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原石
しおりを挟む一晩行方不明だった主は、翌朝当然のように自室のベッドで休んでいた。
ベスにいるか確認してこいと言われたマリアはその姿を見つけるとほっとしたようだった。
「旦那様、昨日はどうされたのですか」
「少し昔を思い出していた」
そんな不思議な返答をするとユーゴはベッドから起き上がり、マリアの用意した着替えに袖を通した。
「マリア」
「なんでございましょう」
「すまなかった」
「旦那様…」
「お前に酷い事をした。許せとは言わない。許さなくていい。ただ謝罪したかった。悪かった。お前の尊厳を踏みにじり、試すようなことをした。すまなかった…」
「満たされましたか?」
「満たされなかった。虚しいだけだった。お前は…痛かったであろう」
「はい。痛くて、怖かったです。でも半分はユーゴ様の心の悲鳴かと思うと、哀しくもありました。もう探すのはお止めになるのですか?」
「本当はもう少し探したい…」
もう少しマリアと心を通わせたい。
その先に愛を見つけられるのか知りたい。
赤子の時に知った温もりを、今度はこの姿のまま感じたい。
マリアはソレットに向けるのと同じ笑みをユーゴに向けた。
「なら探しましょう。1粒のダイヤだって、探し続ければいつか見つかります。それにそこにダイヤがあるとわかるだけでも意味はあります。私もお手伝いしますから……」
「マリア?」
「します、から……」
「マリア!」
ぐらりと揺れたマリアの体を、ユーゴは急いで抱き留めた。
猛烈に熱い。
酷い熱を出しているのに、気丈に仕事をしていたのか。
過酷な労働の上にあんな行水をしていれば、熱が出ない方がおかしい。
ユーゴはすぐに彼女を自分のベッドに寝かせ、暖炉の薪を増やした。
「クソ、どうすれば…ベス! ベスはいないか!」
ユーゴはベスに医者を呼ぶように言い、さらにマリアの看病を任せると、泣き始めたソレットを自ら厩舎の娘の元へ連れて行った。
突然現れた主にアンは心底驚いたが、いつもマリアが来た時と同じようにソレットの世話をした。
一通り終わり、マリアがするように籠に入れて雪道を戻ると、医者が来たとのことで離れた所で立ち会った。
「疲れでしょうな。温かくし、栄養のあるものを食べ、ゆっくり休ませてください」
「熱は」
「きちんと休めば明日か明後日には下がるでしょう」
大事ではないようでほっとするも、マリアの呼吸は苦しそうだった。
少しでも熱が下がらないだろうか。
ベスはどこに行った。
看病をするよう言ったのに。
「旦那様…」
「喋るな。そのままゆっくり休め」
「ソレットは…」
「先ほど乳をもらった。今は寝ている。お前も寝るんだ」
「ソレット…」
「ほら、ここにいる。大丈夫だ。泣けばまたアンの所へ連れて行く。だから休め」
「ユーゴさま……」
こういう時どうすればいいのだ。
俺がずっと昔に熱を出した時は……宮廷医師とメイドがいたから静養自体は問題なかったな。誰も見舞いには来なかったが。
そんなことはどうでもいい。
どう看病すればいい。
「ベス! ベス! 何故だ。何故誰も来ない」
おかしい。
屋敷に人の気配がない。
これも神の御業…いや仕業なのか。
ええいどうでもいい。
このままではマリアが苦しむだけではないか。
キッチンにあった桶に雪を入れると、水を少し入れて冷水を作った。
タオルは…リネン室だろうか。どこだ。
もうこのキッチンに干されていた布巾でいい。
マリア、待っていろ。
部屋に戻り、冷水に浸した布巾を絞り額に乗せてやった。
うっすらマリアの目が開き、礼でもするかのようにゆっくり瞬きをした。
「あうー」
そうだ赤子がいたのだ。
これはなんだ?
お喋りをしているだけか?
「あうー あーーいっ」
「おお、新しい言葉ではないか」
口の周りが涎だらけだ。
これはここにあるガーゼで拭えばいいのか?
何故赤子はこんなに涎を垂らすのだ。
こすってはダメか。マリアも柔肌を気にしていたな。
涎を拭うと、ソレットは籠のリボンに手を伸ばした。
「それは俺の勝利のリボンだ。貴様にはまだ取れまい」
「あうあー」
「俺はマリアの水を持って来る。励めよ」
「あぶっ」
またキッチンまでやって来ると水差しを探す。
どこに何があるか分からないが、棚を漁っていて見つけた。
中に水を満たすと、グラスを持って戻った。
「ああこら、何をしている」
勝利のリボンをソレットは勝ち取ったのか、涎でべたべたにしながらひたすら口に入れていた。
こんなもの飲み込まれてはひとたまりもない。
慌てて取り上げると、「ふぇ…」と言ったあとに泣き始めた。
「クソ、マリアが起きるではないか。ええい、抱っこか? 抱っこを所望か?」
水差しをサイドテーブルに起き、ソレットを不器用に抱えると部屋を出る。
マリアがそうしてくれたように、そっと揺すりながら背中を叩いた。
「何が不満だ。貴様は俺が欲しかった愛を全身で享受しているではないか。今日くらい我慢しろ」
「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ」
「クソ、耳に響くな。リボンか? リボンが欲しかったのか。だが貴様はなんでも口に入れるだろう? 何かないか…何か口に入っても平気で飲み込まないようなものは」
ユーゴがソレットを抱いたまままたキッチンに戻ると、木製のスプーンを見つけた。
「よし、これでもしゃぶっておれ」
「あぶっ!」
「気に入ったか。それは貴様にやろう」
「あぶっ……んっ」
「貴様…もしや…」
ソレットが顔を赤くして踏ん張っている。
これはもうアレしかない。
少ししてソレットから臭いが漂い、不快感で泣き始めた。
「クソっ! いや、文字通りだな…どうすればいい。マリアはどうしていた? アン、アンの所へ」
うっすらそうではないかと思ったが、厩舎の家屋にアンの姿はなかった。
代わりにおしめとぼろきれがある。
これで拭いて、新しいおしめに交換しろということだろう。
「待て、早まるな。まずは構造を理解せねば。ここを外して…こう…折り込んで…泣くな、今やってる。そして…こっちか? いやこうだな。よし、交換するぞ」
マリアの4倍近い時間をかけておしめの交換を達成すると、ソレットはスッキリしたのかスプーンでご機嫌に遊び始めた。
「これはどうするのだ…」
汚れたおしめを見て途方に暮れる。
確かマリアは…おしめを交換するとランドリーに行っていたな。
すぐに洗っていたような気配はなかった。
ランドリーに行ってみるとやはりメイドの姿はなく、おしめを1枚入れた桶があった。
恐らくこの汚れを洗い流してからこの桶に漬けておいて、後で纏めて洗っているのだろう。
腕まくりをして悪戦苦闘していると、そろそろお昼も近い時間。
自分も腹が減ったが、マリアが気になる。
ソレットは寝てしまった。
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