86 / 113
26
第25楽章 なんでもない日
しおりを挟む魔楽部で魔物が逃げたことを受け、学院は対策を強化した後、その後も訓練は続けられていた。
魔術師学科は流石に討伐が早く、そこだけは1度に複数の魔物を扱うこともあった。
学生たちは増えた訓練と減ってしまった授業という生活にも慣れ、その一方で結界の噂は決して楽観視できるものではなくなってきていた。
夏休みが近づき、コールディアは追加補習を選んだ。
教員資格を取るには少しでも単位を取らなければ本来はないはずの4年生の学生生活がどんどん伸びてしまう。
それでは、ノートヴォルトの居場所作り計画を実行するために働きに出るタイミングが遅くなってしまう。
彼がすぐに応えてくれるとは思っていないが、それでも少しでも早く、多く資金を集めたいと思っていた。
このところノートヴォルトが不在の日が多い。
外でよくないことが起きている気がする。
そしてついに、掲示板には“ノートヴォルト教授の夏休み中の追加講習中止のお知らせ”が掲示されてしまった。
ずっと持ったままになっているノートヴォルトの家の鍵を使って、コールディアはいつかしたように時々彼の家の手入れをした。
換気をして軽く掃除をし、いつ戻っても気持ちよく使えるように整える。
いつもみたいに散らかっているわけではないので、すぐに終わってしまった。
もう2か月ほどは顔を見ていない。
何が起きているのか、国のどの辺にいるのかもわからない。
相変わらず不安に押しつぶされそうで、置きっぱなしだった彼のローブを手に時々泣いた。
そんなある日、彼女は少しでもノートヴォルトの記憶に縋りたくてピアノを開いた。
何を弾こうかなと思った時、中等部の特別授業で彼と弾いた“氷上のカノン”を思い出した。
「あれは楽しかったな…また一緒に弾いてくれないかな…レベルの違いがちょっと痛いけど」
そう言うと誰も追いかけてくれないカノンを1人で弾く。
ノートヴォルトの真似をして長調から短調にすると、切なさが募ってしまった。
払拭したくて、ラグタイム・アレンジを奏でる。
全然楽しそうじゃない陽気な変奏曲は、どこか空しい。
あの時と全く違う。
自分でもそう思ってしまった。
「でも先生、まさか乗って来るとは思わなかったな。ちょっと悔しい。意表を突きたかったのに」
「意表、突かれたよ。…続けて」
背中に感じる愛しい体温。
後ろから包み込むように伸ばされた黒い手が、彼女の外側の鍵盤を共に奏でた。
最後の音を弾き終わると、そのまま後ろから抱きしめられた。
「先生、おかえりなさい」
「ただいま。またすぐに行くけどね」
「会いたかったです」
「僕も会いたかったって言っていいのかな」
「いいに決まってるじゃないですか」
抱きしめられただけで心が満たされる。
無事でよかった。
生きていてよかった。
首に絡められていた手は、そのまま顎にかかり上を向かされる。
綺麗な彼の顔が見えたと思ったら、すぐに唇が重ねられた。
コールディアも腕を伸ばして彼の首に絡める。
そのまましばらく、柔らかなキスを重ねた。
「んっ…ぁ…」
もっと欲しいと思ったのに熱が離れてしまい、「そんなに物欲しそうな顔しないで」と言われてしまった。
「我慢できなくなるから」
「我慢しなくてもいいです…」
「まったく…」
軽く怒るように言った彼を振り返れば、怪我はしてないようだったけど少しやつれているように見えた。
「先生、大丈夫ですか?」
「さすがにちょっと疲れたね。結界がかなり弱い。フリーシャたちも頑張ってるけど、なかなか追いつくものじゃない。僕やレニーも少し手伝ったけど、それほど効果は期待できなかった」
「どうしてそんな急に弱くなってしまったんです?」
「単純に供給が落ちてるんだ。マギアフルイドは永久じゃないってことが証明されたね。増殖量が足りない。あれを総入れ替えするには生産が追い付かないんじゃないかな。結界が消える方が先だね」
結界が消えた時、人々はどうなるのだろうか。
魔物が侵入し、防ぎきれなければあらゆる生き物を浸食していくのだろうか。
いくら兵器と呼ばれても、体は1つしかない。
どれだけノートヴォルトが優秀だったとしても、国土の全てをカバーするには人員が足りなかった。
だからそうなったときの憂いを少しでも断つため、ノートヴォルトは駆り出され魔物の数を減らすために出撃させられ続けている。
溜まってしまったマギア・カルマがあれば、それを散らしに行く。
国が抱える大きな矛盾に、彼だけでなく宮廷魔術師たちもきっと疲労困憊だろう。
「ねえ、今夜はずっといなよ」
「はい……」
一緒にいられるのは嬉しい。
だけど今まで「帰りなさい」と言われていたのに、急にいてくれと言われると、よくわからない不安が押し寄せてくる。
本当にただ傍にいて欲しいと言うのなら喜んでそうする。
だけど今の彼の雰囲気は、「最後の夜くらいは」と言われそうで怖くなった。
「先生?」
「なに?」
「どこにも行かないですよね?」
「どこにも行けないよ。この体は」
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説

密室に二人閉じ込められたら?
