冷徹公爵が無くした心で渇望したのは愛でした

茜部るた

文字の大きさ
上 下
4 / 12

傷ついた手 2

しおりを挟む
 
 お前の食事は昼になってからだと言われ、まずは洗濯を終わらせろとランドリーへ連れていかれる。
 そこには1人ランドリーメイドがいたが、彼女は新人が使えるやつと分かると仕事のほとんどを押し付けた。
 洗濯を終え、赤子に乳を貰い、戻るとすぐ昼食の準備を手伝わされる。
 それらが終わるとやっと食事を許された。
 鍋の底から攫ったスープとパン、少しばかりのベーコンとインゲンの付け合わせ。お腹いっぱいにはならないが、暖かい食事ができてほっとした。
 下げられた主の食器と使用人6人分の皿や鍋を洗い終えると、主の主寝室の掃除、ベッドメイキング。
 間にまた貰い乳をし、行き届いていない部分の掃除。
 
 自分1人なら逃げだしたかもしれないこの状況。
 だが彼女は誰の子だかわからない赤子を守るため、この状況ですらありがたく享受した。

 
 ゲイルは何をしている人なのかは分からなかった。
 暖炉の火を眺めていたり、冷えた空気の染みこむ窓から雪を見つめていたり。
 部屋の掃除をした時は書斎のデスクに手紙が山になっていた。
 シーリングスタンプが王族が使用するロイヤル・バーミリオンと言われる特別な赤い蝋に見えたが、デスク回りは触るなと言われているのでよくはわからなかった。
 
 時折何かと葛藤するように頭を抱えているところや、体が悪いのか胸を押さえている姿も見かけた。

 ただ好奇心を持つほど時間に余裕はなく、彼女は1日の作業に疲れ果てると、赤子を抱き毛布にくるまって死んだように眠った。
 赤子は寝る前の乳で腹持ちがいいのか、朝まで眠ってくれるのがありがたかった。

 そうして数日が過ぎたある日。
 ベスに旦那様にお茶をご用意しろと言われ、掃除道具を急いで片付けるとティーセットをワゴンに乗せ談話室に向かった。
 彼は暖炉に1番近いソファに座り、またその冷ややかな瞳に炎を映していた。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」

「貴様はメイドの割に教育がなされているようだな」

「私は商家の出身でございます。14まで父が教師を付けて下さいました」

「15からはどうした」

「今はもう商会はございません」

 マリアは淡々と説明しながら紅茶を淹れローテーブルにお茶菓子と共に並べた。
 彼はソーサーを取り上げるとカップを持ち、そして気づいた。
 ソーサーに少し汚れがついている。
 赤茶けたそれは血のように見えた。

「なんだこれは」

 ローテーブルに戻されたソーサーを見たマリアは慌てて頭を下げた。

「汚いものをお見せし申し訳ございません。すぐに新しいものとお取替えいたします」

 ソーサーに伸ばされた彼女の手をゲイルは見た。

 とても18の娘とは思えないほど手は荒れ、老婆のようになっている。
 関節でぱっくりと割れた皮膚はまだ血が乾かずに滲み、指先はささくれその血がソーサーに付いたようだった。

 あまりの痛々しさにゲイルも眉をしかめる。

「酷い手だな」

「重ね重ね申し訳ございません」

「何故そんなことに」

 使用人の酷使される体など貴族は知るまい。
 マリアは「ただの手荒れでございます」と答えると、エプロンで手を拭ってから予備の茶器を用意した。

 血を付けないように細心の注意を払い、淹れ直した茶をローテーブルに置く。
 今度は綺麗なまま出せたが、エプロンで強く拭いた指先は痛みを増していた。

「うっ…」

 ゲイルがソーサーに手を伸ばした時だった。
 彼は急に胸を押さえ呻いた。
 肺の中に氷水でも入ったかのように冷たい。
 彼は思わず「寒い」と口にした。

「ゲイル様、こんな手で失礼ですが熱をみさせていただいてもよろしいでしょうか」

 ゲイルはその言葉に顔を上げる。
 心配そうに眉を寄せるマリアの顔は、数日前と印象が違う。
 来た時は薄汚れた女だと思ったのだが。

「額に触れてもよろしいでしょうか?」

 もう1度問う彼女に「構わない」と言うと、あのソーサーを血で汚した手が迫って来た。
 間近で見た手のひらもあちこち傷つき、紫になっているところもあった。
 ただの手荒れでこんなになるだろうか。

 彼は凍りそうな胸を忘れ、その手を取った。
 マリアは汚い手を咎められたと思った。

「申し訳ございません。こんな汚い手で触れようとしたこと、お許しください」

 どんな罵声が飛んでくるのかとマリアは身構えた。
 だが怒鳴り声は聞こえず、ゲイルは不思議なものでも見るかのように傷の上を指先でなぞっていた。

「旦那様、お手を汚してしまいます。お放し下さい」

「この手は痛くはないのか」

「旦那様がお気になさるようなことではございません」

「痛くはないのか」

「…痛いです」

 ゲイルはまだその手を掴んだまま何かを考えているようだった。

『そこ、違います』

『いたいっ』

『言ってわからないのなら体で覚えていただきます』

『先生、ぶたないでください』

『では次はお間違えないよう』

『はい…』

『違います! 何度言えばわかるのですか!』

『いたいっ、いたいです先生』

「旦那様?」

 マリアの声にようやく顔を上げた。
 幼い日の光景が何で蘇ったのか。
 あの時鞭で叩かれた自分の手は今のマリアの手よりはマシだった。
 みみず腫れでも痛いのだ。
 こう血が滲むほど皮膚が割れていては、メイドの仕事などままならぬのではないか。

