【本編完結】訳あって王子様の子種を隠し持っています

紺乃 藍

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7. 秘密の刻限

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 仕事を終えたセシルは、研究所の廊下をとぼとぼと歩いていた。隣にいるジェフリーが「今日の夜飯どうするかなー」「セシル、どっかに食いに行く?」と声をかけてくるが、曖昧な答えしか返せない。今のセシルに、夕食が喉を通る気はまったくしない。

 セシルの特殊魔法で体内に隠したアレックスの子種は、六年間ずっと同じ状態に維持されている。しかし魔法が解ければ隠した子種は身体の外に溢れて、あっという間に死滅してしまうだろう。

 これまでも時折、この子種の扱いについて悩むことはあった。期限を設けていない約束が果たされる日は来るのだろうか、アレックスは覚えているのだろうか、そもそもこれが『保険』なら使わないまま人生を終える可能性もあるのではないか。

 そんな疑問が生まれるたびに『自分で決めて受け入れたのだから』と言い聞かせてきた。

 けれど今回はこれまでの悩みとは質が違う。セシルの意思とは関係なく、強制的に魔法が使えなくなってしまうのだから。

(どうしよう……アレックス様に相談……)

 どうやって? アレックスは王族だ。下級貴族どころか平民になった今のセシルが会いに行ったところで、簡単に会えるような相手ではない。

 手紙を書いても、怪しい文章ではないか、おかしな魔法がかけられているのではないかと中身を検閲される可能性がある。セシルの行動からアレックスの秘密が漏れるようなことは決してあってはならない。

 魔法で伝言を飛ばして――いや、それも王城を守る結界に阻まれるに決まっている。王族を守る堅牢な結界を突破できるような難しい魔法など、セシルに扱える気はしない。

 ならばどうやって伝えればいいのだろうと悩み、また盛大にため息をつく。

 ふと顔を上げると、セシルの視界の端をハニーブロンドの絹糸が掠めた。ハッとして振り向くと、研究所のエントランスにアレックスの姿がある。

(アレックス様……!)

 間違いない。アレックスだ。

 どうやら研究所の視察はまだ終了していなかったらしい。そういえば定例全体会議の後に、視察団への研究報告の時間も設けられていた。王族を招いての大事な報告会になるので、ホールに近付くな、周辺ではしゃぐな、と事前に通達されていたのだ。

 いや、そんなことよりも。

 今このタイミングを逃せば、セシルの状況をアレックスに伝える機会はもう二度と訪れないかもしれない。このままマギカ・リフォーミングの日を迎えてしまうかもしれない。

 そう感じた瞬間、セシルはエントランスに向かって走り出していた。

「えっ……せ、セシル!?」

 背後からジェフリーに声をかけられた。けれど気にしている場合ではなかった。

「あ……アレックス殿下っ!」
「!」

 アレックスが研究所の正面に横付けされた馬車に乗り込もうとした瞬間、セシルは大声を発して必死に彼を呼び止めた。

 声を聞いたアレックスがゆっくりと振り返る。六年前よりも身体に筋肉がつき、顔つきも美しく凛々しく成長した麗しの王子殿下が、駆け寄ってきたセシルを見据える。

 しかし振り返ったのはアレックスだけではない。彼の側近や護衛騎士、見送るために勢ぞろいしていた研究所の職員たちも一斉にセシルに注目する。

「なんだ貴様……殿下に何の用だ!」
「君、いったいどういうつもりで……」
「あの、アレックス殿下にお話があって……!」

 アレックスの護衛と思しき厳つい顔の騎士と研究所の副所長が同時にセシルを責め立てる。その制止を無視するように声を張り上げる。

 普段のセシルならばそんな大それたことは絶対にしない。王族であるアレックスの行動を妨げるなど、平民であるセシルには許されざる行為である。それぐらいは理性的に判断できる。

「殿下はお忙しい。貴様に構っている暇などない!」
「で、でも……!」

 けれど焦りと不安を抱えたセシルはその判断力が鈍っていた。つい先ほどアレックスに無視されたことさえ、思考から抜け落ちていた。

「馬車を出せ」
「……え」

 フッと視線を逸らしたアレックスが短い声で告げる。そのまま踵を返して馬車に乗り込もうと、セシルに背を向ける。

(そんな……話も聞いてくれないなんて……!)

