冷徹公爵が無くした心で渇望したのは愛でした

茜部るた

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無償の愛

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クソ、腹が減った。
 なんだこれは。
 それに赤子が煩い。
 マリア! 赤子をどうにかしろ!
 ああクソなぜ体がうまく動かん。
 誰か! 腹が減った! 何事だこれは!

「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ」

 煩い。
 早く赤子をどうにかせぬか!
 それに寒い!
 下半身がやたら寒いぞなんだこれは!

「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ」

「ソレット…ごめんね気づかなくて。今お乳を貰おうね」

 そうだ。
 早く世話をしろ。
 さっさと部屋から出て行け。

 待て。
 なんだ?
 なぜマリアは俺を抱き上げている?
 抱き…上げ?

「ああ、おしっこも沢山したのね。早く取り換えなきゃ」

「おぎゃあ …ふぎゃ」

「あらどうしたの? 元気ないの?」

 マリアが心配そうに俺の顔を見ている。
 痛い。
 かさついた手で額を触るな。
 おい、どこをまさぐっている。
 昨日が忘れられないのか。

「熱はないみたいね。お腹空いてるなら遠慮なく泣いていいのよ。その方が元気って証拠だわ」

 そうか。
 なら遠慮なく食事を要求する。

「おぎゃあ おぎゃあ おぎゃあ」

 十分後、ソレットはようやくおしめと服を交換されると、アンの乳を必死に咥え込んだ。

「そんなにお腹すいてたのかい」

 うまい。
 腹が満たされる。
 温かい。
 昨日までの寒さが嘘のようだ。
 ああ、良い。春のようだ。
 ばかもの、食ったばかりでそう背中を叩くな。

「おかしいね。今日はすぐに出ないね。ほら、あとはあんたがやって。替えのおしめはこれよ。早く行って」

「ありがとうアン。助かるわ」

 う…
 なんだ…
 胸がむかつくぞ…
 マリア、おいマリア、どうにかしろ!
 そうだ、そうやって背中を…もう少し、もう少し強くてかまわん!

「げふっ」

「ああ、やっと出たぁ。上手だね。すっきりしたねえ」

 ふう。
 どうなるかと思った。
 ふう。
 眠い。

「いい子ね、ソレット」

 ああ、昨日散々奪った唇だ。
 柔らかくて優しい。
 お前が自発的にしてくれるのはまた格別だな。
 昨日のように泣いている顔は…クソ、どうでもいい。
 俺は寝る。

『ユーゴよ。女を犯して心は愛に満たされたか』

『そんなもの満たされるわけない』

『お前が得たいのは無償の愛であろう。お前に目を向けてくれた女に手酷いことをしてどうなる』

『うるさい』

『お前に1度チャンスを与えよう。今お前は赤子の姿だ。望んだ無償の愛を受けられるぞ』

『そんなことしてどうなる。元々お前が中途半端に心を残すからこうなったのではないか』

『心無き者に国は治められぬ。マリアの愛を受けて来るがよい。お前が満たされたと思えば元の姿に戻る』

『そして俺は凍てつき死ぬ。1度夢を見させておいて、神とはなかなか残酷だな』

『死んだときは迎えに来てやろう。だが我はお前がこちらに来ることは望んでいない。愛を知った後にどうするかはお前次第だ』

『くだらない…そもそもこの赤子は誰なんだ』

『お産の最中に死んだ母子だ。赤子だけその体を借りた。我が抜ければ赤子は死体に戻る』

『趣味の悪い…』

 目が覚めた。

 廊下の天井が流れている。
 どこへ行くというのか。
 この先は…ランドリー?
 ああ、洗濯をするのか。
 酷いにおいだな。
 こんな所で洗濯をするのか。
 なんのにおいだこれは…洗濯用の薬品か?

 見えない。
 マリアはあの手でどう作業をしているのだ。

「あうー あうー」

「あら起きたの。これから洗濯よ。じゃぶじゃぶお洗濯」

 下手に声を出すと邪魔になるか。
 仕方ない。
 音だけ聞いていよう。

 …。
 ……。

 クソ、落ち着かない。
 マリア、作業を止めろ。
 もう1人いるのだろう。そいつにまかせておけ。

「あうっ うぎぃ あう! あう!」

「今うぎぃって言ったの。おしゃべり上手になったのね」

「馬鹿らし…」

「すみません…」

 おのれ。
 俺の発言を馬鹿らしいだと?
 貴様は誰だ。あとで処分してくれる。

 それよりもマリア、落ち着かぬ! どうにかしろ!

