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◆ 第3章

43. 朝日が眩しいので 前

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 カーテンの締め方が不十分だったのだろうか。瞼の上にチカチカと朝の光が当たる気がして、ゆっくりと目を開く。

 半覚醒のままぼんやりと視線を動かした美果は、やはりカーテンの隙間から差し込む陽光が顔に当たっていることと、ここが自分の家ではないことに気がついた。

「え? ……っ!?」

 背中にぬくもりを感じて首を動かすと、背後に翔がいることにも気づく。しかしその距離は近いなんてものではない。完全密着状態だ。

 美果の身体を抱きしめるように眠っている翔は、まだ夢の中にいるらしい。寝息のリズムを耳元に感じると、まだちゃんと働いていない頭がじわじわと冴えてくる。心臓もどきどきとうるさく動き始める。

 動けば翔を起こしてしまう気がしたので、身体は出来るだけ動かないように思考だけを働かせる。

 あれから誠人たちの元へ向かった翔は、部屋を出る直前、美果に『先に寝てていいぞ。動けるなら風呂も使っていい』と言い残していた。

 だから美果は少し休んでからシャワーを済ませたが、慣れないパーティと恐怖の体験、体調不良とはじめての行為を一度に経験したせいか、翔の帰りを待っている間に疲れて眠ってしまった。翔が帰ってきたときに一度声をかけられた気がしたが、結局覚醒には至らず、気がつけばそのまま朝になっていた。

 美果の腰に腕を絡め、優しく抱きしめてくれる翔の体温に緊張する。ゆるい抱擁に拘束感はないが、それでいて決して逃がさないという意思表示のようにも思える。翔は昨日、この腕とこの手で美果を慰め、この指先で敏感な場所を撫で……

(ふわぁああ、あぁああうあうぁぅ……)

 一気に色々と思い出して、悲鳴をあげそうになるのを必死で押さえ込む。

 昨日の美果は、どうかしていた。じんじんと疼く切なさに抗えず、翔に恥ずかしい姿を見せてしまった。身体が熱く火照るあまり、性体験もなかったのにひどく乱れてしまった。その上、自慰の手伝いをさせるという不埒にもほどがある状況に翔を巻き込んだ。

 対する翔は不安を感じる美果に知識とぬくもりを与え、紳士的な態度で美果を諭してくれた。美果が大切だからこそ、ちゃんと抱きたいと一途な想いを示してくれた。

 普通ならドン引きされても仕方がないところなのに、翔は大人の余裕たっぷりに美果のすべてを受け止め、一線を越えないという選択をしてくれた。

 だから翔には感謝しているが……冷静になるとやっぱり猛烈な羞恥に襲われる。もう、穴があったら入りたい。

「……美果?」
「!!」

 翔の腕中で昨晩のことを思い出していると、ふと彼の腕がピクリと動いた。

「おっ、おはようございます……翔さん」
「……みか、がいる」

 緊張で心臓がドキドキうるさい。それでもちゃんと挨拶をしなければ、と考えて肩から振り返ると、眠そうな表情の翔がこちらをぼーっと見つめていた。

「おきたら美果がいる……最高だ……もうベッドからでない」
「な、何言ってるんですか……」

 忘れていた。この人、朝は本当にぽんこつだった。大人の余裕たっぷりに美果を想ってくれる紳士はどこへやら。

 ベッドサイドにあるデジタル時計を確認すると現在の時刻は午前八時。日曜なので互いに仕事は休みだが、ホテルなのだからチェックアウトの時間は決まっているだろう。

「しょーさん! 起きてください!」

 深く息を吐いた翔の呼吸がスースーと安定していくので、完全に二度寝に落ちてしまう前に大声で起こそうと試みる。すると美果を抱きしめたままの翔が「ん~」だの「もう少し」だの呟きながらもぞもぞする。やはり簡単には起きれないらしい。

 仕方がない、と力任せに翔の腕から逃れた美果は、ベッドの上に身体を起こすと布団を勢いよく剥ぎ取った。

 ベッドサイドにブラインドを電動で開けるボタンがあったので、ついでにそれも押して部屋全体に朝日を取り入れる。美果の行動に、翔が不快そうに表情を歪めた。

 美果と同じバスローブ姿ではあるものの、顔が整った麗しい男性が太陽の光を嫌がる様子は、なんとなく吸血鬼っぽい。

 なんて失礼なことを考えていたが、そうこうしているうちに翔も少しずつ覚醒してきたらしい。欠伸を噛み殺しながらうっすらと目を覚ました翔に向かい、シーツの上に正座をした美果はうやうやしく頭を下げた。

