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「あ、つかまってる」

僕がその言葉を聞いたのは、会社を休んで耳鼻科へ向かっていた時だった。
その言葉は、電波系子役バラドルとして活動中の《アイコちゃん》によって紡がれた言葉だった。
彼女は、主にネット上で活動している、たぶん占い師とかの括りだと思う。
彼女の売りは《予言》だ。
今、彼女は僕の目の前で、でも車道のタクシーに向けての発言だったと思う。

だから僕は、『あのタクシーがスピード違反で捕まるのかな?』と、その程度にしか考えなかった。

しかしその日、僕が耳鼻科から帰宅することはなかった。






実はその日はかかりつけの耳鼻科が近所の学校の健診のため急遽休診だった。

そこで、その耳鼻科の近所の耳鼻科をスマホで調べたんだ。
口コミも評価もなかなかだった。

で、やってきたのは《鈴木医院》。
外観は古めかしい、仙人みたいな爺さんがやってるような、昭和…いや大正?そんなレトロな洋館だった。

扉に右から横書きで、《ズキクリニツク》とある。
の字が外れたままなのだろう。

中へ入ると三和土はなく、『靴のままどうぞ。』とある。

僕は《フローリング》と言うよりも《板の間》と呼びたい待合室へと歩を進めた。

そこは階段下のエントランスホールといった場所だった。
吹き抜けの高い天井からは葡萄の蔓のようなデザインの照明が下がり、焦茶色の手摺はピカピカに磨かれて、パッと見、咄嗟に掴んでも滑りそうだ。

その代わりとでも言うのか階段には毛足の短い赤い絨毯が敷かれているが、その端の方は捲れて手摺と同じ焦茶色が見えている。

壁は漆喰のように見える真っ白、窓は一般的な引き違い窓ではなく、格子状の木枠のついた両開きの外開き窓で、窓枠は白木だった。

受付で初診でも大丈夫か確認すれば、母くらいの年頃の恰幅のいい女性が、

「構いませんよ。こちらお書きになってお待ちください。」

と、問診票を渡す。

僕はサラサラと記入するとボールペンと一緒に受付の女性へ手渡した。

名前のところだろうか。
問診票の1点を見つめて女性は一瞬目を見開いた。

しかし、
「そちら、お掛けになってお待ちください。」

丁寧な手付きで窓の下に位置する革張りの長椅子を示すと、何やら事務作業に入った。

コチ…コチ…コチ…コチ……

最初の扉の正面の壁には振り子時計が掛けてあり、秒針は見えないけれど時を刻む音だけが室内に響いていた。






数分後、呼ばれて診察室に入る。

診察室は、今僕の座るソファの正面、受付の横の木製の扉だ。
複雑な彫刻で飾られ、真鍮のドアノブが付いているけれど引き戸だった。

「どうぞ、お掛けください。」

こちらに背を向けた医者は、思ったよりも広い背中をしていた。

僕が丸椅子に掛けると、振り返った男は思いの外若く、医者にしてはがっしりとした体躯の、黒の短髪の似合う、整った顔をしていた。


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