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15. 眠れる獅子が起きるまで 前編
しおりを挟む「マギカ・リフォーミングの日までにアレックス殿下が目覚めなければ、これはお返ししなければなりませんね」
お腹の上に何度も口付けてくるレオンに、くすぐったさを感じながら告げる。すると動きを止めたレオンが顔を上げてセシルをじっと見つめてきた。
しかし目が合うとすぐに視線を逸らされて不服そうに唇を尖らせるので、セシルは思わず苦笑いを零してしまう。
「……別に捨ててもいい」
「そうはいかないでしょう」
いくらレオンに王位を継ぐつもりがなくても、兄の状態が安定していて目覚めの時が近くても、これが王室にとって重要な子種であることに変わりはない。
五歳で眠りについたアレックスが目覚めてすぐに二十六歳の王子として生活できるとは限らないし、彼も王位を継ぐことを拒否するかもしれないのだ。
それに国王陛下も御年五十を超えており、正妃フローレンスもそれに近い年齢のはず。レオンの生母であるメリアンナの正確な年齢はわからないが、いずれにせよ世代を繋ぐ可能性は一つでも多く残しておくにこしたことはない。
以前は諦めようとしたこともあったセシルだが、事情を知った今はこの子種を簡単に捨てることなど考えられない。そう考えてレオンに意見するが、彼はやはり不機嫌なままだ。
「俺は、セシルがいればそれでいい」
駄々っ子のように呟くレオンについ呆れたため息が出そうになる。そしてそれと同じぐらい、彼がセシルを望む理由に疑問を持つ。
「あの……レオン様は、どうして僕のことを?」
「……ん?」
「学園時代から特に目立っていたわけではないですし、成績が特別良かったわけでもありません。ダーウィス家に大きな力があった、ということでもないですよね?」
こうしてレオンに望まれること自体が嫌なわけではない。むしろ人との深い関わり合いを避け、誰に対しても冷たく尊大なレオンが、自分だけに真実を伝えて本音で甘えてくれることは素直に嬉しいと思う。
だがレオンが自分を特別扱いする理由がわからない。セシルにはきっかけが思い当たらないのだ。
「最初に疑問を持ったのは『俺に興味がない』ことだった」
レオンの告白はセシルの想像と大きく異なっていた。意外な言葉を聞いて、つい首を傾げてしまう。
「俺は五歳の頃から王族としての振る舞いを叩き込まれたが、その目的はすべての国民を完璧に騙すことにあった。『レオン』としてはどうでもよかったが、いずれ王太子……ゆくゆくは王になる『アレックス』は、すべての民から興味と関心を持たれる存在であれ、と言われ続けてきた。だからそれまでの十二年間、俺は『アレックス』に成りきることに心血を注いできた」
もちろん五歳で眠りについて以降一度も目覚めていないアレックスの正確な体型や体格、性格や話し方や好き嫌いなどを完全に模倣することは出来ない。
しかしいつか真実を公表する日が来るまでの間、レオンは身代わりの王子として、健やかな王子であること王室に何の憂いもないことを装わなければならなかった。もちろん国民から注目され『王族らしく』あることも求められた。
「なのにお前だけは俺に一切の興味を持たなかった。もちろん接する相手が少ない方が、俺の正体を知られる可能性は減る。だから放っておいてもよかったんだが、結局話しかけるまで目が合うことさえなかった。それほど『王子』に無関心な者は、学園内にセシル・ダーウィス以外存在しなかった」
アレックスに興味を持たないただ一人の学園生。そんなセシルにレオンの方が興味を持った。
自分に関心のない相手に近付けば、一歩引いた場所から冷静に客観視されて真実を看破される可能性もあったのに、結局その危険よりも己の興味が勝った。
「セシルは近付いてきた相手に怪しい魔法を使って不幸にすることを楽しんでる奴だ、と噂されてたからな。どんな危ない奴なのかと思っていたが、話かけたら案外普通で驚いた」
「ええっ、僕そんな噂になってたんですか!?」
「なってた」
思わぬ噂話にセシルの声がひっくり返る。
確かに自分から人を避けていたし、薄々周囲から避けられていることも感じていた。
だがまさか、周りに危険人物扱いされていたとは想像もしていなかった。それを知っていて近付いてくるレオンもレオンだと思うが。
「実際のセシルはただ物静かで本好きな奴だった。むしろ他と違って俺に媚びることも下手に褒めることもしないし、取り入ろうとしてすり寄ったり、逆に敵視して攻撃されることもない」
「それはまあ、ある訳ないですよ……」
「だからそのうち、疲れたときはセシルの姿を探すようになった。傍にいるのに煩わしく話しかけられないだけで、俺には他の何よりも居心地が良かった」
レオンが吐露する心情につい言葉を失ってしまう。
偽りの自分を演じて、それに群がってくる者たちに敵視されたり逆に失望させたりしないようコントロールしながら、アレックスとして人間関係を構築して維持をする。それが自分に与えられた役目だと頭では理解していても、虚構の日々に心と身体が疲弊していく。
けれどセシルだけは何も言わずにただ傍にいてくれる。それが『レオン』にとっては唯一の癒しだったという。
実際のセシルは、レオンが傍にいると緊張して読書に集中できずにいた。だが彼が近付いてくることを嫌だと思ったことはなかった。
