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第4楽章 グラスハープ四重奏 4

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 ノートヴォルトはガラスの破片を拾うと、自分の左手にあてがい、一気に引いた。
 赤い線が浮かび、流れる血をグラスに入れる。
 残り2小節。
 耳元に近づけ、自分だけに聞こえるようにグラスを僅かに弾いて音を確認し、調律する。
 残り1小節。
 ヒビの入ったグラスと交換すると同時に、コールディアの指がグラスの淵に伸びた。

 右手の高音が奏でていた連続和音はこと切れ、左手の低音が長く細く響き、そして消えた。

 ホールを静寂が包む。

 ほどなくして、会場に割れんばかりの拍手が響いた。

 閉まっていく幕の内側で、コールディアは震えていた。

「せ…せんせ…血が…」

「もう治癒魔法をかけた。問題ない」

 大量のグラス片と、こぼれた水と、残された血のグラス。

 何事もなかったように答えるノートヴォルトの前で、彼女は濡れた床の上にへたり込んでしまった。

 緊張と、ずっと続けた魔律の調整と、グラスが足りなくなる不安感で、彼女の精神は限界だった。そこに身を犠牲にしてでも最後まで演奏させてくれた、ノートヴォルトの赤く汚れた左手を見てしまった。彼女の大好きな音を生み出す大好きな手。それが今血にまみれている。
 その事実に気が遠くなり、そしてついに失神してしまった。

「コールディア!」

 隣にいたフレウティーヌが慌てて支え、他のメンバーは彼女を心配しつつも次の奏者のために急いで片付けを始めた。

「僕が運ぶ。フレウティーヌ、協力してくれてありがとう」

「素晴らしい演奏でしたわ」

 ノートヴォルトは頷くと、コールディアを抱え上げ袖へとはけた。

 そのまま医務室へ向かう途中、彼女は目を覚ました。
 状況に気づくと、びっくりして悲鳴を上げてしまった。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないかも…」

 体調が大丈夫じゃないのではない。
 状況が飲み込めないのだ。
 演奏後に気が遠くなり恐らく倒れてしまったことはわかる。
 その自分を細身のノートヴォルトが運んでいることが理解できない。
 コールディアも細く同年代と比べて軽い方だが、それだって一人で運べるどの楽器よりも重い。
 
「お、下ります、下ろしてください。立てます歩けます」

「医務室はもうすぐだけど」

「心臓が持たないんで降ります!」

 ノートヴォルトは不思議な顔をしつつ、彼女を下ろした。

「気分は?」

「ど、動揺してます」

「もう演奏は終わったよ」

「どう見ても非力そうな先生が私を運んでいる事実に動揺してます」

「…非力なのは認めるが君くらいなら運べる」

「ああ、びっくりした…」

 念のため医務室に行くようノートヴォルトに言われたが、本当にもう気分が悪いわけではないので皆のいるホールに戻りたかった。
 だけど濡れた床に倒れたので、スカートと、その中も湿っていた。

「っくしゅ…やっぱり医務室行きます。魔法で乾かすにしても脱がないと難しいんで…」

 くしゃみをしたら、急に寒くなって来た。思ったよりたくさん濡れていて、体がどんどん冷えてくる。

「そう言えば先生、手は大丈夫ですか?」

「大丈夫だって言ったよ」

 そう言ってコールディアに見せた手のひらは、確かにもう傷などない。

「ほら行きな。風邪ひくよ」

「はい…先生ありがとうございました」

 軽く頭を下げて医務室へ向かおうとしたら、少し間を置いて「コールディア」と背中に言われた。

「…よく頑張ったよ。あの状況をよく乗り切った」

「みんなとフレウティーヌと、何より先生のお陰です」

「僕は君を誇りに思う」

「じゃあ前期の成績Sでお願いします!」

「それとこれは話が別だけど」

「だめかー」

 コールディアが大袈裟にがっかりすると、ノートヴォルトは彼女の肩を軽く叩いて通り過ぎた。
 コールディアはその目が笑っていたことに気づくと、冷えた体に温かみが戻ったような気がした。
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