室に乗り込んできてセシルを強制連行したとき、どこかで仕事をさぼっていたのか、ジェフリーは研究室にいなかった。ルカとマルコムもレオンが乗り込んで来た状況をジェフリーに話していなかったようで、今の今までセシルとレオンの接点を知らなかったのだと思われる。

 それならばこの状況は驚くに決まっているだろう。

「おい、なんなんだ一体」

 どう説明すべきかと考えあぐねていると、様子を見ていたレオンが中から声をかけてきた。ただし『アレックス』と呼ばれたせいか、レオンの声音はいつになく低く冷え切っていた。

「……。セシルをどこに連れて行くおつもりですか」

 ジェフリーがそのレオンに負けず劣らず低い声を発する。いつも朗らかで楽天的な兄貴肌のジェフリーには珍しい、やけに冷めた温度と刺々しい聞き方だ。

 ジェフリーの態度に思わずセシルの方が焦ってしまう。セシルとは恋仲にあり、広く民衆に知れ渡っているよりも実際は穏やかな性格の持ち主であるとはいえ、レオンは王族――王子殿下だ。

「あ……違うんだ、ジェフリー。僕は別に怒られたり罰されたりするわけじゃなくて……」
「どこだろうと貴様には関係ない」

 険悪な空気を察知してフォローに入ろうとしたセシルだったが、その気遣いを払い退けたのは他でもないレオンだった。

 しかもただ冷たくあしらうだけならまだしも、馬車からのそりと降りてきたレオンは、ジェフリーではなくセシルに腕を伸ばしてくる。

 そしてそのまま、セシルの腰を抱き寄せて身体を密着させてくるではないか。

「え、ちょっ……レ……アレックス様!」

 突然の行動に驚いて危うくジェフリーの前で『レオン』と呼びそうになる。それを大慌てで『アレックス』と修正しているうちに、レオンがさらに腕に力を込めてセシルを抱きしめてきた。

 友人同士ですら絶対にありえない距離感だ。それを見たジェフリーがどう思うのだろうかと不安になったセシルは、慌ててレオンの腕を引き剥がそうとする。

「王子だからって何しても許されるのかよ!」
「な、ちょ……ジェフリー!?」
「今のセシルは貴族令息じゃない。ただの一般人だ。あんたの気まぐれでセシルを連れ回すのは止めてくれないか」

 セシルの判断は遅かった。間に合わなかった。元々豪快で粗雑な印象のジェフリーだが、性格は温和で人懐こく、穏やかである。

 だからレオンを糾弾する台詞を本人に面と向かってぶつけるとは思ってもおらず、さぁっと青ざめてしまう。

 ジェフリーが不敬罪で罰されるのではないかと考えて助け舟を出そうとしたが、思ったよりもレオンの反応は薄かった。

「……ああ、なるほど。お前、セシルが……」

 いや、薄いというよりもセシルの予想から大きく外れていた。へえ、と納得したような、けれどつまらなさそうなため息を零すと、ジェフリーを挑発するようにさらにセシルに顔を近づけてくる。

(れれれ、レオン様ー!)

 そのまま頬に口付けられてしまうのではないかと内心で大絶叫するセシルだったが、レオンはその場ではそれ以上のことはしなかった。代わりにセシルの身体を抱き寄せると、そのまま馬車の奥へ押し込まれる。

「セシルには仕事を手伝ってもらっているだけで、俺が好き勝手に連れ回してるわけじゃない。セシルの上司とここの所長にも許可は取ってある。気になるならその二人に聞けばいい。――答えるかは知らないがな」
「……」
「もういいか?」

 さっさと話を終わらせたいとでも言いたげな態度で、レオンも馬車へ乗り込んでくる。

 外ではジェフリーが苦々しい表情をしていたので、彼がセシルを心配してくれていることは十分に伝わってきた。面倒見がいいジェフリーは、きっとセシルの身を案じてくれているのだろう。

「ジェフリー、大丈夫だよ」

 申し訳なさとありがたさを感じながら、閉じる寸前の扉の隙間からジェフリーへ声をかける。大事な同僚で数少ない友人に、こんな風に心配をかけていることを少しだけ情けない、と感じながら。

「前に僕がアレックス殿下を引き止めたから、罰されるんじゃないかって心配してくれてるんだよね」
「え、いや……」
「でも大丈夫。ちょっと特殊な頼まれ事をしてて、そのお仕事に行くだけだから」

 セシルの説明に、ジェフリーの表情がまた少し曇る。

 安心してほしいという気持ちが上手く伝わっていないように思ったが、これ以上研究所の前で時間を使うわけにはいかない。明日に備えてやらなければならないこともあるし、長居すればするほど無関係の人に見られて、不穏な噂を立てられる可能性も高まる。

「じゃあジェフリー、また来週」
「……」

 少しでも安心してもらえたら、と考えて、御者が扉を閉めてもしばらくは笑顔で手を振り続けた。

 その様子を見てくっくっと喉で笑うのは、広い座面に腰を落ち着けたレオンだった。隣に来い、と視線で促されたのでレオンの隣に座ると、すぐに肩を抱かれる。そして何故か勝ち誇ったような表情で、セシルの身体をさらに傍へ引き寄せる。

「あいつも不憫だな」

 レオンが呟いた言葉の意味を理解するまで、セシルは少しの時間を要した。

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