冷徹公爵が無くした心で渇望したのは愛でした

茜部るた

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傷ついた手

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 翌朝、赤子の泣く声で目が覚めたマリアは、赤子が泣く元気があることと、自分が凍えていない事にほっとした。

「よしよし。お腹空いたね。おしめも気持ち悪いね。今お願いして来るからもう少し我慢してね」

 マリアはそう言って赤子の顔を撫でようとしたが、指先が冷えきり、あかぎれだらけなのを見てやめた。この手で触れては赤子の柔肌が傷つきそうだ。
 薄暗い部屋に白い息を吐きながら、彼女は倉庫部屋のある地下から1つ上階に上がりキッチンを探した。朝なら誰かしらそこに使用人がいるだろう。

 あまり掃除の行き届かない地下から上がりキッチンを見つけると、そっと扉を押し開いた。
 そこには1人の料理人と、中年のキッチンメイドがいるだけ。
 お屋敷の規模が分からないが、随分使用人の数が少ないようだった。

 扉が開き赤子の声が聞こえると彼らは眉をしかめマリアを見た。

「誰だいあんた」

「おはようございます。昨夜事情があってゲイル様のお許しを頂きこちらにお泊めいただいたマリアと申します。昨夜赤子の貰い乳をした方にお取次ぎ願いたいのですが」

「あんた母親なのに乳も出ないのかい!」

 キッチンメイドはマリアを鼻で笑うと、裏口を開いた。

「貰い乳したってならこの屋敷だと厩の娘だろう。煩い赤子だね。さっさとお行き」

 まるで追い出すかのように裏口から出されると、コートもない体が寒風に吹かれた。
 雪は止んだようだが、だからと言って温かいわけではない。泣きわめく赤子にしっかりショールを巻き付けると、キッチンメイドに言われた厩を目指した。

 厩舎に人影が見えたのでそちらへ行ってみると、赤子の声で向こうから気づいたようだった。

「うるせえな。馬が驚くだろう! また乳を貰いに来たのか。やることだけやりやがってろくに育てられもしない体とはな!」

 赤子に負けじと張り上げる声は煩くないのだろうか。
 馬丁の男に散々ののしられたあと、ようやく家屋の娘へと取り次いでくれた。
 扉を開けると迷惑そうな顔の娘がいたが、彼女はマリアを部屋に入れると赤子の世話をしてくれた。

 彼女自身の子はゆりかごの中で寝ていた。
 馬丁の父と、ハウスメイドの母、そして夫は庭師らしい。
 今部屋にいるのは彼女とその息子だけで、彼女は仏頂面ながらも乳を分けてくれた。

「本当にありがとうございます。私はマリアと申します。お名前を聞いてもよろしいでしょうか」

 彼女は「アン」と答えたあと、赤子の名を聞いて来た。
 マリアはいきなり赤子を渡されただけなので名前を知らない。
 何か適当に答えなければ不審だろう。
 
 彼女は咄嗟に「ソレット」と答えた。
 意味は「小さい太陽」。凍えるような部屋でも太陽のように温かいこの子のおかげで生き延びた。
 それにこの子はもしかしたらウェンティア家ゆかりの子の可能性もある。
 建国の王で「太陽のような」と言われたウェンティア家初代国王ソールにあやかった部分もあった。

 アンは「ソレット」と名前を繰り返し、乳を飲ませたあとおしめを取り換えてくれた。
 
「あなたここで働くの?」

 何故か使命感に駆られここまで来てしまったが、マリアは文無し。
 その上勝手に城を出てきてしまった。
 ユーゴ様のお屋敷がどこかは分からないが、少しの間だけここで働かせてもらい、こっそりお屋敷を探すことはできないだろうか。

「そういうつもりで来たわけではないの。でも私、ソレットだけ連れて必死にここまで来てしまって。ゲイル様にお願いすれば使用人として雇っていただけるかしら?」

「知らない。自分で交渉して。貰い乳に来るなら、母さんや父さんに見つからないようにして」

 貰い乳は今後もさせてもらえるらしく、マリアはアンに感謝を述べると彼女の迷惑にならないよう、急いで屋敷に戻った。
 その足でそのまま屋敷の主ゲイルの元へ向かう。
 昨日のハウスメイド――アンの母を見つけると、なんとか取り次いでもらった。

「またお前か。汚いやつめ」

 談話室で何をするわけでもなく、暖炉の炎を見つめていたゲイルは、マリアを一瞥するなりそう言った。

 明るい昼間に見てマリアもやっと気づいたが、足回りは血がこびりつき、擦り切れたふくらはぎに靴下が張り付いていた。
 スカートもペチコートも裾が擦り切れ汚れている。
 手も赤子に触れるのが可哀相なほど荒れ、昨晩から何も飲まず食わずの唇はカサカサ。

 そうだ、私は何も口にしてなかった。

 自分の姿を見て、寒さと空腹と乾きを自覚してしまった。
 だけど腕の中の赤子はぷくぷくとしていて、それを見ると少し安心した。
 赤子が飢えるなんて、考えただけでも恐ろしい。

「ゲイル様、厚かましいお願いではございますが、聞いていただけますでしょうか」

 マリアはその場に跪くと、発言の許しを待った。
 舌打ちの後に「なんだ」と聞こえたので、赤子の顔を1度見ると勇気を出して嘆願した。

「私は行く当てがございません。どうかこのままこのお屋敷に雇っていただけないでしょうか。ここへ来る前はお城のメイドをしておりました。一通りのお屋敷のお仕事は出来るかと思います。赤子の世話をさせていただき、食事とベッドを頂ければ多くは望みませんので」

「なるほど。城の男と出来てしまい追い出されたのか」

 ゲイルは納得がいったようだった。
 メイドが城の男性使用人、もしくはもっと上の誰かしらに手を付けられて身ごもることは稀にある。
 この女もそうなのであろう。
 着の身着のままな様子を見ると男の方は赤子が出来てまずい立場だったのかもしれない。
 隠れて産んだのかは知らないが、それがばれてしまい逃げ出した。そんなところだろう。

「貴様歳は」

「18にございます」

「ふん、あばずれめ」

 彼はそう言って侮蔑の眼差しを向けると、ハウスメイドを呼んだ。
 アンの母だ。
 彼女以外にメイドはいないのだろうか。

「この女を雇う。汚くてたまらんから綺麗にしろ。あとは適当に部屋と服と仕事を与えておけ。赤子の世話は一応させてやれ」

 そう言うと彼は手で出て行くように指示した。
 マリアは感謝を述べ、ハウスメイドの後に続いて部屋を出た。

「私はベスだ。雇われたからにはこき使ってやるよ。娘に貰い乳するってならさらにこき使うから死ぬ気で働きな」

 ベスはそう言うと意地悪な笑みを浮かべた。

 城でもメイドをしてきた経験から、この先自分の身に起きそうなことはあらかた想像できた。

 与えられた部屋は昨日の倉庫。辛うじて毛布だけ2枚渡された。
 制服に着替える前に入浴させてもらえたが、先に湯浴みさせた赤子の後はずっと冷水しか出なかった。
 赤子だけはまともに扱わせてくれて、そこだけは安心した。

 異様に使用人の少ないお屋敷。
 冷徹な主と、それに呼応するかのような使用人。
 暖炉が焚かれている部屋でもどこかうすら寒く、マリアはやがてこの屋敷が全て氷で覆われてしまうような気がした。
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