レオンに探し出されると彼が傍で過ごす時間が訪れることを知っていたのに、セシルも部屋にこもったり別の場所へ逃げることはしなかった。
「けどセシルと話すようになって少し経った頃、ダーウィス家が爵位を返上するという話を耳にした」
「!」
「俺は学園を卒業してもそれまでの関係が続くと思っていた。兄が目覚めたときに真実を打ち明けて、嘘をついていたことをお前に許してもらえたら、親しい友人として付き合っていけるとばかり思っていた」
熱を含んだ声で語るレオンの姿を、寝転がったままの体勢でじっと見上げる。昔を懐かしむような表情にまた見惚れてしまう。
「だが卒業後のセシルが社交界に入ってこないことを知った。それに気付いた瞬間、俺は自分の気持ちを自覚した。もっと前からセシルが『友人』以上の存在になっていたことに、そうなるまで気付けなかった」
「レオン、さま……」
だからレオンは、一刻も早く自分に興味を持ってもらいたくて必死だった。
これまでアレックスが興味と関心を抱かせる存在でなければいけない一方で、レオンには必要以上に興味を持たれたくないという二律背反の狭間にいた。しかしセシルとの関係に終わりがあることを知った瞬間、悩みはすべて吹き飛んだ。
そこから思考と計略の限りを尽くし、セシルに子種を預けることを思いついた。それが卒業と同時に一度距離を置くという流れに応じつつも、いつか兄が目覚めるときまで自分を強く印象付けておく『保険』になると考えた。
セシルへ説明した内容や不妊処置を施したことも嘘ではないが、レオンにとってはセシルに興味を持ち続けてもらうことの方が重要だった。何故なら。
「セシル、俺はお前が……」
「ま、まってください……!」
のそりと身を起こしてセシルの上に覆いかぶさってきたレオンに、慌てて抗議の言葉をあげる。
セシルには男性はおろか女性と付き合った経験すらない。だが自然な形で人を避けるために、他人の機微に敏感になった自覚はある。だからレオンがこの先何を言うつもりなのかも、想像がつく。
「これ以上は、お戯れでは済まなくなります……」
「俺は戯れで言っているわけじゃない。冗談なはずがないだろう」
セシルがやんわりと回避しようとしても、レオンはそれを許してくれない。逃がしはしない、とその眼が強く訴える。
「俺は王位は継がない。王太子にもならない。どこかの令嬢と結婚するつもりも毛頭ない。――だから俺を受け入れてくれ、セシル」
「え……えっと……」
「それとも、本物の王子じゃないとだめか?」
セシルが言葉に詰まると、レオンが不安げな表情になる。
しかし問題はそこではない。セシルは平民でレオンは王族……自分では偽りだと言うが、王の子である彼は紛れもなく本物の王子様だ。
(そうじゃなくて、僕たち男同士……)
身分の問題以上に自分たちが同性であることの方が問題だ。セシルは子種を『預かる』ことは出来ても、その子種で彼の子を『授かる』ことは出来ない。
レオンの気持ちと身分が本物でも、二人の間に子は産まれない。それはレオンも理解しているはずなのに、なぜか彼はその重大な事実にあまり頓着していない。
どう説得すべきかと考えていると、しびれを切らしたレオンが身体の距離をさらにぐっと近づけてきた。そしてそのまま、これまで以上に熱烈な愛の言葉を耳元に囁く。
「大切にする。お前を不幸にはさせないし、俺も不幸にはならない」
「!」
紡がれた台詞は、セシルの迷いのすべてを吹き飛ばすほどの力強い言葉だった。
愛や恋という前に、セシルは自分が生まれ持った魔法に怯えていた。不幸を引き寄せると告げられたこの性質のせいで、親しくなったり愛し合ったりした人が憂き目に合うことが怖かった。気味が悪いと突き放されることも怖くて、結局は他人と接する不安や恐怖から逃げていた。
しかしレオンはその気持ちを理解してくれる。セシルの辛さを知った上で『自分は絶対に大丈夫だ』と教えてくれる。
もちろん平気だという保証はどこにもない。何せ当のセシルがこの魔法の本質に辿り着けていないのだ。
それでも彼は強い眼差しで、大丈夫だと言ってくれる。傍にいても自分は不幸にならないし、セシルを不幸にもさせないと言ってくれる。レオンの熱意に陥落するには、その口説き文句だけで十分だった。
「セシル……」
「……ん」
くい、と指の先で顎を捕えられ上を向かされる。そのまま唇同士が重なることは拒否しなかったが、身体は自然と緊張で強張った。
レオンにキスされているという状況に全身が硬直して、その代わり頭がぽーっとして、抗議の言葉は泡のように喉の奥へ消えてしまう。
レオンはこれがセシルのファーストキスだと気付いていないかもしれない。セシルは恥ずかしくてたまらなかったが、レオンは触れ合う感覚を味わうように何度も唇を吸い上げる。ちゅ、ちゅっと可愛い音が聴覚を優しく刺激していく。
「ゃ……れ、レオン、さま……」
「そうだ」
唇が離れた隙に名前を呼ぶと、離れたレオンがわずかに微笑んだ。
「ずっと、そう呼ばれたかった」
レオンが熱の混じった息を零す。
セシルには偽りの名前ではなく本当の名前を呼んでほしかった。他の者と同じようにアレックスだけを認める言動が悔しかった。自分の正体を知られてはいけない、けれど本当は気付いて欲しい――レオンの眼にそう訴えられているようで、セシルの胸はまた切なく締め付けられた。
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