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3. 仮初めの青春
しおりを挟む「気味が悪いでしょう?」
「そんなことはない。この世でお前しか使えない、すごい魔法だ」
アレックスが感嘆を零す。その声が本心からセシルを褒め称えているように聞こえたので、セシルは顔を上げてアレックスの横顔をじっと見つめた。
セシルはこの魔法を『気味が悪いもの』だと思ってきた。本来は時間経過に伴って状態が変わるはずのものを、完全な状態で保持できてしまう。この世の法則を捻じ曲げ、倫理を歪ませ、常識を覆す力だ。災厄や不幸を招くこと以上に、異常とも呼ぶべき特殊魔法など他人は嫌悪と恐怖を感じるに違いない。
物心ついたころからそう信じて疑わなかったセシルだが、そんな暗い考えをアレックスは平然と乗り越えてくる。すごい、とアイスブルーの瞳に煌めきを宿して、心の底からセシルを褒めるように笑うのだ。
「……っ」
その無邪気な表情を見ているうちに、セシルの心は少しだけ軽くなった。
面と向かって気味が悪いと言われるのが怖くて、あまり人と関わらないように、と思っていた。けれど安心感が気を軽くしたのか、気が付けばセシルは、自らアレックスに歩み寄るような質問をしていた。
「アレックス様は、魔法が得意ですか?」
「人並みだろうな。以前魔力測定をしたときに検定用の魔石が割れた程度だ」
「それは人並みじゃないですよ。かなり力が強い証拠です」
「そうか」
友人同士のようなやり取りがなんだか新鮮で思わず笑みが零れる。
これまで友人と呼べる存在はいなかったし、作ろうともしていなかったセシルだ。なのに今こうして気楽に話している相手が他でもない王子殿下だとは、自分でも驚いてしまう。
くすくすと笑っていると、その様子を眺めていたアレックスもフッと表情を綻ばせた。
「セシル=ダーウィス。お前は本を読んでばかりで、周囲のことには関心がないのかと思っていた」
「……え?」
アレックスがため息混じりに呟くので、セシルの動きがぴたりと止まる。
どうやらアレックスは、特別科のクラスメイト以外の者にも目を向けて、細かいところまで観察しているらしい。まさか自分の行動を把握されていると思わなかったセシルは、驚き半分恥ずかしさ半分で硬直してしまう。
「僕の魔法は、不幸を招くと言われていますので……。自分からはあまり……他人に関わらないようにしています」
ぽつりぽつりと説明するが、本当はセシルも気付いている。これはただの言い訳だ。
自分はただ、関わった人が離れていくことを怖がっている。孤独に傷付くことを恐れている。怖い、気持ち悪い、とひどい言葉をかけられるかもしれないと身構え、『自分とは関わるべきではない』といかにもそれが正当であるような言い訳をしている。
自己と他人の間に線を引き、生まれ持った異質な魔法のせいにして、人間関係の構築を放棄して殻に閉じこもっている。それはセシル自身の弱さに他ならない。
情けない、と自嘲するセシルだが、話を聞いていたアレックスの反応はセシル以上に物憂げな様子だった。
「……そうか。俺と同じだな」
「?」
ふと呟いた言葉を聞き、咄嗟に、どこが? と思った。本人が何もしなくても、アレックスの周りには常に人がいる。王子である彼との繋がりを求め、学園生だけではなく教師までもがアレックスに近付こうと必死だ。
だが裏庭をぐるりと見回してみると、確かに今ここにはセシルとアレックスしかない。いつも傍にいる彼の側近の姿すら見当たらない。
そういえば、なぜ? と疑問の言葉を口にする前に、アレックスが楽しそうな声音で予想外の質問をしてきた。
「ということは、恋人もいないんだな?」
「えっ、はっ? こ……恋人!?」
「なんだ、いるのか?」
「い、いい、いるわけないじゃないですか!」
「……そんなに動揺しなくてもいいだろ」
唐突すぎる質問にセシルの声が裏返る。動揺したせいか、明らかに挙動不審な反応をしてしまう。
貴族の令息や令嬢はこの学園を十八歳で卒業すると、その後すぐに親の決めた相手と結婚することが多い。中には学園生のうちから、あるいはそれ以前から既に婚約者が決められている場合もある。だから学園生という自由な身のうちに、自分の思うまま恋愛を楽しんでおきたい、と考える者も少なくないらしい。
