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24. 大いなる魔法と小さな願望
しおりを挟む二日後。
ローランドから薬の材料が揃ったと報告を受けたセシルは、確認のために再び王城を訪れていた。
レオンの私室に通されると、テーブルの上に広げられた薬草や精製水や魔法生物の臓物などを一つ一つ検品していく。滅多にお目にかかれない珍しい材料の数々に、セシルは一研究として密かに心を躍らせながら作業を進めた。
確認を終えて、最後の材料である『近親者の精液』以外は間違いなく揃っていることを告げると、ローランドがにこりと微笑んだ。
「ではこちらの材料は作業をしていただく別室へ運んでおきます。明後日、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
セシルがぺこりと頭を下げるとローランドが数人の人手を呼んで薬の材料とともに退出していく。
その姿を見送ったセシルは、肩掛けバッグの中から取り出した本を傍にいたレオンへ差し出した。
「レオン様。本、ありがとうございました」
「ああ」
本がレオンの手に渡る。それもしっかりと見届けると、すぐにくるりと踵を返す。
「では明後日、薬を作製する時間に改めて登城いたします。本日はこれで……」
「おい、セシル」
振り返った勢いに任せて部屋を出ようとしたセシルだったが、レオンの鋭い声に退室を妨げられた。その声の低さにびくりと肩を震わせる。
しかし動きを止めただけでレオンの表情を確認することは出来ない。顔を上げられない。
動けないまま俯いているとレオンが二歩だけ歩んで距離を縮めてきた。
真後ろに並ばれるだけで、同じ年齢なのにかなりの身長差があることを実感する。傍に立っているだけで威圧感があるような、その反面、大きな存在に包まれて安心感を覚えるような、不思議な気分になる。
「セシルの様子がおかしいのは、見ていればわかる」
「……」
「どうした、何かあったのか? なんで俺に相談しない?」
レオンがセシルの態度を追及する。その声音とピリリとした空気から、彼がセシルに対して不満を抱いていることを窺い知る。
元々人付き合いに乏しいせいか、こういう時のセシルは本音を上手く隠せない。相手の追及をかわす術に疎い。そんな自分が情けない。
「この本に他に何かが書いてあったんだろう? アレックスは目覚めないのか?」
「いえ……。アレックス殿下はちゃんと目覚めると思いますが……」
もちろん実際に薬を作って飲ませてみなければ、絶対にアレックスが目覚めるという保証はない。
だがセシルは理解している。本から得た知識が――己の中に眠る本能が、『これが正解だ』と語りかけてくる。
アレックスを起こす魔法薬はセシルが必ず完成させる。だからきっと、アレックスは目覚めるだろう。
ただ、それがセシルとレオンにとっての『正解』かどうかはわからない。――わからなく、なってしまった。
「……実はこの本に、僕の魔法のことも書かれてました」
「!」
きっと一人で悩んでいても正解は出ない。それに自分の感情をちゃんと隠せていなくて、レオンにもあっさり見破られてしまった。
だから素直に白状することにする。
これは、レオンにも関係のあることだ。
「レオン様……僕のこの魔法は『アレックス殿下』のための魔法だったんです」
「? どういうことだ?」
本を持ち帰ってよく読み込んで知った。セシルが自分自身を被験体にしてでも知りたいと探し求めていた答えは、導かれるように手に取ったこの本に記されていた。
セシルの魔法の秘密は、これまでずっと王城の資料庫の中で守られていたのだ。
「アレックス殿下はただの魔力欠乏症ではありません。この本に記されている記録によると、殿下は数百年に一度、王族に生まれるという『自然循環の魔法』を扱う存在です」
「自然循環の魔法?」
この世界に住む人々は、自然界に存在する『マナ』と呼ばれる力と、己の中に存在する『魔力』を混ぜ合わせたときに生じる反応を『魔法』と呼んで、様々な場面に利用している。
