【本編完結】訳あって王子様の子種を隠し持っています

紺乃 藍

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2. 不機嫌な王子様

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 セシルとアレックスの最初の出会いは今から約七年前。当時のセシルは王立貴族学園の魔法科に通う、読書が好きなごく普通の十七歳だった。

「おい、セシル=ダーウィス」

 その日セシルは教室棟の裏庭に設置されたベンチに腰かけ、図書室で借りてきたばかりの本を読みふけっていた。夏の蒸し暑さが残るそよ風を頬に感じながら夢中で活字を追っていたセシルは、人から声をかけられていることにまったく気付いていなかった。

「聞こえないのか! セシル=ダーウィス!」
「うわっ!? は、はいっ!?」

 突然大声で名前を呼ばれたセシルの身体がびくんっと飛び跳ねる。セシルにしてみたら急に怒鳴られたようなものだ。

 弾かれたように顔を上げてみると、そこにいたのは同学年の特別科に所属する自国の王子様、アレックス=ディルフォードだった。

「ア、アレックス王子殿下!?」
「長い、アレックスでいい」

 思わず驚愕の声をあげると、すかさず訂正される。麗しの王子殿下は長ったらしい敬称などつけずに、自分を呼び捨てにしろと仰せだ。

 しかしセシルにそんな度胸はない。突然声をかけてきた相手は、普通なら直接会話をすることさえ許されない存在だ。身分が違いすぎる人物の登場だけで相当驚いているのに、そのうえ無茶な命令をされても思考が追いつかない。

「学び舎に身を置く間、学園生の身分は常に平等とする。規則にもそう書いてあるだろう」
「で、ですが……」

 突然の要望とそれを裏付ける学園規則を並べられても困惑するしかない。確かに規則にはそう書かれているが、そんなものはただの建前だ。実際に身分や階級を一切気にせず、まして王子であるアレックスを呼び捨てにする貴族の令息や令嬢などいるはずがない。

 セシルが言い淀むと鋭利なアイスブルーの瞳にじろりと睨まれる。その迫力に気圧され、

「……アレックス様」

 と呟くと、眉間に皺を寄せたアレックスが大きなため息を吐いて「まあ、いい」と諦めの声を発した。

 同学年とはいえ、セシルとアレックスはクラスも違うし身分も違うし、友人同士というわけでもない。それどころか面と向かって話すのさえこれが初めてだ。

 セシルはアレックスのことを一方的に知っているが、彼はセシルのことなど眼中にもなかったはず。なのにわざわざ声をかけてきたということは、何か用事があるのだろう。もしくは何かトラブルが起きたのかもしれない。

 嫌な予感を覚えつつも、視線は陽の光を浴びてきらきらと輝くハニーブロンドの髪色に釘付けになる。

 美しい金の絹糸のようだ。許されるのなら触れてみたいと思う。だがそれ以上何かを考える前に、アレックスが不機嫌な声で予想外の質問をしてきた。

「お前、特殊魔法を使えるらしいな」
「!」

 断定的に言い切られ、セシルの喉の奥で、ひゅ、と高い音が鳴る。ごくりと唾を飲み込み、ベンチの傍に立ってセシルを見下ろす氷菓色の瞳を挙動不審気味に見つめ返す。

「ど、どこでそれを……」
「さぁな」

 恐怖と口渇感を覚えながら訊ねるも、アレックスは笑顔ひとつで誤魔化そうとする。口元が緩んだその表情を見つけたセシルは、またも思考が逸れて、

(わあ……綺麗な人は笑っても綺麗なんだ)

 と考えた。

 ぽけっと口を開けていると、ベンチの空いている場所――セシルの隣に腰を下ろしたアレックスが、背もたれに肘をかけて上半身だけをこちらへ向けてくる。さらに距離が縮まった緊張感から直前までの感動も忘れ、何を言えばいいのか、どんな表情をすればいいのか、と岩のように硬直してしまう。

