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6. 王子様の子種を隠し持っています
しおりを挟むふ、と夢の世界から覚醒して、ぼんやりと周りを見渡す。
王立魔法研究所にはいくつかの仮眠室が備えられており、所属する研究員であればいつでも自由に使用可能だ。
アレックスと対峙した緊張の反動か、二段ベッドの下段に潜り込むとそのまま溶けるように眠ってしまったらしい。横向きのまま視線を動かしたセシルは、先ほど自分の足でこのベッドに入ったことを思い出した。
「……夢、か」
懐かしい夢を見た。
セシルは現在、二十四歳。アレックスから子種を預かったのはもう六年も前の話だ。これほど時が経てば忘れてもおかしくないのに、今でも鮮明に思い出せる。あの時の匂いも、音も、触れ合った感覚も、告げられた言葉や視線や表情も、まるで色あせない。
けれど忘れるはずがない、とも思う。セシルはあの日から六年間、魔法の使用を継続して彼と交わした秘密が外に漏れ出ないように徹底している。特殊魔法を継続使用し続けているのに、簡単に忘れるわけがない。それなりに体力や集中力も使っているつもりだ。
しかし夢にまで見たのは久しぶりだ。きっとアレックスに会ってしまったせいで、普段は無意識下に仕舞い込んでいる記憶や感情が刺激されたのだろう。
そして研究所の視察に来たアレックスが呼び覚ましたのは、懐かしい記憶と感情だけではない。
「熱い……」
下腹部が熱い。視線が合ったあの瞬間から、ずっと臍の下あたりに熱をもっている。
軟弱で頼りない自覚はあるが、セシルはれっきとした男だ。だから腹の中に子種を放出されたからといって、妊娠するわけではない。それは十分承知しているが『ここにアレックスの子種がある』と思うだけでお腹の奥がじわりと熱を持つ。
身体の芯が震えて、心臓をぎゅっと掴まれている気分を味わう。あの日からずっと、アレックスの存在を身近に感じている気がする。
「セシル、熱あんの?」
火照った全身を冷まさなければ、と考えていると、突然正面から声を掛けられた。横向き状態で閉じていた目を開くと、ベッドの柵の隙間から同僚がセシルをじっと見つめている。
「うわあぁッ!?」
思わず大きな声が出る。心臓がどっきんと飛び跳ねる。横になった状態で後ろにガバッと身を引くと、こちらを覗いていた目がひょこっと柵の上に現れた。
「ジェフリー! 脅かさないでくれる!?」
「悪い悪い」
セシルが叫ぶように文句を言うと、ベッドを覗き込んできたジェフリーが悪びれもなく肩を竦めた。軽い口調から彼が自分の行動をさほど反省していないことを悟ったが、
「具合どうだ?」
と訊ねる声と表情から、セシルを心配してくれている気持ちに嘘がないことは感じられた。だからセシルも怒りと驚きをしまい込んで、ジェフリーに照れ笑いを返す。
「大丈夫、もう戻れるよ」
「そっか、あんまり無理するなよ?」
「心配かけてごめん」
セシルの表情を見たジェフリーがフイッと視線を逸らす。ほんの少しだけ、唇を尖らせて。
「セシルがまだ寝るつもりなら、俺が添い寝してやろうと思ったのにな」
「……要らないよ」
心配して様子を見に来てくれたのかと思った。けれどやはり、ジェフリーは仕事をサボりたかっただけなのかもしれない。
* * *
ジェフリーと揃って研究室に戻ると、ルカだけではなく室長のマルコムもセシルの帰りを待っていた。
マルコムはすべての研究室長が参加する定例全体会議に出席していたのだが、どうやら会議は無事に終了したらしい。
「室長。おかえりなさい」
「セシル君、もう具合はいいんですか?」
「はい、途中で抜けて申し訳ありません」
「いえいえ。実験の方は大丈夫ですから、あまり無理はしないように。具合が悪かったら帰って休んでもいいんですからね」
「ありがとうございます」
マルコムに朗らかな笑顔を向けられたので、セシルもほっと笑顔を返す。四十五歳のベテラン研究者なだけあって研究も論文も成果発表会も完璧にこなすマルコムは、優しげな見た目通り部下の面倒見も良い。
特殊魔法を扱う元貴族令息というセシルの事情も、幼少期に精霊に取り憑かれたせいで迫害されてきたルカの苦しみも、内に秘めた強大な魔力をコントロールできずに暴走しがちなジェフリーの葛藤も包み込んでくれる。三人にとって、マルコムは救世主のような存在だ。
「さて、全員揃ったところで皆さんに相談があります」
そんなマルコムがぱんっ、と手を叩く。会議の終了直後というタイミングを考えると、相談というより会議で決定した何かの報告だろう。
「もうすぐマギカ・リフォーミングの時期がやってきます」
「!」
「今年からセシル君とジェフリー君もリフォーミングの対象になりますね」
「ああ、そーいえばそーッスねぇ」
マルコムの確認にジェフリーが呑気に頷く。
マギカ・リフォーミング――魔法の改修。
この世界に住む人々は、自然界に存在する『マナ』と呼ばれる力と、己の中に存在する『魔力』を混ぜ合わせたときに生じる融合反応を『魔法』と呼んで、様々な場面で利用している。