とはいえ淡い青春の話などセシルには無縁の話だ。友人すらいないのに、恋人などとんでもない。
情けない呻き声を発すると、不機嫌だった王子様がクスッと笑う。
ベンチの背もたれに身体を預け、顔は上を向いたまま、視線だけでセシルの反応を確認し、まるで悪戯が成功した少年のように喜んでいる。
その美しくも無邪気な笑顔に、セシルはしばし見惚れていた。
* * *
王立貴族学園の図書館に隣接されたブックサロンは、学園生であれば珈琲や紅茶が飲み放題で自分の本も図書館の本も好きなように持ち込めるという快適空間だ。
ただし上級貴族の令息・令嬢の大半は学園内に専属のメイドや執事を呼び寄せて自分好みの飲み物を用意させるし、下級貴族の子息令嬢は読書よりも人脈形成と情報収集に勤しむ傾向にある。
よって常に人の少ないブックサロンは、セシルがゆっくりと寛げる数少ないお気に入りの場所であった。しかし。
「セシル」
名前を呼ばれた瞬間、集中力がぷつんと途切れる。
セシルは誰かに呼ばれても気付けないほど読書に没頭してしまう性分だが、ここ最近はそうもいかない。なにせこうして声をかけてくる相手は国王の息子、アレックス王子殿下だ。
「何を読んでるんだ?」
ゆったりと大きめに作られたふかふかのソファがいくつも並んでいるのに、向かいではなくわざわざセシルの隣に腰を下ろして本の中を覗き込んでくる。
冷たく不機嫌な印象は、最初に教室棟の裏庭で出会った一年前とさほど変わりない。しかしここ最近は笑顔も見られるようになったと思う。もちろん、セシルの気のせいかもしれないけれど。
「『魔法素子構成総論』?」
「はい。魔力の源であるマナの構成を紐解く学問です」
「面白いか?」
「そうですね、入門編なのでわかりやすく書いてますし、読みやすいと思います。アレックス様も読みます?」
「俺は難しい話はよくわからない」
セシルのおすすめを聞いてため息を吐くアレックスだが、そんなはずはない。特別科に属する彼は魔法や武術の専門授業こそ履修していないが、すべてのクラスに共通する基礎科目は常に学年首席の成績だ。入門レベルの魔導書の内容がわからないわけがないのに。
「ところで、あの話については、考えてくれたか?」
「……!!」
隣に座ったアレックスの腕が腰に回ってくると、セシルの身体がびくっと跳ね上がる。動揺していることを知られたくなくて自然な動作で距離を置こうとする。
だがソファの上でお尻を横にずらした分だけ、アレックスもこちらへ近付いてくる。さらに顔を覗き込まれて見つめられると、セシルの緊張は限界寸前まで急上昇する。
(眩しすぎて、目がつぶれる……!)
セシルはいつも本を読むために下ばかり向いている。活発に動き回る運動や武術が得意なわけでもない。おまけに特別仲が良い友人もいないので身体を使って遊ぶこともない。そのせいか、同年代の男子より身体が細く体力もないのだ。
それが学問も魔法も武術も優秀で、しかも眉目秀麗な王子様に真剣な表情でじっと見つめられたらひとたまりもない。照れと恥ずかしさで溶ける過程を通り越して、一瞬で蒸発してしまいそうだ。
「ぼ、僕にそんな重要な役割は務まりません……無理です」
「無理じゃない。むしろセシルにしか出来ないと思うが?」
口の中がからからに乾いてるのを自覚しながらどうにか否定するのに、その言葉さえあっさりと覆される。
「別に失敗してもいいんだ。どうせただの保険でしかない」
「……」
「まあ、お前の身体に負担をかけたいわけじゃないからな。無理強いするをつもりはないが」
不機嫌で冷たい印象を与えるアイスブルーの瞳が寂しげに揺れる。普段は釣りあがった眉尻が少しだけ下がり、憂いを帯びたため息を吐く。
その姿を目にするたびに拒否したいと思うセシルの心もぐらぐらと揺れる。しかし、ならば受け入れるのか、と問われても素直に頷くことは出来ない。
それはそうだ。アレックスの願いは、いくらなんでもセシルには責任重大すぎる。
まさか『お前の魔法で、俺の子種を預かって欲しい』だなんて。
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