 セシルとアレックスは初対面じゃない。今でこそ身分の差は決定的になってしまったが、学園生時代にそれなりに交流があった仲だ。

 もちろん危害を加えるつもりなんてない。ただアレックスに話を聞いて欲しかっただけ――彼の判断を知りたかっただけなのに。

「おい」

 絶望に打ちひしがれて俯きかけたセシルに、ふとアレックスが声をかけてきた。彼に呼ばれたと気付いた瞬間がばっと顔を上げて、アレックスと見つめ合う。

 ただでさえセシルとは十センチ以上の身長差があるのに、馬車に用意された踏み台に足をかけるとさらに彼の存在が高く大きく感じられる。

 そのアレックスが、煌々と灯る夜の街灯に照らされながら高慢に言い放つ。

 また、セシルの心を縛り付けるように。

「勝手な真似は許さない」
「!」

 アレックスの命令ともいうべき台詞を聞いた瞬間、セシルの心は再び搔き乱された。

(まだ持っていろ、ってこと……?)

 一見、この軽率とも言える行動を叱責する台詞のようにも思える。だがそういう意味ではない。セシルにはわかる。

 おそらくアレックスは、セシルがこんな無茶をしてまで声をかけてきた理由を察した。セシルの『もう限界だ』という気持ちをちゃんと感じ取った。

 そのうえで告げられた『勝手な真似は許さない』という台詞はきっと、セシルが子種を手放すことを許さない、という意味だ。

「無理ですよ……」

 けれどもう無理なのだ。いくらアレックスの望みであっても、セシルがそれに応えたいと思っていても、魔法が使えなければ子種は身体の外に出てきてしまう。セシルの意思では、どうしようもない。

 しかし刻限が迫っている事実を告げる前にアレックスが馬車に乗り込み、扉もバタンと閉じてしまう。こうなればもう、セシルにはかける言葉も見つからないし、成す術もない。

 無情にも馬車が動き出す。そのゆっくりとした動きを、セシルは呆然と見送るしかなかった。

 馬車の姿が完全に見えなくなると、研究所の副所長に捕まってこっぴどく叱られた。もし城からお咎めがあった場合はお前を所長室に呼び出すからな、と鋭い釘を刺された。セシルはしゅんと縮こまりながら頷いて、謝罪の言葉を繰り返すしかなかった。

 もともと物静かで優等生だったセシルは叱られることに慣れておらず、それがショックの上塗りになった。

 ようやく説教から解放された頃には身も心も疲れ果て、研究所の入り口にあった生け垣にへなへなと座り込んでしまった。

「セシル……お前、何やってんだよ。突然アレックス殿下に声かけるなんて、びっくりするだろ」 

 様子を見ていたジェフリーが傍に駆け寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んでくる。セシルは彼が一部始終を見ていたことにも、擁護をしようと口を出しかけていたことにも気が付いていた。だが視線で『大丈夫』と合図を送って、説教に巻き込まれないよう踏みとどまってもらっていた。

 ジェフリーの忍耐に感謝しつつ、自分でも『本当に何をやっているんだろう』と思う。

「驚かせてごめん、ジェフリー」
「ほんとだよ。何があったのかは知らないけど、急に変な行動するなよな」

 セシルの謝罪を聞くと、ジェフリーが不機嫌に顔を歪める。

「ちょっと、アレックス殿下とお話してみたくなっただけ……」
「……」

 どうにか紡ぎ出した言い訳が本心ではないことは、ジェフリーもきっと気がついているはずだ。引っ込み思案で人見知りのセシルがただ話をしたいという理由だけで他人に……しかも王子であるアレックスに近付くはずがないのは、彼も察しているだろう。