水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?
イケメンエリート軍団??何ですかそれ??【イケメンエリートシリーズ第二弾】
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団の異色男子
ジャスティン・レスターの意外なお話
矢代木の実(23歳)
借金地獄の元カレから身をひそめるため
友達の家に居候のはずが友達に彼氏ができ
今はネットカフェを放浪中
「もしかして、君って、家出少女??」
ある日、ビルの駐車場をうろついてたら
金髪のイケメンの外人さんに
声をかけられました
「寝るとこないないなら、俺ん家に来る?
あ、俺は、ここの27階で働いてる
ジャスティンって言うんだ」
「………あ、でも」
「大丈夫、何も心配ないよ。だって俺は…
女の子には興味はないから」

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた
ピロ子
恋愛
飲み会に参加した後、酔い潰れていた私を押し倒していたのは社内の女子社員が憧れるエリート課長でした。
普段は冷静沈着な課長の脳内は、私には斜め上過ぎて理解不能です。
※課長の脳内は変態です。
なとみさん主催、「#足フェチ祭り」参加作品です。完結しました。
冷静沈着敵国総督様、魔術最強溺愛王様、私の子を育ててください~片思い相手との一夜のあやまちから、友愛女王が爆誕するまで~
KUMANOMORI(くまのもり)
恋愛
フィア・リウゼンシュタインは、奔放な噂の多い麗しき女騎士団長だ。真実を煙に巻きながら、その振る舞いで噂をはねのけてきていた。「王都の人間とは絶対に深い仲にならない」と公言していたにもかかわらず……。出立前夜に、片思い相手の第一師団長であり総督の息子、ゼクス・シュレーベンと一夜を共にしてしまう。
宰相娘と婚約関係にあるゼクスとの、たしかな記憶のない一夜に不安を覚えつつも、自国で反乱が起きたとの報告を受け、フィアは帰国を余儀なくされた。リュオクス国と敵対関係にある自国では、テオドールとの束縛婚が始まる。
フィアを溺愛し閉じこめるテオドールは、フィアとの子を求め、ひたすらに愛を注ぐが……。
フィアは抑制剤や抑制魔法により、懐妊を断固拒否!
その後、フィアの懐妊が分かるが、テオドールの子ではないのは明らかで……。フィアは子ども逃がすための作戦を開始する。
作戦には大きな見落としがあり、フィアは子どもを護るためにテオドールと取り引きをする。
テオドールが求めたのは、フィアが国を出てから今までの記憶だった――――。
フィアは記憶も王位継承権も奪われてしまうが、ワケアリの子どもは着実に成長していき……。半ば強制的に、「父親」達は育児開始となる。
記憶も継承権も失ったフィアは母国を奪取出来るのか?
そして、初恋は実る気配はあるのか?
すれ違うゼクスとの思いと、不器用すぎるテオドールとの夫婦関係、そして、怪物たちとの奇妙な親子関係。
母国奪還を目指すフィアの三角育児恋愛関係×あべこべ怪物育児ストーリー♡
~友愛女王爆誕編~
第一部:母国帰還編
第二部:王都探索編
第三部:地下国冒険編
第四部:王位奪還編
第四部で友愛女王爆誕編は完結です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる