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11. 秘密の向こう側

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 ルカの声を聞いたとき、研究所の廊下には野次馬の人だかりができているかもしれないと思った。つい一週間ほど前にアレックスが視察で研究所を訪れたときも、彼の姿を一目見ようと皆仕事の手を休めて廊下に群がっていたのだ。

 だがマルコムの研究室が奥まった場所にあることと勤務時間が終了してから時間が経過していたことから、廊下にはほとんど人がおらず、すんなりと研究所を出ることができた。

 ただし未だに理解がついていかない。アレックスの馬車の中に引きずり込まれても、その馬が動き始めても、セシルはずっと困惑したままだった。

(えっと……なんでこんな状況に?)

 むしろ困惑はよりいっそう大きくなった。なぜなら馬車に乗せられたセシルはアレックスの膝の上に向かい合わせで座らされ、正面から抱きしめられっぱなしになっている。しかも力の強さはかなりのもので、簡単には振りほどくことも抜け出すこともできない。

「あ、あの……? アレックス殿下?」

 これまでは話かけても無視されて、冷たくあしらわれてきた。だがさすがに仕事中に強引に連れ出しておいて、しかもこれほど密着されていて、口もきいてくれない、なんてことはないだろう。

 恐る恐る名前を呼ぶと、セシルを抱きしめていたアレックスが「ん?」と反応する。

 その穏やかな低い声はまるで甘えるような温度を含んでいて、セシルはさらに混乱してしまう。アレックスが自分だけに気を許してくれているように錯覚する。

「こ、この馬車は、どこに向かっているんですか?」

 外には御者がいるものの、箱の中は他に誰もいない。完全な二人きり状態だ。密室で密着しているという状況に緊張しつつ訊ねると、ごくあっさりとした口調で思いもよらない返答をされた。

「王城だ」
「お……王城!?」

 王城。王の住まう城。つまりアレックスを含めた王家の人々が住むところ。

 そんな場所に連れていかれるなんて、自分がいったい何をしたというのか。どんな目に遭うのだろうか。

 思い当たる節はいっぱいある。一週間前、研究所で忙しいアレックスの足を止めさせたこと。昨夜、貴族学園の裏庭で王子であるアレックスに二人で会ったこと。その際にアレックスの話が終わっていないのに逃げてしまったこと。さらに今朝送ったという手紙の返事をしていないことと、迎えに行ったというのに不在だったこと。

 ――どうしよう、不可抗力のものもあるが、それにしても考えられる要因がありすぎる。

 びくびくと怯えていると、セシルの耳元でアレックスがふと大きく息をつく。

「セシルに見せたいものがある」
「え……? 見せたい……もの?」
「それと、聞いてほしい大事な話が」
「……」

 アレックスの声がセシルの鼓膜を震わせる。こんなにも近い距離で、こんなにも真剣に語られると、ドキドキと緊張してしまう。

 だがアレックスがセシルに対して猛烈に怒っていたり、罰を与えるために連れ出したりしたわけではないことはわかる。

 間近で感じるアレックスの体温は、いつの日か感じたものと同じ暑さを帯びていた。



   * * *



 城の正門から入った馬車だったが、停止した場所は正面のエントランスではなく、中庭を抜けた裏手にある別の入り口前だった。普段王族の面々や来賓が行き来する際に使われているとは思えない場所だが、そうはいっても扉は十分な大きさである。

 アレックスは、相手がセシルのような男性であっても完璧にエスコートできるらしい。差し出された手に掴まって馬車から降りると、アレックスがその手を握ったまま城内を進んでいく。

 さすが国王の住まう城。白亜の壁に豪華なシャンデリア、絵画や彫刻が一定の間隔で並んだ空間は、ただの廊下だというのに贅を尽くした煌びやかさだ。

 もう何年も前にはなるが、まだセシルが貴族令息だったとき、パーティに招かれてエントランスや大広間、ガーデンホールには足を踏み入れたことはある。

 しかしこの廊下は明るさこそあるものの、人の気配がまったくない。おそらくあまり人が行き来しない奥まった場所なのだろう。

 その廊下を歩いて地下へ続く螺旋階段を降りると、急に照明の数が少なくなる。薄暗い廊下をアレックスと共に進んでいくと、やがて金色の装飾が施された扉の前にたどり着いた。

「この部屋は……」

 物々しい雰囲気が漂う空間に、ごくりと息を飲む。禍々しさは感じないが、表現できない不思議な気配を感じる。身体が勝手に緊張する。

「セシル。この先で見聞きすることは他言無用だ。ここで見た話を誰かに漏らせば、俺もお前を庇いきれない」

 アレックスが扉を見つめたまま説明する。その姿を横からじっと見つめて押し黙る。拉致に近い形で強引に連れてきた割に、随分とリスクのある話を突き付けてくるではないか。

「あの……見ない、という選択肢は?」
「まあ、強要はできないからな。絶対に見ろ、とは言えないが」

 セシルの問いかけに、こちらを向いたアレックスがため息混じりに呟く。その表情と台詞から今の彼が本当に望んでいることを察知する。

 態度では平静を装っているが、アレックスはきっと焦っている。セシルに何かを伝えたくて、けれど簡単に伝えることができない事情を抱えている。

 そんなアレックスの迷いや不安に触れたい。彼の心をちゃんと知りたい。もう少し彼に近付きたい――そう思う気持ちは、紛れもないセシル自身の本心だった。

 自分の感情を素直に認めると、握られたままだったアレックスの手をぎゅっと握り返す。強い力を込めることで、自分が今一度覚悟を決めたことを伝える。

「……セシル?」
「急に研究所まで乗り込んでくるほどの事情があるんですよね?」

 あの日と同じ。あの時の覚悟と一緒だ。

 子種を預かって以降アレックスに冷たく突き放されたことを嘆いたり、彼の態度を疑問に思ったことはあった。

 けれど自分が選択した『子種を預かる』という決断そのものを後悔したことはない。迷ったり悩んだり諦めようとしたこともあったが、結局この六年間、アレックスの子種を手放すという決断だけはしたことがなかった。

