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1. 訳あり研究員の機密事項
しおりを挟むアイスブルーの鋭利な瞳と目が合う。
見間違いや気のせいなんかじゃない。ほんの一瞬だったけれど、セシルは確かにアレックス王子殿下と視線が合った。
抱えていた資料と書類の束をさらに強く抱きしめ、冷静を装った挨拶をしようと決意をする。しかしその直後、確かに合ったはずの視線がフイッと逸らされてしまった。
あからさまな無視と拒絶。その現実を思い知ると、セシルの覚悟は喉の奥へ静かに溶けて消えていく。
アレックスの姿と靴音がだんだんと遠ざかる。彼だけではなく、周囲に取り巻く秘書官や護衛騎士、案内役の王立魔法研究所長の姿も廊下の奥へ消えていく。
一団の姿が完全に見えなくなると、来訪客の麗しい姿を一目見ようと群がっていた他の研究員たちも自分の持ち場へ戻っていく。
やがてセシルだけがその場にポツンと取り残された。
(せっかくアレックス殿下と話せるチャンスだったのに。……結局、何も言えなかった)
アレックス=ディルフォード殿下は、我が国唯一の『王子』だ。百八十センチを越える高身長に、しっかりと筋肉のついた身体。さらさらでなめらかなハニーブロンドの髪色。天空を思わせる鮮やかなアイスブルーの瞳に、薄い唇と高い鼻が揃った美しい顔立ち。
冷めたように感じられる視線や怒りをあらわにした表情までもが洗練されていると感じられる、絶世の美男子。
その第一王子アレックスが、本日セシルの勤める王立魔法研究所へ視察にやって来た。
研究所に勤務する者が皆浮足立つのも、普段お目にかかることのない王族の姿を見ようと仕事を放置して群がる気持ちも、わからないわけではない。セシルだってその一人だ。
けれどセシルは周りの人たちとは事情が違う。きっと自分だけが、アレックスに対して普通と異なる感情を抱いている。
(また、無視された)
頭ではわかっていた。アレックスは王族で、セシルはただの平民研究者。あまりにも身分が違うのだから、話しかけたところで返答があるはずも、そもそも会話の許可が与えられるはずもない。
もちろんわかってはいるが、やはりショックは受ける。目が合って一瞬動きを止めたということはアレックスもセシルの存在を認識したはずなのに、それでもなお華麗に無視されたのだから、ショックに決まっている。
(まあ、当たり前か。あれから一度も会話したことないし)
しばらくその場に立ち尽くしていたセシルだったが、やがて自分でそう結論を出す。
深いため息をついて資料と書類を抱え直すと、踵を返して自分の持ち場へ足を向ける。
午後の日差しが入り込むガラス張りの廊下をとぼとぼ歩きながら、なんとなく不快感が残っている自分のお腹を気にする。両手が塞がっているのでさすることはできないが、歩くたびに違和感が増していく気がするのだ。
* * *
セシル=ダーウィスは男爵家の出自であった。下級とはいえ貴族の端くれであった父の強いすすめにより、セシルも王立貴族学園の魔法科に通っていた。
しかし最終学年の半ばを過ぎた頃、それまでも綱渡り状態だった実家の財政が急激に悪化した。
領地を持たない城勤めの下級貴族は領民から税収が得られないため、国政や経済の影響を受けやすいという脆い立場にある。父はダーウィス男爵家を立て直すために奔走したが、心臓の持病が悪化したことも重なり、結局は力及ばず爵位を返上するという結論を出した。
両親の奮闘によりどうにか卒業はさせてもらえたが、セシルの学園卒業と同時に、ダーウィス一家は平民へ落することとなった。そのため同い年で王立貴族学園に通う学友同士であったセシルとアレックスの身分差は、それまで以上に明確なものとなった。
立太子を控えた第一王子と平民の息子。学園時代にいくら親交があったとしても、今でも普通に会話が出来ると思う方がどうかしている。
(そもそも、僕なんかが貴族学園に通ってた方が変か)
両親のおかげで無事に卒業し、王立魔法研究所に就職できたことはありがたい。家が大変だった中でどうにか卒業まで踏みとどまってくれた父には心から感謝している。
なぜならセシルには、この王立魔法研究所で成し遂げたいことがあった。どうしても研究したいことがあった。
それは他でもない、自分自身が生まれ持った特殊魔法とそれに付帯する特異性についてだ。
王立魔法研究所は、自然界に存在する魔力を天候や天文、医療や軍事へ利用する技術――通称『魔法』の研究機関だ。
魔法研究の最先端にして最高峰である王立魔法研究所……ここで研究と努力を重ねれば、いずれ自分が生まれ持った特殊魔法をもっと便利に、有意義に、そして適切に扱えるはずだとセシルは考えている。
(僕の魔法は、変な魔法だから)
少量の火や水を生み出したり、落ち葉を風で集めたり、高木から果実を切り落としたりする程度の日常的な魔法ならばセシルも問題なく扱える。だが魔物や魔獣と戦ったり、質量のあるものを浮かせたりするほどの難しい魔法は扱えない。