火を灯したり物を浮かせたりといった日常的な魔法から、強大な力を充填して一気に放出するという攻撃に特化した魔法まで、マナと魔力の割合や分量を調節することで、様々な魔法を扱うのだ。
己の内に存在する『魔力』は個人の自由に使用が可能で、力が尽れば回復するまで魔法は使えなくなる。
そしてその仕組みは自然界に存在する『マナ』も同じ。自然の恵みと呼ばれるマナにも限りがあるので、人々が自由に使い続ければいずれは枯渇してしまうと言われている。マナも無限ではないのだ。
そのため、我が国では年に一度、マナの供給を完全停止して魔法の使用を全面禁止することで、自然界に存在する力を回復・休息・修繕させる時間を設けることになっている。
大自然の力を回復させて補修するための政策――それが『魔法の改修〝マギカ・リフォーミング〟』だ。
そしてこのマギカ・リフォーミング、実は国の規定で対象となる年齢が明確に定められている。
もちろん本来の目的を考えれば、すべての年齢層で実施されるべき政策だろう。しかし魔法の扱いに未熟な者がマナの供給を止められると、マナを伴わない内なる魔力のみから構成された危険な魔法が発動したり、調整の加減がわからず魔力が暴走してしまうことがある。それを止めようとしても、止める側が魔法を使えないのでは対処もままならない。
過去にそうした事案や事故がいくつか発生したため、現在は『魔法のコントロールが安定しない二十五歳未満の者はマギカ・リフォーミングの実施対象外とし、普段通りに魔法を使用できる』と定められている。
対象年齢の設定は、マナの回復は図りたいが魔法による暴発や暴走事故も防ぎたい、という二律背反から生まれた『折衷案』なのだ。
(そっか、僕ももう二十五歳……)
セシルは来月で二十五歳。約三か月後に実施される年に一度のマギカ・リフォーミングのときには、セシルも対象年齢に到達する。
「去年までは僕のみが対象だったので残った三人で研究室を回してもらっていました。ですが今年からはセシル君とジェフリー君を含めた三人がリフォーミングの対象になります。なので、いっそのこと研究をおやすみにしてはどうでしょう、という提案ですね」
マルコムの説明を聞いていたルカとジェフリーが、うんうんと頷く。
常に魔法に頼った生活をしているこの国の人々は、魔法が使えなくなると体調不良になったり精神的に不安定になったり、逆に気分が異様に高揚したりと変調をきたすことが多い。
日々魔法の研究に勤しむ魔法に詳しいマルコムですら、マギカ・リフォーミングの日は覚醒状態を保つのに苦労するほど眠くて仕方がなくなるという。
もちろん魔法が使えなくても可能な作業はあるし、対象外のルカにはほぼ影響がない。だがそういった事情から、この日に限っては研究室を閉めても構わない、というのが王立魔法研究所長の考えだ。
「まあ、実質ルカ君が公休になるだけですね」
「私は賛成です~!」
マルコムが付け加えると、ルカが待っていましたと言わんばかりに大喜びで両手を挙げる。ルカは有給休暇はそのままでただ仕事が休みになるだけなのだから、嬉しいに決まっているだろう。
「俺も全然いいっすよ」
「僕も大丈夫です」
「では決まりですね。うちの研究室は公休扱いにしてもらうよう、所長に申請しておきます」
「わーい! おやすみおやすみ!」
男三人が使い物にならないのに、最年少の女の子一人に仕事をさせるわけにはいかない。
相談という名の確認はあっという間に終了し、その日は休みになることが決定した。
(……ん!? まって、マギカ・リフォーミング!?)
が、そこでセシルは重大な事実に気が付く。
(ど、どど、どうしよう……!? すっかり忘れてた!)
忘れていた。完全にド忘れしていた。
マナが供給されず魔法が使えなくなるということは、セシルの特殊魔法も――『身体の中にどんなものでも隠し持っておける』というこの魔法も、当然のように休止する。長年継続して使用してきたこの魔法が、たった一日ではあるが完全に使えなくなってしまうのだ。
魔法が使えなければ、密かに隠し持っていた〝秘密〟が――アレックスから預かった〝子種〟が、外に溢れ出てしまう。
「セシル君?」
「えっ、あ……はい!?」
「大丈夫ですか? やはり本調子じゃないです?」
マルコムに顔を覗き込まれ、慌ててぶんぶんと首を振る。
先ほどまで体調不良で仮眠させてもらっていたセシルだ。急に動きが止まればまた心配されてしまうだろう。
「いえ、平気です!」
だからとりあえず手と首を振ったが、全然平気ではない。まったく大丈夫じゃない。
セシルは六年前から、この国唯一の王子様の子種を隠し持っている。
(……大変なことになった。というか、大変なことになるのを忘れてた……)
セシルの人知れぬ悩みが、さらに大きく膨れ上がる。
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