「俺で良ければ相談に乗るけど?」

 ジェフリーはそう申し出てくれたが、直後にフウとため息を吐かれた。

「まあ、セシルの事だからどうせ相談なんてしてくれないんだろうけどな」
「えっ? いや、その……ごめん」

 ジェフリーはセシルの性格をよく知っている。簡単に他人を頼らないことも把握されている。

 これまで友人らしい友人などいなかったセシルにとって、同期のジェフリーは数少ない心を許せる相手だった。彼の人懐こい性格のおかげで、人付き合いが苦手なセシルでもすぐに仕事仲間と打ち解けることが出来た。

 ルカやマルコムもそうだが、ジェフリーも『自分の特殊魔法は災厄や不幸を招く可能性がある』と告げても『そんなん気にしねーよ』と言ってくれた。

 そんなジェフリーを心配させてしまったことに、突然申し訳なさが湧き起こる。そしてセシルが悩んでいる本当の理由を打ち明けられないことにも。

「セシル」

 罪悪感に苛まれていると、ふとジェフリーに名前を呼ばれた。顔を上げると、目の前にしゃがんで顔を覗き込んでくるジェフリーと見つめ合う。

「リフォーミングの日、一緒に過ごさないか?」
「……え?」
「ああ、いや、ほら……俺たちは普段、魔法に頼って生活してるからな。いきなり魔法が一切使えなくなるのは不安だし、不便だろ。だから協力し合うってことで」
「ジェフリー」

 ジェフリーは仕事はサボるし悪戯好きだし何から何まで大雑把な性格だが、そのぶん男らしくて頼りがいがある。セシルと違って研究所内での友人も多い。

 だからこそ、その男らしい同僚の提案に疑問を感じてしまう。

「そこは普通、彼女を頼るとこじゃ……?」
「……は?」
「あ。もしかして彼女、年下? まだリフォーミングの対象じゃない?」

 マナの供給が停止されて魔法が使えなくなると、内なる魔力が変調をきたし体調を崩す者も多いと聞く。だから家族や恋人と助け合って、この日を乗り切ろうとする人も少なくない。

 ジェフリーの恋人が同い年か年上ならば、その女性もマギカ・リフォーミングの対象となるはずだ。セシルにはありがたい申し出だが、弱い姿を見せるのは彼女だけにしたいだろうし、その彼女だって辛い時期は恋人と共に乗り越えたいと思うだろう。

「いねぇよ、彼女なんか」
「えっ? そうなの……?」

 そう考えるセシルだったが、驚くことにジェフリーには恋人がいないらしい。

「意外だな。ジェフリーならモテそうなのに」

 これはお世辞ではなく本心だ。ジェフリーも魔力の取り扱いに注意が必要な特殊な事情を抱えているが、本人は明るく素直な性格だし、見た目も悪くないのでなんだかんだで異性にモテる。恋人がいないというのは予想外だ。

「……。……鈍すぎ」
「ん?」

 ジェフリーがそっぽを向きながら何かを呟く。だが小さな声で聞き取れなかった。

 だから訊ね直す代わりに、お礼の言葉を告げることにする。

「ありがとう、ジェフリー。おかげで元気出たよ」

 マギカ・リフォーミングの日を共に過ごすかどうかはともかくとして、今ここに彼がいてくれてよかったと思う。

 アレックスに冷たくあしらわれたのに、勝手に子種を手放すことは許さないと暗に命じられ、セシルの感情は揺れ乱れていた。一人でいたら余計なことを考えてもっと落ち込んでいたかもしれない。

 もちろん問題や悩みは何も解決していない。それでもジェフリーが傍にいてくれたおかげで気持ちは軽くなった。このあと一緒に食事に行くのなら、今夜はセシルが奢ろうと思う。

「……セシルは、一人で抱え込みすぎなんだよ」

 ジェフリーがぽつりと呟いて唇を尖らせる。それが彼の優しさだと気付いていたが、これはセシルの問題だ。秘密の特性上、セシルが自分自身で考えてどうにかしなければならない。

 だから曖昧に頷くことでやり過ごしたセシルだったが、ジェフリーはレストランに到着して目の前に料理が運ばれてくるまで、なぜかずっと不機嫌だった。

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