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3章 掴み取った真実、そして――
掴み取った真実、そして―― 9
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田園調布は高級住宅街として有名だ。特に紫子さんに聞いた住所に近づくと、小野寺克也の豪邸レベルの家が続いている。
意外に街灯は少なくて、暗くて静かな街だった。人もほとんど出歩いていない。駅から近いわけではないので、住人は車移動が多いのかもしれない。
織田龍太郎の家は、環八通りから小道に入ってすぐだった。赤レンガ作りの二階建てで、木造りの表札に「織田」と毛筆で書かれていた。一階の一部は駐車場だったが、シャッターが閉まっていて中は見えない。車二台分のスペースがある。
車を脇に停めると、二人で織田家の玄関に向かった。紫子さんが呼び鈴を鳴らすと、二、三十代くらいの女性の声が返事をした。
「織田龍太郎さんはご在宅ですか?」
「いえ、先生はまだお戻りになっておりません」
「何時頃お戻りの予定でしょうか?」
「存じ上げません。御用でしたら明日、事務所に連絡してください」
そっけなく切れた。秘書か家政婦だろう。対応し慣れている。
「選挙期間中だものね、まだ帰ってないか」
そういえば、織田は衆議院議員だった。ちなみに岩城博文は参議院だ。
紫子さんは織田が帰ってくるまで待つ気のようだ。車に戻って待機しようとしていると、黒いアルファードが通り過ぎて織田の家の前で止まった。車庫の電動シャッターが音を立てて開いていく。
「織田が帰ってきた」
アルファードが車庫に入ると、再びシャッターが閉まり出した。まだ車からは誰も出てこない。俺たちがいるからか、普段からそういう手順なのか。どちらにしても、これでは織田に会えそうもない。
紫子さんが素早く動いた。
シャッターの真下に立つ。
「紫子さん、危ない!」
シャッターは紫子さんの頭上に降り続けている。紫子さん直立したまま動かず、アルファードに鋭い視線を向けている。
シャッターが紫子さんの頭上ギリギリまで近づいてきた。このままでは、怪我をしてしまいかねない。紫子さんの腕を引こうとしたとき。
シャッターがとまった。
紫子さんの頭の先にシャッターが触れているのではないだろうか。とまったシャッターは、再びモーター音を響かせて上がっていった。
俺はほっとして、膝をつきそうになった。
アルファードの後部座席のドアが開く。
「おもしろい、話を聞いてやろう。どこの記者だ」
グレーの髪をしっかりなでつけ、顎近くまである揉み上げと髭が特徴的な、威圧感のある男性が降りてきた。
織田龍太郎だ。
六十代だというのに、重力に逆らって目尻も眉も吊り上っていることも、迫力を増している理由のひとつだろう。目鼻立ちもはっきりしていて眼力が強い。赤ん坊なら一瞬で泣き出しそうだ。
「確かに私は記者ですが、仕事は関係ありません。個人的に来たんです」
織田と対峙して、紫子さんは一歩も引けをとっていなかった。
「私は、佐藤明の娘です」
織田の太い眉がピクリと動いた。
「まさか、忘れてはいませんよね」
「むろん。優秀な男だった」
織田は先を促す様子で、口を閉じた。紫子さんは挑発的な笑みを浮かべて腕を組む。
「人払いをされなくていいのですか? 私、ご忠告を申し上げにまいりました」
「なんだ」
織田の眉間にしわが寄り、眉が更につり上る。織田は紫子さんを見ているのに、後ろにいる俺まで万力で締めつけられるような圧迫感があった。紫子さんのプレッシャーは相当なものだろう。
「小野寺克也さんの家に行きました。あんなところに、音声データがあるなんて」
一言一言区切るように、ゆっくりと紫子さんは言った。織田の表情を伺いながら話しているようだ。
俺は織田の変化に息をのんだ。
(織田の瞳が、わずかに揺れた)
「私は十五年間、父の死の原因を追い続けていました。あなたがすぐに政界を離れるなら、音声データは公表しません」
「その音声データとはなんだ。私に関わるものなら聞かせてもらいたいものだ」
その声からは、まったく動揺が感じられなかった。さすが長年政界を渡り歩いている男だ。簡単に尻尾を出さない。
「データはしかるべき場所に隠してあります。しばらく様子を見させていただきます」
紫子さんは織田を見たまま二歩ほど下がり、ここに意識を置いていくと言わんばかりの眼差しを残して、その場から離れた。俺は軽く頭を下げて紫子さんの後を追う。
紫子さんのマンションに向かって車を走らせながら、ハンドルを握る手に冷や汗をかいていることに気付いた。
「紫子さん、すごいですね。俺は見ていただけなのに、寿命が縮んだ気がします」
「いくら織田の視線が鋭いからって、睨まれても死にはしないわよ」
「そうですけど」
バックミラー越しに紫子さんを見ると、瞳も唇も中途半端に開けて、放心したようにシートにもたれていた。さっきの数分に全力を注いだのだろう。燃え尽きたという感じだ。
なんだ、やっぱり緊張してたんじゃないですか、とからかいたいところだけど、今はそっとしておこう。
(さっきの紫子さん、格好良かったしな)
俺なら、織田と対峙しろと言われても無理だ。
青山通りに入ると、急に渋滞しだした。元々混雑する道ではあるけれど、殆ど進まない。トラブルがあったようだ。
「事故?」
「いえ、火事みたいですね」
遠くに黒い煙が見えた。消防車が何台も止まっている。交通規制もしていたから混雑したのだろう。放水は終わっているが、まだ消化が終わったばかりのようだ。
「……」
嫌な予感がした。紫子さんも同じようだ。