「その魔法を見せてくれ」
「え、嫌です」
「あぁ?」
「ご、ごめんなさい!」

 アレックスの申し出を聞いた瞬間に真顔で拒否すると、不機嫌な声と共に思いきり睨まれた。その表情があまりの迫力だったので、脊髄反射で謝罪する。

 美形が睨むと怖いことを身をもって理解したセシルは咄嗟に身構えたが、アレックスは本気で怒る感情もセシルに無理強いをさせる意図もないようだ。

 無言でじっと見つめられる。
 そのまま時間が経過する。
 ――やがてその圧に押し負ける。

 麗しの君から視線を外し、本を閉じて裏表紙を見つめると、隣にいても聞こえるか聞こえないかぐらいの声量でポツリと呟く。

「……気味が悪い、と思われる……気がします」

 静かに零したセシルの声は、ちゃんと聞こえていたらしい。一瞬の間を空けたアレックスが、

「それは、お前の魔法が災厄や不幸を招くからか?」

 と聞いてきた。一瞬ドキリとしたが、すぐにふるふると首を横へ振る。

 内心では、そこまで知ってるなんてどういう情報網なんだろうと思う。だが聞くまでもない。

 彼は国王の息子、正真正銘の王子様だ。自国の内にあるのなら、人であれ物であれ情報であれ、欲しいものを手に入れる手段などいくらでも存在するに違いない。

 ――つまりこれは『命令』なのだ。

 仕方がない、と潔く諦めることにする。他に誰もいない放課後の裏庭ならば、アレックスにしか見られないだろうから。

 もちろん彼が人に話す可能性はあるが、そうだとしても王子の命令。知られて見つかった時点でセシルには選択権などないに等しい。

「……アレックス様、氷の魔法は使えますか?」

 訊ねながらベンチの端に移動して、草むらの中に手を突っ込む。近くに噴水があって直接日が当たらない木陰の草の中なら、いるはずだ。

 草の中から引っ張り上げたものを手のひらに乗せて、アレックスの目の前に差し出す。セシルの手の中にいたのは、一匹の小さなカエルだった。

「この子を凍らせてもらえませんか?」
「おま……なんて残虐なこと考えるんだ?」
「大丈夫です。命を奪うわけではありません」

 アレックスはカエルが苦手ではないらしい。それよりもセシルの発言に驚いたようだが、もちろんセシルも殺生をするつもりはない。

 訝しげな表情をされるが、一応協力はしてくれるらしい。

 アレックスの手のひらに小さな光の泡が生まれて、徐々に渦を巻いていく。音と、温度と、空気と、光。そして自然界に存在する魔力――マナと呼ばれる魔法の素を混ぜ合わせながら、少しずつ周囲の温度を下げていく。

「これでいいか」
「はい」

 氷の渦がセシルの手に重なると、それまでちまちまと動いていたカエルが氷漬けになってしまう。あっという間に小さな生物の活動が停止する。

 カエルが確実に氷漬けになったのを見届けたセシルは、すぐに手の上の氷塊に自分の魔力を流し込んだ。

 ふ、と力を込めた瞬間、確かにそこにあったはずの氷漬けのカエルが姿を消す。

「なっ!? ……消えた!?」
「はい、今は僕の身体の中にいます」
「身体の中、だと……?」

 驚いた表情で呆然と呟くアレックスだったが、すぐにセシルの魔法のことを思い出したようだ。

 アレックスはセシルの魔法を見たいと言った。だがどんな魔法なのか知りたいとは言わなかった。

 つまり彼は、最初から知っていたのだ。災厄や不幸を招くだけではなく、セシルが生まれ持った魔法の概要もある程度知っていて声をかけてきたのだろう。

 そんな予想をしつつ、驚いた顔をしているアレックスに「少し待ちます」と告げてベンチに座り直す。セシルの魔法について正確な情報を伝えるためには、少し時間が必要なのだ。

 読んでいた本を開いて読書を再開する。隣にアレックスがいるので先ほどより集中力は低下していたが、この時間で他にできることがない。アレックスは何か言いたそうにしていたが、そこにセシルの意図があることにも気付いているらしく彼も黙って時間の経過を待ってくれる。

「おい、もう三十分経つぞ!?」
「あ……そ、そうですね」

 セシルの想像よりもアレックスは忍耐強かった。不機嫌な王子様は待つことが出来ない性分かと思っていたが、意外にも三十分もの間、セシルの隣で時間の経過を待ってくれていた。その事実に声を掛けられてはっと気が付く。

 慌てて本を閉じると、胸の前に両手を開いて魔力を込める。淡い光がセシルの手の上に生じると、先ほど身体の中に隠した氷の塊が姿を再び現した。

「さっきの氷……? 全然溶けてないな」
「アレックス様、はやく魔法を解除してください! このままだとカエルが死んじゃいます!」
「は、はぁ!? なんなんだ、一体!?」

 セシルが慌てた様子で詰め寄ると、アレックスが困惑と怒りの声を発する。だが焦った様子は伝わったらしく、すぐに氷の魔法を解除してくれた。

 溶けた氷の塊が水に変わると、中からカエルが姿を現す。少し動きが鈍いので簡単な治癒魔法を施すと、そのカエルは元の元気な様子に戻り、やがてセシルの手の上から草むらへぴょんと跳躍して逃げていった。

 裏庭の住人に致命傷がないことを確認してほっとしていると、アレックスが不思議そうに訊ねてきた。

「三十分、氷漬けになっていたよな?」
「はい。でもあのカエルが凍っていたのは、アレックス様が魔法を使った直後と、氷の魔法を解く直前だけ。時間にして十秒ほどでしょうか」
「どういうことだ?」

 首を傾げるアレックスへ向き直る。

 そう、これがセシルの生まれ持った特殊な魔法だ。

「僕が扱えるのは、自分の体内に対象のものを蓄積・貯蔵・保存できるという魔法です。しかも身体の中では時間が停止した状態が維持され、どんなに優れた魔法探知でも絶対に見つけることができません」
「……なるほど、それで長時間氷漬けになっていてもカエルは凍死しなかった。お前の魔法は『完璧な保存と隠匿が可能』ということか」
「はい。まあ、僕の身体より小さいものにしか使えないんですけどね」

 苦笑しつつ再びベンチに腰を下ろす。そのまま石畳に視線を落とし、陽が傾いて形が変わってきた木の影をじっと見つめる。

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