マナと魔力の割合や分量を調節することで、大きな魔法から小さな魔法まで多種多様な力を扱うことが出来るのだ。
しかし自然の恵みともいえるマナには限りがある。長い年月をかけて人々が自由に使い続ければ、いずれは枯渇してしまうと言われているのだ。
だから数百年に一度、大量のマナを取り込んで一斉に浄化し、再び活性化して大自然に戻すための『自然循環』を行う必要がある。
その大役を担う者は王族の中にしか生まれず、稀有な力を持って生まれた者は必ずその役目を全うする。
過去にも何度か同じような存在が王族の中に生まれており、皆その役割を請け負ってきた。運命に選ばれた者でなければ自然循環という大いなる魔法を扱えないが、マナが生まれ変わらなければ、民も末永く魔法を使い続けることが出来ないからだ。
「つまり王家がアレックスのために偽りの理由として掲げていた『マギカ・リフォーミング』は、実際には本当に必要な処置だったということか?」
「その通りです。そしてその役割を担うのが、おそらく『自然循環の魔法』を生まれ持ったアレックス殿下……」
現世における『自然循環の魔法』を扱う者は、他でもないアレックスだった。
しかし幼い彼は自然循環の魔法を適切にコントロール出来なかった。本人も知らないうちに未熟な魔法を使ってしまったために、大量の魔力を消耗して、その結果昏睡状態に陥ってしまった。
そして今も一年に一度の頻度で大量の魔力を注ぎ込まなければ生命を維持できないほど――長い眠りから目覚められないほど、常に大量の魔力を消耗し続けている。
それもそのはず。自然循環の魔法は、本来は一人で扱えるような代物ではなかった。まして魔法の力が未熟なまま、訓練を受ける前に簡単に使っていい魔法ではなかった。五歳のうちに発動してしまうには、あまりに危険な魔法だったのだ。
「大量の魔力を消耗する『自然循環の魔法』を扱うためには、いざというときのために魔力を温存しておく『器』が必要なんです」
「! じゃあ、まさか……」
「そうです。その『魔力の器』となるのが、僕が生まれ持った『蓄積』の魔法です」
そう、この自然循環の魔法は本来は一人で扱うべきものではない。大いなる力を適切に扱うためには、別の魔法も必要だった。
それがセシルの扱う『蓄積と隠匿の魔法』――『自然循環の魔法』の補佐として機能する魔法。大量の魔力が必要になったときのために、魔力の予備を温存しておくための魔法だ。
おそらくこの魔法の本質を考えると、蓄積したものを『隠す』ことは主たる目的ではない。ただ大量の魔力を一人の人間が有することを知られて都合がいいことはない。
だから本当に必要になったときに即座に魔力を明け渡せるように、普段は周囲から魔力の存在を知られないよう『隠匿』ができるのだと推察される。
「アレックスの魔法とセシルの魔法は、二つで一つの役割を担うというわけか」
「……はい」
ローランドから『どうしてセシル様だけ読めるのでしょう?』と訊ねられたとき、咄嗟に『わかりません』と返答した。だが身体の中に感じた奇妙な感覚から、セシルは真実を理解していた。
きっとこの本そのものに特殊な魔法がかけられている。古より眠る龍が復活して、それを討つ剣聖が現れたとき。不治の病を発症して、それを克服しなければならない者が現れたとき。
強力な力が必要になったとき、その対象者にのみ大いなる魔法を紐解くことが許される。
本を開いたときに生じた何かに引っ張られるような感覚と全身を駆け巡るような強い力は、きっと本にかけられた秘密を解除する〝合図〟だった。
そしてセシルが運命に導かれるように書物を開いた瞬間、閉じ込められていた真実の鍵が開かれたのだ。
「『セシル』は『アレックス』のための存在……」
「……」
レオンがぽつりと呟く。眉間に皺を寄せ、忌々しげな表情に変わる。
この事実に最も衝撃を受けたのは間違いなくセシルだ。
持ち帰った本を熟読して感じた。