「もういい。お前は下がれ」

「ひざ掛けをお持ちいたしましょうか」

「いやいい。もう寒くない」

 彼女は一礼すると、お茶はそのままに赤子の入った籠を持ち退室した。

 嘘をついたわけではない。
 あれほど冷たかった肺は温度を取り戻したようだった。
 少しぬるくなったお茶に手を付けると、彼はまた揺らめく炎を見つめていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄されたので田舎に引きこもったら、冷酷宰相に執着されました

21時完結
恋愛
王太子の婚約者だった侯爵令嬢エリシアは、突然婚約破棄を言い渡された。 理由は「平凡すぎて、未来の王妃には相応しくない」から。 (……ええ、そうでしょうね。私もそう思います) 王太子は社交的な女性が好みで、私はひたすら目立たないように生きてきた。 当然、愛されるはずもなく――むしろ、やっと自由になれたとホッとするくらい。 「王都なんてもう嫌。田舎に引きこもります!」 貴族社会とも縁を切り、静かに暮らそうと田舎の領地へ向かった。 だけど―― 「こんなところに隠れるとは、随分と手こずらせてくれたな」 突然、冷酷無慈悲と噂される宰相レオンハルト公爵が目の前に現れた!? 彼は王国の実質的な支配者とも言われる、権力者中の権力者。 そんな人が、なぜか私に執着し、どこまでも追いかけてくる。 「……あの、何かご用でしょうか?」 「決まっている。お前を迎えに来た」 ――え? どういうこと? 「王太子は無能だな。手放すべきではないものを、手放した」 「……?」 「だから、その代わりに 私がもらう ことにした」 (いや、意味がわかりません!!) 婚約破棄されて平穏に暮らすはずが、 なぜか 冷酷宰相に執着されて逃げられません!?

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

神嫌い聖女と溺愛騎士の攻防録~神様に欠陥チートを付与されました~

咲宮
恋愛
 喋れない聖女×聖女を好きすぎる護衛騎士の恋愛ファンタジー。  転生時、神から祝福として「声に出したことが全て実現する」というチートを与えられた、聖女ルミエーラ。しかし、チートに欠陥が多いせいで喋れなくなってしまい、コミュニケーションは全て筆談に。ルミエーラは祝福を消そうと奮闘するもなかなか上手くいかない。  そして二十歳の生誕祭を迎えると、大神官は贈り物と称して護衛騎士の選択権を授けた。関係構築が大変だとわかっているので、いらないのが本音。嫌々選択することになると、不思議と惹かれたアルフォンスという騎士を選択したのだが……。  実はこの男、筆談なしでルミエーラの考えを読める愛の重い騎士だった!? 「わかりますよ、貴女が考えていることなら何でも」 (なんか思っていたのと違う……!?)  ただこの愛には、ある秘密があって……? ※小説家になろう様・カクヨム様でも掲載しております。 完結いたしました!!

【R18・完結】甘溺愛婚 ~性悪お嬢様は契約婚で俺様御曹司に溺愛される~

花室 芽苳
恋愛
【本編完結/番外編完結】 この人なら愛せそうだと思ったお見合い相手は、私の妹を愛してしまった。 2人の間を邪魔して壊そうとしたけど、逆に2人の想いを見せつけられて…… そんな時叔父が用意した新しいお見合い相手は大企業の御曹司。 両親と叔父の勧めで、あっという間に俺様御曹司との新婚初夜!? 「夜のお相手は、他の女性に任せます!」 「は!?お前が妻なんだから、諦めて抱かれろよ!」 絶対にお断りよ!どうして毎夜毎夜そんな事で喧嘩をしなきゃならないの? 大きな会社の社長だからって「あれするな、これするな」って、偉そうに命令してこないでよ! 私は私の好きにさせてもらうわ! 狭山 聖壱  《さやま せいいち》 34歳 185㎝ 江藤 香津美 《えとう かつみ》  25歳 165㎝ ※ 花吹は経営や経済についてはよくわかっていないため、作中におかしな点があるかと思います。申し訳ありません。m(__)m

燻らせた想いは口付けで蕩かして~睦言は蜜毒のように甘く~

二階堂まや
恋愛
北西の国オルデランタの王妃アリーズは、国王ローデンヴェイクに愛されたいがために、本心を隠して日々を過ごしていた。 しかしある晩、情事の最中「猫かぶりはいい加減にしろ」と彼に言われてしまう。 夫に嫌われたくないが、自分に自信が持てないため涙するアリーズ。だがローデンヴェイクもまた、言いたいことを上手く伝えられないもどかしさを密かに抱えていた。 気持ちを伝え合った二人は、本音しか口にしない、隠し立てをしないという約束を交わし、身体を重ねるが……? 「こんな本性どこに隠してたんだか」 「構って欲しい人だったなんて、思いませんでしたわ」 さてさて、互いの本性を知った夫婦の行く末やいかに。 +ムーンライトノベルズにも掲載しております。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...