「あうあうあうあうあう」

「すみません、1度あやしてきていいですか」

「じゃああとやって。あとあっちのアイロンもかけといて」

「わかりました。ソレット、手を洗ってくるから待っててね」

 あとやって、だと?
 貴様自分の仕事はどうした。
 そうやっていつもマリアに押し付けているのか?
 なんと酷いやつだ。

 おお、マリア。待っていたぞ。
 冷たい手だな。
 おい、また傷が増えているぞ。
 そんな手で洗濯などするな!
 一生治らないではないか!

「あうあー! あうあうあー!」

「しーっ。いい子ね。今日はどうしたのかしら? 退屈なのかな? 後で何か玩具が作れたらいいんだけど」

 いかん。
 騒いでしまった。
 ああ、いい。落ち着く。温かい。
 昨日のお前はどうしてあんな冷え切っていたのだ。
 お前の腕の中はいいな。
 胸も柔らかく心地良い。
 お前のにおいもいい。
 早くこんな部屋から出ろ。
 少し大人しくしといてやる。

「いい子ね。もう少しねんねしててね」

 眠い。
 寝よう。寝てる方がきっとマリアの邪魔にはならない。
 早く仕事を終わらせろ。

 …………ああクソ!
 なんでこう急激に腹が減る!
 ここはどこだ!
 なんだここも臭いな!
 ここは…キッチンか?
 調理とはこんな臭いのか。
 料理になってしまえばうまいものを。

「うるせえ! 早くガキ黙らせろ!」

「申し訳ありません。貰い乳に行ってきます」

「ほんとどうしようもねえ母親だな!」

 なんだと。
 貴様に何がわかる。
 自分の子でもないのにマリアはこんなにも必死に面倒を見ているのだ。
 貴様コックか。
 後で覚えていろよ。

「それにしても旦那様はどこ行ったんだ。この飯も用意したって意味ないだろう」

 そうか、俺は行方不明なのか。
 今は致し方ない。
 今は飯ではなく乳だ。
 クソ、顔が冷たい。
 マリア! 顔の雪が冷たいぞ!
 マリア…お前はそんな薄着なのか。

「おぎゃあ…おぎゃ…ふぎゃ」

「寒いね。もうすぐ厩舎だよ。おんまさんぱかぱか」

 こんな時にもお前はそうやって優しく語り掛けるのか。
 俺は遠乗りだけは好きでな。
 自慢の駿馬がいるんだ。
 他の使用人は減ったが、馬丁だけは譲れん。

「アン、いつもありがとう。自分の子の分はなくなってないわよね?」

「乳ってのはあげるだけ出るんだよ。お陰で今の私は双子育ててるみたいだ」

「可愛い…」

「あんたも自分であげられなくて不憫だね」

「うん…あ、私厩を手伝ってくるね」

 厩?
 厩の手伝いまでしているのか?
 もしや貰い乳のためにこき使われている?
 馬丁め。あとで問い詰めてくれる。

「げふっ」

「いいの出たね。じゃあちょっとママが戻るまで2人でねんねしてな」

 2人?
 ああ、こいつの子か。
 なんだ貴様。俺よりでかいのか。

「あう、あば、あばばぶぶ」

 なに!?
 「ば」と「ぶ」まで出来るだと!?
 いや、俺も先ほど「うぎ」が出たではないか。

「あう あうっ」

「あばっ いぎい」

 クソ、「いぎい」だと!?
 元の姿に戻ったら見てろよ。
 貴様に古典を朗読してくれる。

「あうーっ んぎ ぎ ぎ」

 どうだ!
 俺だって「ん」くらい出せるぞ!

「あうあうあうあうあうあぶばばぶぶ」

「何をおしゃべりしてんだかね」

 もういい。俺は寝る。
 マリアが来たら起こせ。抱っこをしてもらう。
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