「昨日はご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「……べつに、迷惑なんて思ってないぞ?」

 美果の謝罪を聞いた翔は、シーツの上に肘を立てて頬杖をつくと、そのままにやりと楽しげな笑顔を浮かべた。

「えっと……あの後のこと、聞いてもいいですか?」

 その笑顔を受け流すように、昨夜うっかり眠ってしまったせいで聞き逃した経緯を訊ねる。

 美果の質問に短く頷いた翔が、姿勢はそのままに鼻から細い息を吐いた。

「そうだな……まず稲島萌子だが、父親の稲島社長に改めて状況を確認した。だが彼女は親には相談せず、単独でお袋に近づいてきたらしい。自分の両親には既成事実を作った後で報告するつもりだったようだ」

 やはり萌子は偶然ではなく、意図的に翔の母親に接近していたらしい。そこから翔との繋がりを得て、ゆくゆくは翔の花嫁になることを望んでいたようだが、彼女の最大の失敗は野心的で慎重派の父親を頼らなかったことだ。

 萌子は父と行動を共にするより自分の意思で行動した方が効率的であると考えたらしい。だが世間知らずの娘が一人でどうにかできるほど、経営の世界も社交の世界も――〝天ケ瀬〟も甘くない。

「そもそも、稲島の娘は昨日のパーティーの場に美果が来るとも、俺が美果をパートナーとして紹介するとも思っていなかった」
「え……じゃあなんであんなもの持ってたんですか?」

 翔の説明に奇妙な違和感を覚える。萌子は美果を傷付ける目的で栄養剤を持ち込んだはずなのに、美果が昨夜あの場に現れることは想定していなかったのだという。それでは、辻褄が合わない。
 
「だから言っただろ。既成事実を作るためだって」
「……まさか、翔さんに飲ませるつもりで持ってきたんですか!?」
「みたいだな」

 翔はあっさりと認めるが、あまりの短絡的な思考に頭痛すら覚える。萌子はアダルトグッズの一種である精力増強剤を翔に飲ませ、その効果が現れたときに自分と関係を持つことで翔の花嫁の座を手に入れようとしたという。

 偶然効き目が出すぎてしまった美果が言えることではないが、それほど簡単に事が運ぶと思える発想が怖い。そんな杜撰で馬鹿げた既成事実作りに翔が巻き込まれなくてよかった、と心底安心する。

「だが俺が美果を大切に扱う姿を見た彼女は、手段を変えることにした。俺をどうこうするんじゃなく、俺と美果の仲を裂く方向に作戦を切り替えた。美果を襲った男は、金で雇われたただの捨て駒だ」
「……」

 それもまたおぞましい発想だと思う。

 萌子は男に美果を襲わせ、その様子をあえて翔に見せることで『穢された女性は天ケ瀬の後継者である翔には相応しくない』と声高に主張するつもりだった。

 だからあのときの男は『もう見つかった』と口走り、作戦が成功しないことを知ると美果を放置してそのまま逃走しようとした。あれこそが目的に芯がないために行動にも一貫性がない、金で買われた人間の振る舞いなのだろう。

「でも仮に私と翔さんが仲違いしても、翔さんが萌子さんを選ぶとは限らないですよね?」
「思考が短絡的だよな」

 やはり翔も同じように感じているらしい。短い言葉で吐き捨てた台詞は美果も同感だ。自分が選ばれなかった怒りを美果にぶつけるのも筋違いである。

 真相を知って深くため息を吐くと、同じく呆れたような顔をした翔も、頬杖を解いてシーツの上にあぐらをかいた。

「この件の詫びとして、稲島物産は天ケ瀬百貨店に対して〝ある取引〟を打診してきた。口止めの意味も含まれているんだろうが、受け入れれば向こうとの関係がひっくり返るほど破格の内容だ」

 さすがは大企業の最高経営責任者。娘は決して頭がいいとは言えないが、父親である稲島はこの状況が表沙汰にならないよう早くも策を講じてきたらしい。

 物流や製造を主とした稲島物産は様々な業界に参入する大きな会社で、本来は天ケ瀬百貨店とは比べ物にならないほどの大企業だ。しかしだからこそ、スキャンダルが露呈したときの影響も大きい。

 それならば天ケ瀬グループに丁重に詫びて、慰謝料代わりに多少不利な取引を結ぶことも厭わない。その決断のタイミングも逃さない。それほど父である稲島社長は慎重かつ野心家で、見栄と体裁を重んじる人物なのだろう。

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