「歩いた方が早い。紫子さん、マンションを見に行ってください」
紫子さんはうなずいて、人をかき分けるようにして人ごみの中に消えた。
意外に街灯は少なくて、暗くて静かな街だった。人もほとんど出歩いていない。駅から近いわけではないので、住人は車移動が多いのかもしれない。
織田龍太郎の家は、環八通りから小道に入ってすぐだった。赤レンガ作りの二階建てで、木造りの表札に「織田」と毛筆で書かれていた。一階の一部は駐車場だったが、シャッターが閉まっていて中は見えない。車二台分のスペースがある。
車を脇に停めると、二人で織田家の玄関に向かった。紫子さんが呼び鈴を鳴らすと、二、三十代くらいの女性の声が返事をした。
「織田龍太郎さんはご在宅ですか?」
「いえ、先生はまだお戻りになっておりません」
「何時頃お戻りの予定でしょうか?」
「存じ上げません。御用でしたら明日、事務所に連絡してください」
そっけなく切れた。秘書か家政婦だろう。対応し慣れている。
「選挙期間中だものね、まだ帰ってないか」
そういえば、織田は衆議院議員だった。ちなみに岩城博文は参議院だ。
紫子さんは織田が帰ってくるまで待つ気のようだ。車に戻って待機しようとしていると、黒いアルファードが通り過ぎて織田の家の前で止まった。車庫の電動シャッターが音を立てて開いていく。
「織田が帰ってきた」
アルファードが車庫に入ると、再びシャッターが閉まり出した。まだ車からは誰も出てこない。俺たちがいるからか、普段からそういう手順なのか。どちらにしても、これでは織田に会えそうもない。
紫子さんが素早く動いた。
シャッターの真下に立つ。
「紫子さん、危ない!」
シャッターは紫子さんの頭上に降り続けている。紫子さん直立したまま動かず、アルファードに鋭い視線を向けている。
シャッターが紫子さんの頭上ギリギリまで近づいてきた。このままでは、怪我をしてしまいかねない。紫子さんの腕を引こうとしたとき。
シャッターがとまった。
紫子さんの頭の先にシャッターが触れているのではないだろうか。とまったシャッターは、再びモーター音を響かせて上がっていった。
俺はほっとして、膝をつきそうになった。
アルファードの後部座席のドアが開く。
「おもしろい、話を聞いてやろう。どこの記者だ」
グレーの髪をしっかりなでつけ、顎近くまである揉み上げと髭が特徴的な、威圧感のある男性が降りてきた。
織田龍太郎だ。
六十代だというのに、重力に逆らって目尻も眉も吊り上っていることも、迫力を増している理由のひとつだろう。目鼻立ちもはっきりしていて眼力が強い。赤ん坊なら一瞬で泣き出しそうだ。
「確かに私は記者ですが、仕事は関係ありません。個人的に来たんです」
織田と対峙して、紫子さんは一歩も引けをとっていなかった。
「私は、佐藤明の娘です」
織田の太い眉がピクリと動いた。
「まさか、忘れてはいませんよね」
「むろん。優秀な男だった」
織田は先を促す様子で、口を閉じた。紫子さんは挑発的な笑みを浮かべて腕を組む。
「人払いをされなくていいのですか? 私、ご忠告を申し上げにまいりました」
「なんだ」
織田の眉間にしわが寄り、眉が更につり上る。織田は紫子さんを見ているのに、後ろにいる俺まで万力で締めつけられるような圧迫感があった。紫子さんのプレッシャーは相当なものだろう。
「小野寺克也さんの家に行きました。あんなところに、音声データがあるなんて」
一言一言区切るように、ゆっくりと紫子さんは言った。織田の表情を伺いながら話しているようだ。
俺は織田の変化に息をのんだ。
(織田の瞳が、わずかに揺れた)
「私は十五年間、父の死の原因を追い続けていました。あなたがすぐに政界を離れるなら、音声データは公表しません」
「その音声データとはなんだ。私に関わるものなら聞かせてもらいたいものだ」
その声からは、まったく動揺が感じられなかった。さすが長年政界を渡り歩いている男だ。簡単に尻尾を出さない。
「データはしかるべき場所に隠してあります。しばらく様子を見させていただきます」
紫子さんは織田を見たまま二歩ほど下がり、ここに意識を置いていくと言わんばかりの眼差しを残して、その場から離れた。俺は軽く頭を下げて紫子さんの後を追う。
紫子さんのマンションに向かって車を走らせながら、ハンドルを握る手に冷や汗をかいていることに気付いた。
「紫子さん、すごいですね。俺は見ていただけなのに、寿命が縮んだ気がします」
「いくら織田の視線が鋭いからって、睨まれても死にはしないわよ」
「そうですけど」
バックミラー越しに紫子さんを見ると、瞳も唇も中途半端に開けて、放心したようにシートにもたれていた。さっきの数分に全力を注いだのだろう。燃え尽きたという感じだ。
なんだ、やっぱり緊張してたんじゃないですか、とからかいたいところだけど、今はそっとしておこう。
(さっきの紫子さん、格好良かったしな)
俺なら、織田と対峙しろと言われても無理だ。
青山通りに入ると、急に渋滞しだした。元々混雑する道ではあるけれど、殆ど進まない。トラブルがあったようだ。
「事故?」
「いえ、火事みたいですね」
遠くに黒い煙が見えた。消防車が何台も止まっている。交通規制もしていたから混雑したのだろう。放水は終わっているが、まだ消化が終わったばかりのようだ。
「……」
嫌な予感がした。紫子さんも同じようだ。
「歩いた方が早い。紫子さん、マンションを見に行ってください」
紫子さんはうなずいて、人をかき分けるようにして人ごみの中に消えた。
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