記されていた過去の記録と現在のアレックスの状況。誰も知らない唯一無二の魔法を自分が生まれ持ったこと。本棚の前でレオンに抱かれたこと――否、もっと前のセシルとレオンが王立貴族学園で最初に出会ったときから、本当はこうなるように定められていたのではないかとさえ思えて……セシルはひとり震えあがった。
けど、だからこそ、レオンもセシルと同じぐらいに強い衝撃を受けているとわかる。
「何から何まで俺から奪うんだな、あいつは」
「……レオン様」
「城下での穏やかな暮らし、母メリアンナ、本当の名前、俺の人格、途方もない時間――俺だけのセシル。全部あいつに持っていかれる……俺の存在なんて知りもせずにただ眠ってるだけのくせに」
第一王子アレックスの目覚めは国の最重要課題だ。今にして思えば、レオンが視察と称して魔法研究の最高峰である王立魔法研究所を訪れていた理由も、アレックスを起こす方法を探していたからだと理解できる。
そう、レオンを含むすべての関係者たちが、アレックスを目覚めさせる方法を探していた。セシルも出来ることならば早く目覚めてほしいと考えていた。
だから彼が長い眠りから目覚める方法を知っているのに、実行せずに放置するという選択肢は元より存在しない。
存在しない、はずなのに。
「アレックスが目覚めたら、あいつはお前が必要になるんだろう?」
セシルの説明を聞いたレオンもすべてを察したらしい。長く深いため息が空気に溶けゆく。
「マナを循環させるために人より多くの魔力を使うあいつは、必要なときに魔力が供給されなければ……魔力を蓄積して隠しておけるセシルが常に傍にいなければ、いつかまた眠ることになってしまう」
「……記録に書かれていることが正しければ……そういうことになります」
自然循環の魔法を扱う『特別な王族・アレックス』と、それを補佐する蓄積の魔法を扱う『器の存在・セシル』は、共にあってこそその効力を発揮する。
逆に常に傍にいなければ魔法が適切に機能しないばかりか、アレックスの健康状態に影響を及ぼすことになるだろう。
セシルとアレックスが互いと深く結びついて生きることは、逃れられない運命なのだ。
――たとえそれを望まない人物が、すぐ傍にいたとしても。
「俺じゃなくて、あいつの傍に、か……」
レオンの表情が苦痛に歪む。また『奪われる』と知り、端正に整った顔立ちに翳が差す。
苦悶の表情を傍で見ていたセシルは、レオンにどんな声をかけていいのかわからなかった。
もちろんセシルも、レオンの傍にいられなくなる状況が辛い。セシルがアレックスにとって必要不可欠な存在であると広く知れ渡り、常にアレックスの傍にいることが当然であると決めつけられ、レオンと触れ合う時間を奪われることを望んでいるわけではない。
しかしセシルの落胆とレオンの絶望は比べ物にならないだろう。これまでレオンは、自らのすべてをアレックスに捧げてきた。彼の言葉を借りるならば、眠っているだけで自分の存在すら認識していない相手に、本当に何から何まで奪われて生きてきたのだ。
――かける言葉が見つからない。だからレオンを傷付けると知っていたならここでは話さない方が良かったのか、とも思うし、アレックスが目覚めた後から真実を知る方が残酷だ、とも思う。
そんなレオンに少しでも寄り添いたくて、彼の頬に手を伸ばす。
何の慰めにもならないことは百も承知だった。けれどもし今彼の苦しみや悲しみを請け負って、すべてを蓄積して隠してしまえるのなら、いくらでもそうしてあげたいと思う。それが出来るのは自分だけだと思える。
指先がレオンの頬に触れる。
その刹那、触れかけていた腕をレオンの手に掴まれ、ぐいっと強く引っ張られた。
あまりの勢いにバランスを崩して倒れてしまうかと思う。けれど実際には倒れなかった。その代わりに。
「レオ……っ……!」
急な力に引き寄せられて強引に重ねられた唇と鋭い視線からは、ひどく獰猛で熱い温度が迸っていた。
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