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14. 王子様のベッドルーム
しおりを挟むドンドンと扉を叩く強めの音が浴室内に響き渡ると、思わず身体がびくりと跳ねる。はっとして顔を上げると同時に扉の向こうから、
「おい、セシル? なんでそんなに時間がかかるんだ!」
とレオンの不機嫌な声が聞こえてきた。
「も、もも、もうすぐ! もうすぐ出ますから……!」
慌ててバスタブから立ち上がったセシルは、用意されていたタオルで全身を拭きながら扉の外に向かって大きめの声で申告する。すると「早くしろ」と言い残したレオンの足音が遠ざかっていく。随分とせっかちなことだ。
レオンの気配が離れたので息をつく。
しかしどうしてひとつのベッドルームの中に浴室が併設されているのだろうか、と疑問に思う。しかもこの浴室を借りる前に見かけたレオンの私室もやたらと広く、食事を摂るダイニングや仕事に使っているであろう執務デスク、衣装を納めたクローゼットなども同じ部屋の中にあった。
確かに広くて何でも揃っているこの空間ならば、生活のすべてをこの部屋一つで完結させられるだろう。だがこれほど広い王城ならば、本来は機能ごとに部屋を分け、もっと便利に快適に過ごせそうなものなのに。王家の人々は、全員がこんなに広くて豪華な部屋を持っているのだろうか。
(……もしかして、他の人と会わないように?)
最初は便利に思えたが、ふと真逆の疑問が湧く。
レオンは王の子ではあるが、正妃の子ではない。彼の本当の母も王城の敷地内に匿われているらしいが、好きなときに好きなように会えるわけではないという。
王子といえど庶子であったレオンに対する風当たりの強さや味方がいない環境は、容易に想像がつく。
「遅いぞ」
レオンの境遇を勝手に想像して淋しい気持ちを覚えながら浴室から出ると、レオンがセシルの傍へやってきた。それほど人恋しいのかとさらに切なくなるセシルだったが、レオンは真顔のまま、
「なんだ、服着たのか?」
と訊ねてきた。
服は着るだろう。用意してもらった男性用の夜衣はセシルの身体には大きく袖も裾もやや余るが、セシルに裸で眠る習慣はない。ということで、ありがたく借りることにします、とレオンに宣言したのだから着るに決まっているのに、セシルの姿を見たレオンは不服そうである。
「セシルは明日も仕事なんだろ?」
「あ、そうです。データ整理の途中だったんですよ」
レオンに強引に王城まで拉致された上に、今夜はここに留まることを強制されてしまったが、セシルは仕事が中途半端な状態だった。
そのまま放置して何か大問題が生じるほどのものではないが、明日は早く出勤してデータ整理を終わらせなければ、次の実験が円滑に開始できない。それに王城から研究所に出勤することを考えたら、移動に時間もかかるだろう。
「俺も明日は公務がある」
そう言ってセシルの手を取るレオンの誘導に従う。
ありがたいことに先ほど食事も用意してもらったし、脱いだ服も明日までに洗濯して乾燥まで済ませてくれるという。
ならばあとは寝るだけ……と考えていたセシルだったが、レオンがセシルを導いた場所は大きな天蓋付きベッドだった。そこに腰を下ろしたレオンが、びっくりしたまま固まるセシルの手を強い力で引っ張ってくる。
「え? ……い、一緒に寝るんですか!?」
「当たり前だろ」
わかりきったことを聞くな、とでも言わんばかりに眉根を寄せるレオンだが、すぐには頷けない。
セシルはこのだだっ広い室内になぜか五つもある大きなソファのどれかで、毛布でも借りて眠ることになるだろうと考えていた。しかしまさかレオンのベッドで、レオンが隣にいる状態で就寝することになるとは想像もしていなかった。
確かに彼のベッドは大人の男性が二人で寝ても問題ないほどに大きいが、ここで眠ることになるとは恐れ多いにもほどがある。
「別の部屋を用意させた方が良かったか?」
「え……。いえ……えっと」
レオンが「今夜、友人が泊まることになった」と告げると、メイドや執事は多少驚いた顔をしたものの、特に文句も言わずにセシルの世話も請け負ってくれた。その際にちゃんと確認しておけばよかった。
しかし貴族学園の初等クラスに通う子ども同士ではないのだから、まさかレオンの隣で眠ることになろうとは思っていなかった。