その代わりセシルには、他に例を見ない特殊な魔法を扱うことができる。
特殊な魔法。それは実体のあるものを体内に蓄積・貯蔵・保存が可能な魔法――液体や固体といった『手で触れられるもの』であれば、形状・温度・感触に関わらず、一定の状態を保持したまま長期間『体内』に隠し持っておける、というものだ。
セシルがこの魔法を使うと、対象物はいつの間にか身体の中へ移動している。自分でも隠し持ったものが体内のどこに存在しているのか正確に知覚していないが、熱っぽさや違和感があることから、おそらく腹部周辺に移動して存在しているのではないかと予想している。
一見使い道もない代わりに害もなさそうな魔法だが、この魔法には大きな落とし穴がある。
実はこの特殊魔法、体内に何かを蓄積して貯蔵できるという特性ゆえか、災厄を招いて貯め込んだり、不幸を呼び寄せる力だと言われているのだ。
(ダーウィス家が没落したのも、僕のせいだったりして……)
考えれば考えるほどそんな自虐ばかり思い浮かぶ。
災厄を招いて蓄積するという話には何の確証もない。幼少期に魔法医にそう診断されたため、セシルも両親も妹もそれが真実であると認識しているだけだ。だが真実は誰にもわからない。
(だから本当のことが知りたくて研究してる……。けど観測対象が自分しかいないんじゃ、実験も進まない)
自分を取り巻く現状に苦笑したセシルは、頭の中から余計な情報を追い出して、持ち場である研究室に戻る。中に入ってすぐの場所にあるテーブルに資料と書類の束を置くと、そこでようやくひと息ついた。
少し疲れた。
身体以上に、心が。
アレックスの姿を見つけた瞬間は確かに嬉しかったのに、そのアレックスの挙動一つで心がずしっと重くなった気がする。本当は振り回されるようなことではないのに、ただ目が合っただけで一喜一憂している自分が情けない。
もう一度ため息を吐くと、近くのソファに腰を下ろして背もたれに身体を預ける。左手の甲で額を多い、右手をお腹に当てたまま天井を仰ぐ。
他の研究室よりも掃除と整理整頓が行き届いた清潔な環境。自分の身体に合わせた魔力の流動。仕事仲間たちとイチから作ってきた実験道具。薬品の匂い。
――居心地がいい。ここにいるだけで、少しずつ苦い感情から解放されていく気がする。
「あれ? セシル先輩、顔色悪くないですか?」
「……ルカ」
顔の熱が冷めるまでぼんやり過ごしていると、室内に入って来た後輩女性研究員・ルカ=アルフィーネが不思議そうな声を出した。ルカはセシルの姿を見つけるなり、眉間に皺を寄せてさらに困ったような顔をする。
「具合が悪いなら、医務室か仮眠室に行ってきていいですよ? 素体の反応確認なら、私が代わりますから」
「ありがと。じゃあちょっと休ませてもらおうかな」
「じゃあ俺もセシルと一緒に休んでこよーっと」
「!」
物陰から聞こえた声に身体がビクッと跳ね上がる。研究室の奥にある本棚の陰から現れたのは、同期の男性研究員ジェフリー=ルヴィアだった。
どうやら彼は、入り口からだと一見わかりにくい場所で仕事をサボっていたらしい。
ジェフリーに『室長とルカが不在になる間は研究対象から目を離せないから、図書館に行けない』と伝えたら『俺が見てるから行ってきていいぞ』と言ってくれてたのに。奥の部屋にいるのかと思ったら、こっちの部屋にいるではないか。
セシルの訝しげな視線と同じく、隣にいるルカも胡乱な表情をする。
「ジェフリー先輩はだめですよ。私、ジェフリー先輩の集計は手伝いませんからね」
「なんだと」
ルカの言葉にジェフリーが不満の声をあげるが、その判断は正しい。彼は生粋のサボり魔だ。甘やかす必要がないことは研究室の全員が知っている。
そのままやんやんと言い合いを始める二人を残して、仮眠室を利用させてもらうことに決める。一時間ほど横になっていれば、少しは体調も気分も落ち着くだろう。
本当は自分の身体に合う研究室にいた方が気分も体力も早く回復すると思うが、あの二人の言い合いを聞いていると今度は別の疲労が蓄積しそうだ。
(後輩に心配されてちゃ、だめだよなぁ)
内心でそう考えつつ、重い足取りで仮眠室へ向かう。図書館とは逆の方向に歩きながら、先ほどからずっと気になっている場所をもう一度さする。
(なんか、お腹が変な感じだ)
自分で自分のお腹をさすさすと撫でていると、また熱っぽさを感じ始める。そしてお腹ももちろんだが、それ以上に顔が熱くなる。
ああ、だめだ。
またアレックスの顔を思い出してしまう。
今日のような冷たい視線ではない。もっと昔の、セシルとアレックスがまだ学園時代だった頃。
熱い指先、甘い花のような匂い、真剣な視線、嬉しそうなの表情。胎の中にたっぷりと注がれたアレックスの精蜜。彼と交わした内緒の約束。
(ここに、アレックス殿下の子種が……)
セシルの特殊魔法は現在進行形で役立っている。
セシルは自らの体内に、他でもないアレックスの子種を隠し持っている。
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