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#5 夫の浮気を突き止めたら監禁された

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「お客様……」

電話機の前で呆然としていると、スタッフが遠慮がちにそう声をかけてくる。
ハッとして、立ち上がる。
「ごめんなさい……」

スタッフが気まずそうに私に聞く。
「あの、大丈夫ですか……?」

私は頭を振って、なんとか微笑む。
「大丈夫……」
戻らなきゃ……京介に怪しまれる。


「どこ行ってた?」
戻ると、京介が訝しげな顔で私にそう尋ねた。

「ちょっとトイレに……」

そう答える、京介は納得したように頷く。
「そうか」

良かった。
なんとか疑われる前に戻って来れて……


「大丈夫だったの? 車」
私の問いに京介は苛立ちながら、
「ああ、擦れていただけ。相手の保険会社から後で連絡あるらしい」
と答える。

「そう」
本当は車なんてどうでもいい。
どこにでもいいから逃げたかった。
でも、私にはもう……戻る場所はない。

「帰ろう」
と京介は言った。

「うん」
またあの生活が始まる。
終わりの見えない、あの生活が……



真綿で首を絞められるように、ゆっくりと私の心は殺されていった。

「さあ、真琴、起きて」

朝起きると京介と朝食を摂り、昼はずっとベッドで横になる。

家にはずっと京介がいて、仕事をしている。


あるのは簡単な受け答えのみの単調な生活。


カレンダーの印はもうずっと前からつけなくなっていた。


その生活は、やがて私から思考力を奪っていった。

「真琴」

その晩、晩御飯を食べ終わると京介が私を呼び止めた。


「改めて、あの時のことを話そう」

と京介は言った。

「あの時のこと……」

ぼんやりする頭で、京介が浮気のことを言っているのだとわかった。


「やっぱり、誤解したままだと良くないだろ?」

誤解、と京介は言った。

「誤解?」

首を傾げると、京介は微笑む。

「真琴はどうして、俺が浮気してるって思ったの?」

「……それは」

それはもちろん、だって証拠が……

ぼんやりする私に、京介がぎゅっと手を握る。


「聞いてくれ」

「全部、真琴の妄想なんだ」

「えっ……」

何を言ってるの……?


私が戸惑っていると、玄関の呼び鈴がなる。

「……ああ、良かった」

京介は立ち上がると、玄関へと歩いていった。

戸惑いながら見ていると、リビングのドアが開く。


「真琴……!」

そこにいたのは、智子だった。

「智子……?」




私たちは3人でテーブルにかけた。

私の対面には、智子と京介が並んでいた。


「どうして智子が……」


困惑して京介を見ると、京介は微笑む。

戸惑っていると、智子が真剣な声で、

「真琴が具合を悪くしたって言うから……私……」

と言った。

智子は決意を固めるように目を釣り上げた。

「真琴……落ち着いて聞いて」

私は戸惑いながら智子を見つめる。

智子は、

「京介さんは浮気なんかしてない」
と言った。



真琴「え……?」

谷底に突き落とされるような衝撃に襲われる。

真琴「何言ってるの……? 智子……だって」

だって、あんなに浮気の相談したのに……


「違うの……真琴はそう思い込んでいただけ。ずっと言い出せなかった」

「嘘……! だって、証拠が……」

「本当に、写真が浮気の証拠になるの? 偶然、同級生と会っていただけだって、京介さん言ってたよ」


頭の中で、証拠写真がフラッシュバックする。

記憶の中、もやがかかったように思い出せなくなっていた。

浮気だと思っていたのは全部……


「全部、真琴の考えすぎなの……」



「考えすぎ……?」

呆然とする私に、京介が微笑みかける。


「大丈夫、ゆっくり治していこう……」


足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚に襲われた。




あれから考えることをやめた。

「じゃあ、行ってくる」

いつからか、京介は私を一人にして会社に行くようになっていた。

「いってらっしゃい」


部屋の中から、私は京介を見送った。



もう、一人にされても外に行こうという気力はなかった。

どこもおかしくなかったはずなのに、最近では本当に具合が悪いみたいに、ずっとベッドで横になっている。

鏡を見る。

私はひどい顔をしていた。


本棚から辞書を取り、辞書に挟み込むようにして隠していた証拠写真を取り出す。

京介と長い金髪の女が歩いている写真。

二人で店に入って行く写真。


これがあれば簡単に終わると思っていた。

でも、今は迷っていた……離婚して、それでどうする?


何もかもがどうでもいい、そう思った。

呼び鈴が鳴る。



配達?


無気力な足取りで私は玄関に向かった。

ドアを開ける。

「え……」


そこに居たのは母だった。



「お母さん……」

呆然と母を見る。

なんで、お母さんが?

母は真剣な顔をしていた。



「今、京介さんは?」

「いないけど……」

私がそう言うと、母は私の腕を強く掴んだ。

「えっ……?」


「逃げるわよ」

と母は言った。

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