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文久3年
大坂の診療所(参)
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雫を二階の空き部屋に案内したあと、康順は家を出た。外はもうすっかり暗くなって、人通りもめっきり減っていた。
夜に出歩くことは危険だからあまり感心しないことだが、行き先は近い。すぐ隣の隣家だ。
小さな平屋の入り口の扉を軽く叩くと、すぐに見慣れた中年の女性が顔をのぞかせた。
「あれ?康順先生じゃないですか。どうしたんです?こんな夜に」
「こんばんは、お涼さん」
隣家に住む大工の与吉の奥方であるお涼さんである。
ちょうど家族団欒の時に邪魔してしまったらしく、部屋には与吉と二人の子供がくつろいでいた。
「ん?康順さんじゃねえか。どうしたんすか?女房は譲りませんぜ?」
目ざとく康順を見つけた与吉は、ニヤニヤしながらそう言ってきた。この人はよくよく康順に絡むのが好きらしい。
別に嫌ではないからいいが。
「知ってますよ、与吉さん。とったりしませんから。少し、お涼さんに頼みたいことがあるだけです」
「まあ。私に頼み事ですか?」
お涼さんは不思議そうにしている。確かに康順の方から何かを頼むのは珍しいことだから。
「ある女の子の世話を頼みたいんだ」
もう一方のお隣さんである老夫婦の方の方が付き合いは長かったし、子供好きだったから頼めればよかったんだが、残念ながら先月亡くなってしまった。
「女の子ですか?どこにいるんです?どんな子なんです?」
「名前は御影 雫。訳あって俺が保護しているので、診療所の二階にいます」
「それより先生よ!その子、見た目はどうなんです?」
与吉がそんなことを聞いてくる。……ものすごく答えにくい質問を……。
「………とりあえずものすごく美人とだけ言っておきます」
「なんだなんだ!!康順さんもついに嫁をもらったのか?」
「違います!いろいろ複雑な事情があるんです!」
案の定、茶化しを入れてきた与吉さんに反論して、康順は咳払いをした。
「それでお涼さんには彼女の面倒を見てもらいたいんです。俺は女性の世話なんてやったことないですから」
「なるほど」
「それに、異性の俺では気が回らないことも多々あるでしょうし」
「そういう事情ならわかりました。任せてください!明日にでもそっちに行きますよ。裏口から入ればいいですか?」
「ええ。そうしてください」
これで雫が生活に困ることはないだろう。
お涼さんに丁重に礼を言って、康順は家に戻る。今日は疲れたから、もう休もう。
二階の自分の部屋に行く途中、雫の部屋の前を通った。ふすまは小さく開いていて、青白い月光が廊下に線を作っている。
康順は隙間からそっと部屋の中を見てみた。部屋の中央に布団が敷いてあって、その上で黒猫が丸まっているのがちらっと見えた。
雫は窓際に座って外を、月を見ていた。月光を背負ってもなお、彼女は美しさは損なわれていない。
しかしその瞳に宿るのは、どこまでも深い虚無だった。まるで全てに退屈しているような、そんなうつろな目だった。
この少女は、深い闇を抱えている。そう思わされた。
少女が何かの気配を感じて入り口に顔を向けた時、ふすまの前にはもう誰もいなかった。
夜に出歩くことは危険だからあまり感心しないことだが、行き先は近い。すぐ隣の隣家だ。
小さな平屋の入り口の扉を軽く叩くと、すぐに見慣れた中年の女性が顔をのぞかせた。
「あれ?康順先生じゃないですか。どうしたんです?こんな夜に」
「こんばんは、お涼さん」
隣家に住む大工の与吉の奥方であるお涼さんである。
ちょうど家族団欒の時に邪魔してしまったらしく、部屋には与吉と二人の子供がくつろいでいた。
「ん?康順さんじゃねえか。どうしたんすか?女房は譲りませんぜ?」
目ざとく康順を見つけた与吉は、ニヤニヤしながらそう言ってきた。この人はよくよく康順に絡むのが好きらしい。
別に嫌ではないからいいが。
「知ってますよ、与吉さん。とったりしませんから。少し、お涼さんに頼みたいことがあるだけです」
「まあ。私に頼み事ですか?」
お涼さんは不思議そうにしている。確かに康順の方から何かを頼むのは珍しいことだから。
「ある女の子の世話を頼みたいんだ」
もう一方のお隣さんである老夫婦の方の方が付き合いは長かったし、子供好きだったから頼めればよかったんだが、残念ながら先月亡くなってしまった。
「女の子ですか?どこにいるんです?どんな子なんです?」
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与吉がそんなことを聞いてくる。……ものすごく答えにくい質問を……。
「………とりあえずものすごく美人とだけ言っておきます」
「なんだなんだ!!康順さんもついに嫁をもらったのか?」
「違います!いろいろ複雑な事情があるんです!」
案の定、茶化しを入れてきた与吉さんに反論して、康順は咳払いをした。
「それでお涼さんには彼女の面倒を見てもらいたいんです。俺は女性の世話なんてやったことないですから」
「なるほど」
「それに、異性の俺では気が回らないことも多々あるでしょうし」
「そういう事情ならわかりました。任せてください!明日にでもそっちに行きますよ。裏口から入ればいいですか?」
「ええ。そうしてください」
これで雫が生活に困ることはないだろう。
お涼さんに丁重に礼を言って、康順は家に戻る。今日は疲れたから、もう休もう。
二階の自分の部屋に行く途中、雫の部屋の前を通った。ふすまは小さく開いていて、青白い月光が廊下に線を作っている。
康順は隙間からそっと部屋の中を見てみた。部屋の中央に布団が敷いてあって、その上で黒猫が丸まっているのがちらっと見えた。
雫は窓際に座って外を、月を見ていた。月光を背負ってもなお、彼女は美しさは損なわれていない。
しかしその瞳に宿るのは、どこまでも深い虚無だった。まるで全てに退屈しているような、そんなうつろな目だった。
この少女は、深い闇を抱えている。そう思わされた。
少女が何かの気配を感じて入り口に顔を向けた時、ふすまの前にはもう誰もいなかった。
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