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第9楽章 揺らぐ

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 風呂上り、彼女はお風呂でついでに洗ってしまった下着とブラウスを魔法で乾かした。
 古代の遺跡から発見されたようなブラシは一昨日綺麗にしたばかりで、肩より少し長い髪を綺麗に梳いた。ラッピーに教わった綺麗にすぐ乾く魔法は今は魔楽部の女の子の間では常識だ。
 別に魔術師を目指さなくても、魔楽部にいても、最低限の魔法は使えた方が便利だなと思うのはこういう瞬間だった。
 
 生活において誰でも多かれ少なかれ魔法は使えるし、使えないとしても魔力がない人間は見たことがない。
 だから魔律回路が組み込まれた道具が成立するのだ。

 王都は上下水も完備されているし、マギアフルイドを応用したボイラーは例え火花程度のレベルであっても発火イグニッションが使えれば使用可能だ。

 ノースロックほど田舎だとそうはいかないが。

 乾いた下着を身につけてから借りた夜着を着る。
 ちょっとだけ不思議なにおいがして、ちょっとだけブカブカ。
 丈が長めに作られることが多い夜着は、ひざ下くらいの丈なので家で着ているネグリジェと感覚的には変わらない。

 本当は自宅ではないのだし先生とは言え異性の家なのだから、スカートの下に履いていたペティパンツくらい履いておけばいいのだが、ゆったりお風呂でくつろいで気の緩んだ彼女は失念していた。

 リビングに戻ってもまだノートヴォルトの姿はなかったので、彼女はもう1つの課題、魔力係数の資料を読み始めた。

「……」

 2階は魔奏器の倉庫だった。
 バイオリンを始めとする弦楽器、フルートやトランペット等の管楽器もある。
 ここは元々楽器を押し込めているだけでそれほど汚くなかったため、昨日コールディアが軽く掃除をしただけで終わった。
 
 その中から、彼はある楽器を探していた。
 正確には、ある楽器のケースを。

 彼はようやく目的の楽器、ピクシーハープのケースを見つけるとそっと開いた。
 中には木製の小さなハープが入っている。
 弦の数は10本と少なく、大きな音は出ない。
 弾き語り目的で庶民の間で広まった、大人の両手くらいの小型ハープだ。

 ケースの内側についているポケットから、一枚の古びた紙を取り出す。
 黄ばんだ紙は、20年前に描かれたスケッチャーの絵。

 スケッチャ―は、魔法に反応する絵筆と専用用紙を使って短時間で写実的に人物や風景を描きこむ道具で、仕上がりの精度やかかる時間は使い手の魔力に左右される。
 スケッチャ―を扱うスケッチマンによって写し撮られたこの絵は、画家が旅の道中で村に立ち寄った際に描いてくれたもの。

 鉛筆のラフスケッチのような描きこみだが、ノートヴォルトの手元に唯一残る家族の証だった。
 笑顔の母と、後に父となった青年と、まだ髪の短い自分がそこにはいた。

 普段はハープと共にしまったまま存在を思い出そうともしないのに、なぜか無性に見たくなってしまった。

 絵は変わるはずないのに、変わりなくその中に3人がいるのを確認するとなぜか安心した。

 どうして今見たいと思ったのだろう。
 郷里の味を食べたからか、それとも母を思い出したからか。
 ノートヴォルトが覚えていなければこの家族は過去の中に埋もれてしまう。
 誰かに知って欲しかったのだろうか。
 夕食を共にした誰かに。

 自分の行動の意味もよくわからず、彼は幸せの記憶をまたケースに戻した。
 
「先生…?」

 背中にコールディアの声がかかり、我に返った。
 階段を上って来る音にすら気づかなかった。

「ずっと降りてこないから、寝落ちしちゃったかと思いました」

「そんな時間が経ってたのか」

「それ、なんですか?」

 まだ持ったままの小さなケースを見てコールディアが訪ねる。
 彼女が知る楽器の中では際立って小さいケースで、中身の予想が出来なかった。

 ノートヴォルトは閉じたばかりの蓋を開けると、彼女に見せた。

「ハープ? かなり小さいですね」

「ピクシーハープだ。単純な造りだけど庶民でも入手しやすい。弾き語り用によく使われる」

「触ってもいいですか?」

 無言でノートヴォルトがケースを差し出すと、コールディアがそっとハープを取り出し人差し指で優しくなぞった。
 ハープ特有の澄んだ響きだが、大きなハープと違い余韻があまりない。
 ピンピンと跳ねるような響きは、祭りなどで庶民が楽しむような明るい歌が合いそうだった。
 小さな音なので優しい歌や静かな歌でもいいかもしれない。

「可愛い音。先生がコモン楽器を持ってるのって珍しいですね」

 学院では「魔律の変人」で知られている。
 魔律を操る魔奏に力を入れる彼が、魔奏に対応していないコモン楽器を演奏している姿は目撃されたことがない。

「…これは昔貰ったんだ」

「今も弾いたりするんですか?」

 そう質問するコールディアの目は明らかに何かを期待するものが含まれている。

「…弾かない。弾きたいのなら君が弾けばいい」

「なんだ、先生の弾いてるところ見たかったのに」

「見ても面白くないだろう」

「揚げ足取りみたいなこと言わないで下さいよ。聞いてみたかったってことです」

 そのまましまおうとするので、「少し貸してください」と言えば、無言で手の上に乗せられた。

「これちょっと練習してもいいですか?」

「別に構わないけど」

「やった」

「ねえ君さ…いいや。下でやりな」

 なぜか彼は言いかけた言葉を止めてしまった。
 何を言おうとしたのかコールディアにはわからなかったが、せっかく借りられたので早速階下に降りていった。
 ノートヴォルトが足元を見て眉をしかめたのには気づかない。
 自分のオーバーサイズの夜着を着た女の子を見て、教え子とは言え全く何も思わないわけではない。

(そういうのが油断て言うんだと思うんだけど)
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