【本編完結】訳あって王子様の子種を隠し持っています

紺乃 藍

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10. その種が悩みの種

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 ――やってしまった。

 いくらアレックスの一方的な発言に苛立ったり驚いたりしたとしても、もう少し冷静に考えて慎重に判断すればよかった。

 昨夜のセシルは理性的な判断が出来なかった。感情のままアレックスを拒否して衝動的にあの場から逃走してしまった。

(よく考えたら子種をどうするかちゃんと聞いてないのに……!)

 アレックスの戯れを真に受けるかどうかは別として、せめてセシルが預かっているこの子種をどうするべきかの判断はしてもらうべきだった。どうしてアレックスが学園にいたのかはわからないが、人目を忍んで二人で話せる機会なんて……ましてアレックスがちゃんと話に応じてくれる機会なんて、二度とないかもしれないのに。

(しかも王子殿下の話を勝手に終わらせて……絶対、よくない)

 さらに彼の判断を聞きそびれるだけではなく、セシルはまだ話を続けているアレックスの話を一方的に拒否してしまった。王族の発言に割り込み、しかも許可を得ずにその場から立ち去るなど言語道断だ。下手をすれば不敬罪や反逆罪として処罰されるかもしれないのに。

 だがその謝罪すら出来ない。アレックスは簡単に会える相手ではないのだ。

(……僕は馬鹿だ)

 本当は嬉しかったのに。また期待して、振り回されて、その結果後から傷付くと理解していても、アレックスと会えて嬉しかった。彼の言葉を、最後まで聞きたかったのに。

 ついため息が零れる。色々考えてしまい、仕事にまったく身が入らない。集中力を欠いていることは自覚している。

「セシルくーん?」
「!?」

 目の前に広げた実験データの集計用紙をぼんやり眺めていると、その視線の先――テーブルの向こう側の縁に、室長であるマルコムの生首が現れた。

 否、それは生首ではなく正真正銘生きているマルコムの顔だった。彼は俯いたセシルの表情を確認するために、反対側の低い位置からこちらをじっと覗き込んでいた。

 目が合ったマルコムがにこりと笑う。

「眉間の皺がすごいことになってますよ~」
「あっ、申し訳ありません……」
「いやいや、別に謝る必要はないんですけどね」

 セシルが顔を上げると、正面に座っていたマルコムもテーブルから顎を離して居住まいを正した。

 マルコムも部屋続きになっている隣の実験室にいるとばかり思っていたのだが、どうやら今日一日元気がないセシルが心配になって、様子を見に来てくれたらしい。ありがたいと思う反面、申し訳ないとも思う。

 特殊な事情を抱えている者が多いこともあり、マルコムの研究室には他の研究室より所属研究員が極端に少ない。ただでさえ人員不足なのに、セシルのせいでデータの集計が遅れ、そのせいで明日の実験が遅れ、研究全体が遅延することなどあってはならないのに。

「なになに、悩みごと? 僕に相談しちゃってもいーよ?」

 申し訳ない、と縮こまるセシルだったが、何故かマルコムはにこにことご機嫌だ。まるでセシルが悩んでいることが珍しいと……面白いと言わんばかりに。

 おそらく彼は『何か悩みごとを抱えているものの、金銭や命に関わるほどの重大な事案ではない』と察しているのだろう。だからこそあまり重く考えず、とはいえ人の悩みを軽く扱うようなこともせず、あくまでセシルが相談しやすいような聞き方をしてくれる。

 もちろん話したくないことを強要するつもりはないだろう。懐の深い上司に、セシルはいつも頭が上がらない。

「え、えっと……」

 しかし内容が内容なだけに、信用に足ると知っているマルコム相手でも軽率に話すわけにはいかない。

 どうやって話を納めようかと口を開きかけたセシルだったが、ふと実験室の外から聞こえてきた大きな声に意識を持っていかれた。

『あ、ちょっ! だめです、困ります!』
『うるさい、いいから開けろ!』
『いえ、ここは魔法の認証がないと開かないシステムで……!』

 誰かと言い争いをしているらしい部屋の外のやりとりに、マルコムと顔を見合わせる。

「ルカの声だ」
「何かあったんでしょうか?」

 そう言いつつ二人同時に立ち上がる。

 相手の声は男性のものだ。ルカは天真爛漫で威勢も元気もいいが、そうは言っても女の子だ。男性との揉め事に巻き込まれて暴力に発展するようなことがあれば、取り返しのつかないことになる可能性もある。

 マルコムが内側から開錠認証して扉を開く。

「ルカ君? 何かトラブルでも……」

 マルコムが開きかけの扉の隙間から声をかけたが、最後まで言い終わらないうちに、バン! と大きな音がした。どうやらゆっくりと開いている途中だった扉が、外から無理矢理こじ開けられたらしい。

 強引に扉を開けた人物を見上げたマルコムが、ハッと息を飲む。

「えっ? アレックス殿――」
「セシル!」

 マルコムがこの場所にいるはずもない人物の登場にぽかんと口を開けて驚く。しかし突然やって来たアレックスは、目の前にいるマルコムを無視して、部屋の奥にいるセシルの元まで一目散に駆け寄ってきた。

「っ……!?」

 アレックスの鬼の形相に迫力がありすぎて情けない悲鳴が漏れかけたが、声を発する前にアレックスにガシッと肩を掴まれて、何故か急に怒られた。

「お前、なんで手紙に返事を寄越さない!?」
「えっ? て、手紙……?」

 突然『手紙に返事』と身に覚えのないことを言われたので、素直に驚く。働かない頭を使ってどうにか思い出そうとする。しかしどれほど記憶の箱をひっくり返してみても、彼に手紙などもらった覚えはない。

「今朝、お前宛に出しただろ!」
「今朝!?」

 衝撃的な台詞に、つい声が裏返る。

 アレックス殿下、あなたのような特別な存在と一般市民は違います……。手紙はどんなに早い時間に出しても、普通はその日のうちには届きません――と言ってもたぶん通じないのだろう。

「それに使いの者を迎えに行かせたのに、家にいない!」
「ええっ!? それはそうですよ! 僕まだ仕事中ですし……」

 しかもアレックスは、手紙だけではなく自宅に使いの者を送ってセシルを呼び出そうとしたらしい。だがセシルは今日一日、ずっと研究室にいたのだ。まだ家に帰っていないので、来訪されたところで応じられるわけがない。

 セシルの反応に一瞬怯んだアレックスだったが、すぐにセシルに会いにきた理由を思い出したらしい。肩を掴んでいた手が離れたかと思うと、今度は手首を掴まれてぐいっと引っ張られた。

「いいから、来い!」
「えっ……ま、まってください……!」

 アレックスの強引な行動に驚き、必死に制止する。しかし手を引くアレックスは力が強く、セシルの抵抗などびくともしない。なんだか既視感のある展開だ。

「お待ちください、アレックス殿下」

 慌てるセシルを連れ出そうとするアレックスに、それまで事の成り行きを見守っていたマルコムが動き出した。入ってきた扉から出ていこうとしたアレックスの前に立ちはだかったマルコムが、にこりと微笑む。

「……なんだ」
「たしかにもう勤務終了の時刻ですが、セシル君を誘拐されては困ります。彼も驚いてますよ」

 マルコムの冷静な言葉にアレックスが瞠目する。勤務時間への配慮はともかく、マルコムの諫言で自分がセシルの事情や気持ちを無視して行動しようとしていることに気付いたらしい。

 振り向いたアレックスにじっと顔を見つめられ、セシルも困惑しつつこくこくと頷く。

「どうか無理強いはしないであげて下さい」
「……。わかった」

 アレックスを見上げて『待ってほしい』と訴えたセシルの願いは、マルコムのおかげでしっかりと聞き届けられたらしい。――と思ったら違った。

「なら優しく連れていく」
「!?」

 そう口にすると同時に、屈んだアレックスに身体を抱きかかえられた。身体がふわりと浮いたことにまたも仰天する。

 突然の横抱き。
 いわゆる、お姫様抱っこ。なぜ。

「ちょ、ちが……! そうじゃないです!」
「黙らないと舌噛むぞ」

 セシルは再度抗議しようとしたが、アレックスにはもう何を言っても無駄のようだ。アレックスの整った顔がこちらを向いて至近距離で見つめ合うと、セシルは黙るしかなくなる。声など一切発せなくなる。

 マルコムもルカも、セシルを抱き上げたまま研究室を出て行くアレックスを止めることは出来なかった。二人が通過すると自動で閉じた扉を見つめて、マルコムが情けない声を漏らす。

「そういう意味じゃないんですけどぉ」
「室長、アレ止めなくていいんですか?」
「うーん……?」

 ようやく自分が巻き込まれた状況を理解したらしいルカが、疑問の声を上げる。しかし問いかけられてもマルコムにもどうしようもない。

 相手は国の頂点に君臨し、この国を動かす王族の一人、アレックス王子殿下だ。下手に逆らって自分が処罰対象になるだけならばまだしも、傍にいるルカや、連れ出されたセシルに何かがあってはいけない。

 それに、何より。

「確かにセシル君、驚いてはいたんですが」
「……?」
「嫌がってるようには見えなかったんですよね」
「あぁ……まあ、確かに」

 マルコムの呟きにルカが同意を示す。ルカの目から見た感想も、マルコムの目から見た感想とそれほど相違はないらしい。

 突然王子殿下が現れ、急に手紙を送ったり呼び出しを受けたと聞いたりしても恐れることはなく、唐突に連れ出されそうになっても嫌がって拒否する様子は感じられない。普通はもっと混乱してもいいはずなのに、あっさりと受け入れている。

 セシルがアレックスからの接触を拒んでいないことは、今のやり取りだけで十分に理解できた。

「セシル先輩って、アレックス殿下と貴族学園時代の同級生なんですよね?」
「そうですね。そう聞いています」
「……ロマンスの気配?」
「ルカ君、そういうの好きですよね」

 ルカが新しい発見をしたように目を輝かせたので、マルコムも苦笑いを浮かべる。けれど否定はしない。 

「ジェフリー先輩、いなくてよかったですね」

 もしもこの予想が当たっているとすれば、たった今起きた状況に一番動揺するのは、今はここにいないジェフリーだろう。おおかたどこかで仕事をサボっているのだろうが、今日ばかりはサボるべきではなかったかもしれない。

「サボり勝ちか、サボり負けか、どっちでしょうね」

 マルコムがヤレヤレと肩を竦めると、ルカも『そっかぁ、知らない方がいいこともあるんですねぇ』と頷いて仕事の後片付けに戻っていった。

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