冷徹公爵が無くした心で渇望したのは愛でした

茜部るた

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愛の貴公子

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 その夜はアンがソレットを預かってくれることになった。
 マリアはユーゴのベッドを借りたまま眠りに着こうとしていた。

 寝る前にユーゴが様子を見に来た。

「大丈夫か?」

「お陰様で。ソレットもアンが預かってくれるそうです。今夜ゆっくり眠ればきっと明日は大丈夫です」

「それはよかった」

 それからユーゴはマリアの手を握りしばらく黙っていたが、マリアがまどろみ始めると自分もベッドに潜り込み、彼女を後ろから抱きしめた。

「ユーゴ様!?」

「何もしない。本当に何もしない。もうあんな虚しいことは2度としない。だけどこのままいさせてくれないか。寒いんだ。酷く寒い。お前を抱きしめたまま眠ることを許してくれないか」

「ユーゴ様…それでしたらこの方がよろしくないですか?」

 マリアはそう言うとユーゴの方を向き、彼の頭をそっと抱えた。
 赤子の時に安心感を得た柔らかな胸に包まれ、ユーゴは思わずため息を吐いた。
 彼女の腰に腕を回すと、ぎゅっと体を密着させる。
 
 これなら心も凍り付かない気がする。
 
 ユーゴは「ありがとう」と言うと、そのまま2人は眠りに落ちた。

 これからもっと温かくなる。
 マリアは心のどこかでそう思っていた。
 
 だから翌朝先に目覚めて、まだ眠るユーゴを見つけると、彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出した。彼が寒さに蝕まれていることには気づかなかった。

 体の調子はいい。
 ついでに手もなんだか良くなっている気がする。
 着替えるとソレットを迎えに行き、朝の仕事に取り掛かった。

 ユーゴの食事をダイニングに整え、起こしに行く。

「ユーゴ様、お食事のご用意が整いましたよ」

 ユーゴがゆっくり目を開けた。
 どこか視線はぼんやりしていた。

「ユーゴ様…? どうかなさいましたか? お加減が悪いのですか?」

「寒い」

「暖炉の薪を増やしましょうか。熱ではないようですね。また心がお寒いのですか?」

「寒い…冬の海のようだ」

「今もっとかける物をおもちしますね」

「いい。無駄だ。例え炎の中に飛び込もうともこの寒さは消えない」

「ではどうすれば…」

「レターセットとペンを持ってきてくれ」

 マリアは不思議に思いながらも急いで書斎から持って来ると、彼は何かを急いで書き始めた。

「この6つはベスら使用人の。そしてこれはお前の紹介状だ」

「紹介状って…ユーゴ様?」

 握っていたペンがベッドに落ちて、シーツにインクの染みを広げた。

「もう、ペンも持てぬ。体が凍り付いたように寒い」

「どうして、どうしてユーゴ様。あなたの心は愛を見つけたのではないのですか?」

「遅かったのだ。もう全てが。紹介状があればお前ならどこででも務められる。財産の一部も持てるよう記した。他の使用人についても悪いことは書かなかった。きっと俺のせいであんなことになっていたのだろうしな」

 ユーゴの手が小刻みに震えている。
 指先は白くなり、顔からも赤みが引いていく。

「頼みがある」

「なんでしょう。なんでもおっしゃってください」

「ソレットを抱かせてもらえないか」

 マリアは籠から急いでソレットを連れてくると、震えるユーゴの腕に抱かせた。

「温かいな。なるほど、これが命の温かさか。お前は赤子ながら俺に色々教えてくれた」

 きっとこの後お前も死ぬのだろうが、その命が惜しい。

「ユーゴさま…」

 マリアが涙を流しながらユーゴの頬に触れた。
 触ってわかる。
 体感的にも明らかに冷たい。
 人の温度ではない。

「マリア、お前も温かい。人の心は温かいものなのだな。知れてよかった」

「ユーゴさま、まだ終わりではございません。もっと知って欲しいことも沢山ございます」

 せっかく心に触れられそうになったのに、このまま凍ってしまうなんて酷い。
 どうして神様はそんなことするの。
 この人にも愛する心があるのを見つけたのに。

「マリア、もう1つ頼みがあるが、断ってもらっても構わない」

「いいえなんでも致します」

「嘘でいい。役者の台詞だと思ってもらって構わない。愛していると言っては貰えないか」

 マリアは涙を拭くと、ユーゴの手を握り笑顔を浮かべた。
 それは泣きそうになって酷く歪んでいたが、作った笑みではない。
 ソレットに向けたような、心からの笑みだった。

「ユーゴ様、愛しております」

「なんと温かい」

 嘘でもこれほど満たされるものがある。
 本物の愛とはきっと素晴らしいものなのだろうな。
 
 神よ、もう1度だけ俺の願いを聞いてくれ。
 赤子に命を与えてやってくれ。
 俺が生きるはずだった残りの命を、ソレットに与えてくれ。
 マリアからこの子を取り上げてしまうのは、あまりに可哀相だ。
 俺の命が終わろうとも、赤子まで終わらせないでくれ。

