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第3楽章 チェロから始まる小夜曲 2
しおりを挟む息を弾ませ控室1の扉を開けると、そこにはもうノートヴォルト教授がいた。
(えー、早いよ…こういう時だけ)
「先生、早くないですか」
「そうでもない。準備が間に合わない」
「準備?」
「弦楽器4人に日付を間違って伝えてしまった。今日彼らは来ない」
「え、今日だよって伝えても来てくれなかったんですか?」
「今来て今思い出した」
そうなるともう全員捕まえるのは難しいだろう。
そもそも全員が同じ6時限まであるわけではない。
この時期練習室は争奪戦になるので、初めから諦めて別の場所に移動している者も多い。
「なんというミス…。いやそれなら合わせにこだわらなくても私の個人練習でもいいんですけど」
「…そうなの?」
「そうですね。大体4パート分どうしようと思ったんですか」
「全て記憶演奏させようかと」
「技術が天才故の発想」
コールディアは部屋の隅に荷物を置くと、鞄から楽譜を取り出した。
グラスハープに被せられている布をそっと取り払う。
「私まだ音を追うだけしか出来ないんです。とりあえず個人練習してもいいですか?」
「構わない。では今日は個人レッスンにしよう。いやせっかくだから僕が何かを…君はバイオリン、ビオラ、チェロどれがいい」
「チェロがいいです」
「取って来る…」
そう言うと彼は楽器を取りに行ってしまったので、コールディアは誰もいなくなった部屋で遠慮なく練習することにした。
曲が上がってこなかったからずっと練習をしていなかった、というわけではない。
基礎練習は可能な限りやってきたし、今まで演奏した曲で練習を重ねて来た。
今回ノートヴォルトが書き下ろした曲はまだ合わせていないので全体像がはっきりとはわからないが、自分のパートだけ練習した限りだとかなり演奏箇所が多い。
まるで自分が主体のような。
それを考えると少し気恥ずかしい気もする。
(いや自意識過剰でしょ。あくまでグラスハープのためであって私じゃないし)
譜面を置くと早速指先に魔力を巡らせる。
手慣らしに音階を鳴らせばグラスが淡い青の色に染まった。
(何度見ても綺麗だし何度聞いても綺麗)
ノートヴォルトは何を想ってこの曲を書いたのだろうか。
グラスハープの柔らかく澄んだ音色は、音符を追うごとに悲しい旋律を奏でていく。
練習を始めればあっという間に没頭し、突然チェロの音がしたことでノートヴォルトが戻って来たことに気づいた。
「あ、先生戻ってたんですね」
「…気にしないでいい。時間になったら始めよう」
ノートヴォルトがピアノとチェンバロを奏でているところは毎日のように見るが、それ以外の魔奏器は指導をしていることは見かけても本人が奏でるところはほとんど記憶にない。
気にするなと言われてもなんとなく気になってしまい、演奏開始を待ってしまった。
調律をしようとした彼が一度チェロを置き、邪魔なローブをその辺に投げ捨てた。あーあまたそんなとこに。と思いながら見ていると、これも演奏の邪魔になるのかだらしなく伸びた髪を雑に纏めた。
(まって)
椅子に座ると、弓を構え軽く音を確かめている。
(まてまてまて聞いてない)
膝にチェロを乗せ、支えとなるエンドピンを調節する横顔が全て晒されたのは初めて見たかもしれない。
(と、整ってる…)
デスクの上も、部屋も、なんならローブのポケットの中も常にぐちゃぐちゃのノートヴォルト教授の顔は、いつも長い髪で隠れていた。
それは初めて出会った時からずっとそうで、ピアノを演奏しようと食事をしようと常に無頓着に柳のように枝垂れていた。
それが今後ろで一つにくくられ、素顔の全貌が明らかになった。
あれほど周囲が整っていない本人の素顔が、これほど整っていることを初めて知った。
(まつ毛、ながっ)
下がり気味の目を囲むまつ毛は髪と同じ黒で、調律する手元を見て伏せられている。
物憂げに見えるその表情。
(鼻筋、まっすぐ…)
音を確認しながら弦を押さえる左手を見る。一度上げた顔の中心にはすっと通った鼻梁。
(あ…唇可愛いかも)
偏屈な割に、上下が比較的均等な厚みの唇の口角は、好印象を抱かせるような少し上向き。
「…練習しないのか?」
(こっち見たーっ!)
「合わせる前にトイレ行ってきます…」
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