とはいえ、夜も更けたこの時間からゲストルームを用意してもらうわけにもいかない。もちろん毛布ぐらいなら言えば用意してくれるはずだが、レオンは有無を言わせない空気を醸し出しながらセシルの身体をベッドの中央へ引きずり上げてしまう。
そこへ二人で横になると、腰に腕を回されてゆるく抱擁される。セシルはこの状況にただただ照れて固まるしかない。つい数日前までの関係からは想像もできないほどの距離感だ。
「レオン様は、僕と親密にしていることを知られたくなかったのでは……?」
「まあ、そうだな」
至近距離で視線が合うと恥ずかしいので、レオンの呼吸に合わせて動く夜衣の胸元を見つめながら訊ねる。するとセシルの言葉を聞いた彼が、深く大きなため息を零した。
「本当は兄が目覚めるまで我慢するつもりだった。だが無視されるのは堪えた。今日ほど手紙の返事がないことに苛立ったこともないな」
「勤務時間中ですってば……」
世間の常識を身に着ける前の五歳という年齢から王族として暮らしてきたレオンだ。手紙を出してから本人の元へ届くまで丸一日から数日かかることも、働き人が朝出勤したら夜まで帰宅しないことも、感覚としてよくわからないのだろう。
「僕は六年間、冷たくあしらわれて無視され続けましたけどね」
抱きしめられたまま腰を撫でられると変な声が出そうになる。その指の動きに抗議するようにわざとムッとしたように告げると、レオンの手がピタリと動きを止めた。
「……すまない。それは本当に悪かった」
「!」
わがままで俺様、他人に冷たいと噂の王子が素直に謝罪の言葉を口にしたことに驚き、ついレオンの顔をじっと見上げてしまう。けれどそんなレオンの言葉と表情だけで困惑と不安の六年間が帳消しになる気がするのだから、自分でも現金で単純な奴だと思ってしまう。
だがすぐに自分が油断しすぎていることも実感する。しおらしさを一瞬で仕舞い込んだレオンが腰を抱いた腕に力を込めて、セシルの身体をぐっと引き寄せた。
「えっ……!? わっ……!」
「でも俺はもう、我慢はしないことにした」
不敵に笑ったレオンの瞳の奥に、ぎらりとした色欲の光が宿る。その変化を至近距離で見ていたセシルの背筋に、ぞくん、と甘やかな痺れが走った。
レオンの手が夜衣の裾から滑り込む。彼の指先がセシルのお腹の上に触れると、身体がピクッと反応する。
セシルの反応まで楽しむようにレオンが笑みを零す。麗しい王子殿下は笑顔も指遣いも、笑うときに零れる吐息までが優美で甘やかだ。
「ここに俺の子種があるんだろう?」
「……ありますよ」
静かな声で訊ねられたので、レオンの揺らめくアイスブルーの瞳をそっと見つめ返す。肌の上を撫でられるたびに身体がふるっと反応するが、セシルの照れと動揺を知っても彼の指の動きはやはり止まらない。
「見た目は変わらないな」
「そう、ですね。それに正直、本当にお腹にあるのかどうかは僕にもわからないんです」
セシルの特殊魔法は生まれつきのものだが、この魔法の全貌はセシル自身にもよくわかっていない。学園や研究所にある図書館や資料館で色々と調べてはいるものの、過去に同じ魔法が使われていたという記録もない。
だから実際のところ、レオンから預かった子種が身体のどこにあるかは、セシル自身にもよくわからないのだ。
「身体のどこかにはあると思うんです。でも意識するとお腹が熱っぽいというか、存在を感じるというか」
正確なところはわからないが、なんとなく下腹部に熱っぽさや違和感がある。特にレオンと再び接し始めたここ最近はその反応が顕著で、一週間ほど前は発熱と倦怠感のあまり仕事中に仮眠室で休憩をしたぐらいだ。
「ですからおそらくこの辺りに……ふぁっ!?」
セシルの説明をしっかりと聞いているのかいないのか。シーツに肘をついて身を起こしたレオンが、身体の位置を下げて話し続けるセシルのお腹の上に唇を寄せてきた。
お腹に口付けられた驚きと肌に触れる柔らかい感覚に、思わず変な声が出る。
慌てて口を押えて視線を下げる。すると上目遣いにセシルの顔をじっと見つめるレオンが、いつになく嬉しそうな顔をしていた。
「大事にしてくれてたんだな」
レオンの確認に言葉に詰まる。愛おしむような視線と言葉で確認されると、否定の台詞なんて出てくるはずがない。
セシルが照れながら顎を引くと、レオンが表情を緩めてもう一度お腹の上に小さなキスを落としてきた。
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