「マリア」

「はい」

「お前のことを愛してみたかった」

 そしてユーゴは、目を閉じた。



 温かい。
 隣に何かとてつもなく温かなものがある。
 目を開けてその正体を見ると、スヤスヤと眠るソレットの姿があった。
 ぷくぷくとした頬は赤く、まだ薄く小さな唇はなんとも可愛らしい。
 思わずこちらの頬も緩んでしまう。

「ユーゴ様、お目覚めですか」

「俺は……生きているのか?」

 マリアは不思議な顔をするも、すぐに破顔した。

「ええ、生きてらっしゃいます。昨晩は酷く寒いとおっしゃっていましたが、旦那様の心が凍てつかずに本当によかったです」

「どうして…」

 あれほど寒かった体が嘘のように温かい。
 凍てついた心は今はとても軽やかで、まるで春が来たようだ。

「春…そうか、春が来たのか」

 その言い方にマリアがくすりと笑った。

「まあ。まるで恋をしたような言い方ですね」

「恋…そうだ。恋をした。マリア、俺はお前に恋をした。とても愛しい。誰かをこんなに求める気持ちは初めてだ……」

 マリアが困ったような顔をしている。
 昨夜嘘でも「愛している」と言ってくれたことはどうなったのだろう。
 また神の仕業であの一連の出来事はなかったことになっているのだろうか。

「いや、気にしないでくれ。こんなこと突然言われても迷惑だろう。俺はお前に冷たくした上に体を弄んでしまった。こうして優しく接してもらっているだけでも奇跡だ」

 俺はお前に恋をした。愛したいと思えたし、今愛していると思える。
 もっと深めたい気持ちはあるが、この事実だけでも十分だ。

 書いたはずの紹介状はどうなったのだろう。
 そう言えばインクの染みは……ない。
 あの紹介状もなかったことになっているのだろう。

「驚かせてすまなかった。お前には紹介状を書こう。お前のスキルならどこへ行っても恥ずかしくないはずだ。生活費も渡す。いい雇用主を見つけどこかで幸せになってくれ」

「ユーゴ様、このままここで働かせて頂くことは可能でしょうか」

「いや、それではお前が…ここにお前の幸せはないだろう」

「あります。ここにソレットがいて、ユーゴ様がいらっしゃいます」

「マリア…」

「一緒に海までダイヤを探しに行きませんか?」

「行かない。もうここにある。マリア、お前がダイヤだ。俺の欲しかった愛がここにある」

「あぶあ! あう、あう、あうー うんぎーー!」

 寝ていたはずのソレットがいつの間にか目覚め、猛烈に抗議するかのように叫んだ。

「聞いたか、“うんぎー”だ」

「新しい言葉ですね」

「ソレット、お前もダイヤだ。まだ小さいが間違いなくダイヤだ」

 この日ユーゴは、マリアとソレットを連れ教会に併設された霊廟へと赴いた。
 それは王族だけが入れる霊廟で祖先を奉ってある。
 祖先とは即ち己の守護神たる存在。
 ユーゴが幼い頃祈った神とは、建国者で太陽の王と呼ばれた初代国王ソール。
 
 ユーゴは墓に今までの非礼を詫びると愛を知るチャンスをくれたことに感謝した。
 ソレットが生きているのも、恐らくソールが命を与えてくれたのだろう。
 そしてそのソレットを連れて来たマリア自身も、もしかしたらソールが遣わせたのかもしれない。
 
 ユーゴの砂粒のような愛をすくいあげ、彼に気づかせたのはマリアなのだ。
 そしてこれから共にそれを育ててくれると言う。

 ユーゴは始まったばかりの愛に喜び、そして感謝した。

 実はもう1つ彼をずっと気遣う愛が存在していたことを、山のようになった未開封の手紙を開くことで初めて知った。

 それは王太子となった弟からの手紙で、彼を慕い、戻って来てほしいと願う言葉が並んでいた。
 ユーゴが心を閉ざして気づかなかっただけで、弟のゼファーはなんでも出来る兄に憧れを抱き、自分が立太子してしまったことをずっと悔やんでいた。
 兄弟2人にどうにか出来るものでもないが、ユーゴはここで初めて弟に返事を書いた。

『王に必要な知識も力もお前にはある。そして俺にはなかった血の通ったまつりごとがゼファーには出来る。俺は俺の全力でそれを支え、国の繁栄に尽くす。沢山の手紙をありがとう。俺は誰にも愛されていないわけではなかったのだな』

「マリア」

「はい」

「俺は本邸に戻る。弟の立太子以降逃げて来たもの全てと向かい合う」

 ソレットを抱いたマリアを抱き寄せる。

「マリア、そしてソレットも一緒だ。共に俺と愛を育んでくれるだろうか」

「ユーゴ様、勿論です」

 ユーゴは笑った。
 マリアがソレットに向けるのと同じとても素直な笑みを。
 生まれて初めて口にする言葉は、マリアだけでなく彼自身も満たした。

「マリア、愛している」

 ユーゴは2人の間にいるもう1つの愛おしい存在にキスを落とすと、マリアの唇にもそっと重ねた。
 奪うのではなく与え与えられる口づけは、2度と凍える隙を与えないほど心を充溢させた。


――これは、後に“愛の貴公子”と呼ばれたある男の物語。
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