 セシルは結局、自分の決断とアレックスの言葉を信じ続けた。

「僕はもう、アレックス様の秘密を抱えていますから。今さらその秘密が一つから二つに増えたところで、変わりませんよ」
「……セシル」

 セシルの答えを聞くと、アレックスが一瞬だけ泣きそうな顔になった。いつもわがままで周囲の人々に冷たい態度を取る、けれど美しく気品のある存在自体が芸術品のようなアレックスには珍しい姿だ。

 だがその表情はすぐにいつも通りに戻る。彼も覚悟を決めたように数度頷くと、セシルと繋いだ手と反対の手で取っ手を引くと、そのまま重い扉を押し開けた。

 廊下が薄暗かったので中は真っ暗かと思っていたが、意外にも部屋の中は明るかった。

 しかしそこにあったのはセシルの想像とはかけ離れたものだった。部屋には窓がなく、さらにベッドもテーブルもソファもクローゼットも執務デスクもない。広い部屋の中にあったのは、黒い台座とガラスで出来た、棺のようなケースだった。

 そしてそのケースの中に、王族の文様が入った衣服を着せられた人が横たわっている。

 これは、どう見ても。

「し、しし、死体……!?」
「違う、ちゃんと生きてる。寝てるだけだ」

 悲鳴はあげないよう堪えたが、どう考えても死体が横たわっているようにしか見えなくて、思わず怯えるような声が出る。

 恐怖の感情を隠しきれないセシルが隣にいたアレックスにしがみつくと、アレックスが苦笑しながら端的に説明してくれた。

 ガラスの棺に近付くアレックスに伴い、セシルも一歩ずつそこへ近付く。そこに横たわって目を閉じている人物は、表情こそ穏やかだが、血色があまり良くない。――生きているようには見えない。

 しかし距離が近付き姿がよく見えるようになったことで、セシルはあることに気が付いた。

「……この人、アレックス様に似てる?」

 アレックスいわく眠っているだけだというその人物は、整った顔立ちとハニーブロンドの髪を持っていた。その姿は今隣にいるアレックスのものとよく似ている。

 ただし一点だけ、どう考えてもアレックスとはかけ離れている部分があった。

(少し小さい……? アレックス様の子ども……?)

 棺の中で眠る人物は、確かに造形はアレックスに似ているが、明らかに身長が低く骨格も細い。おそらくセシルが最初に会った成長期の頃のアレックスよりも小さい。まるで子供のように見える。

「俺の兄だ」
「兄……」

 アレックスが零した言葉を反復する。

 兄。ということはセシルやアレックスより年上。それにしてはやけに幼いような――って。

「ええ……っ!? アレックス様、兄王子様がいらっしゃるんですか!?」
「ああ」

 目の前の人物と違和感に気を取られて反応が遅れたが、アレックスに兄がいるという話は初耳だ。国王に王子が二人いるという話は今まで一度も聞いたことがない。もちろんセシルだけではなく、国民も同じ認識だろう。

 これから数年の間にアレックスは立太子し、正式に王位継承権を得る。そしていつか王が身罷られたときは、彼が次の王になる。

 それが当たり前だと思っている国民が圧倒的大多数のはず。アレックスよりもさらに王位継承順が上位となる存在がいることなど、誰も想像していないはずだ。

「一体、どういうことですか……?」

 セシルの問いかけに、アレックスが重い口を開く。少し苦しげに、繋いでいた手にまた力が込められる。

「兄は重度の魔力欠乏症で、五歳の頃に倒れて以来こうして眠り続けている。ちゃんと栄養を与えて世話をしているから身体は多少成長しているが、もう二十年、ずっと眠ったままなんだ」
「魔力欠乏症……?」

 魔力欠乏症とは、文字通り魔法を扱うために必要な『魔力』が不足して、身体に不調をきたす症状のことをいう。

 先天的に魔力が不足傾向の者もいれば、何かのきっかけで突然症状を発症する者もいるが、投薬で不足した魔力を補ったり魔法の使用頻度や量を調整してコントロールすればそれほど恐ろしい病ではないと言われている。

 それに大抵の場合は、貧血や低血圧のときと同じように、目眩や吐き気がして一時的に動けなくなる程度だ。魔力を補えば元に戻る場合が多く、眠ったまま目覚めなくなってしまうことなど聞いたことがない。

 しかしアレックスの兄王子は、幼い頃に魔力欠乏症を発症しそのまま昏睡状態に陥っているという。

「俺は本当は、王位継承者なんかじゃない」
「……え?」

 魔力欠乏症について考えていると、アレックスが静かにそう呟いた。苦悩の声を聞いたセシルは、ぱっと顔を上げて隣に立つアレックスの横顔をじっと見つめる。

 彼の視線の先にいるのは、眠ったままの王子様。

「俺は眠り続けるアレックス王子の身代わりとして王室が第一王子に仕立て上げた――偽者の王子なんだ」

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