22 / 45
2章 報道のジレンマ
報道のジレンマ 7
しおりを挟む
その夜。現場が早く終わったので、俺はまた『花ちゃん』に来ていた。
恵比寿と代官山の中間あたりにある住宅地で、周辺は人通りが少ない。店も小さいから見逃してしまいそうになるけど、三十年以上続いているというのだから、いかに地元の常連に愛されているかがわかる。
「ヒデーこと書くよなあ」
五分刈りで白髪の男性は、週刊誌をカウンターのテーブルに放り投げた。少ない関係者の話を盛って書いてあり、あることないこと無理矢理詰め込んだ内容だった。
八つのカウンター席のうち、三つが埋まっている。メンツは前回来た時と同じ、五分刈りの男性と、ニット帽をかぶった女性、カウンターの中に女将。みんな六十代だ。
二階堂さんの情報を俺が流したと誤解されたのではと、ビクビクしながら様子を見に来たのだが、杞憂だった。常連客達は二階堂さん本人から、情報元を聞いていた。
「タケちゃん一人身だから、身の回りのことはマネージャーがやっていたんだけど、そのマネージャーが事務所からつけられたみたいね」
「しかも、声をかけられた時にがんだってボロを出しちまうんだから、情けないマネージャーだ」
掲載されたのは毎週のようにスクープを飛ばしている週刊誌なので、記者が手練れだったのかもしれない。
「二階堂さんの容体は?」
「週刊誌に載ったものだから、心配になって電話したんだけど、声は元気そうだった。また見舞いに行っていいって言うから、明日顏を見てくるよ」
女将さんは、なんだか嬉しそうだ。やっぱり、二階堂さんと女将さんは、今でも両思いなのかもしれない。
それなのに、何年も、もしかしたら何十年も会っていなかったんだろう。こんなことにならなければ、まだ二人が会うことはなかったに違いない。
「病気は嫌だね。オレたちもいつお迎えが来るかわからねえからな」
「ピンピンコロリで逝きたいよ」
「ホントだな。娘がさ、ボケるくらいなら死んでくれって言うんだから、ヒデエだろ」
「憎まれ口を叩けるのは仲のいい証拠よ」
「自慢の娘のくせにねえ」
この店の話題ナンバーワンは、健康問題だ。俺は口を挟める話じゃないけど、聞いている分には楽しかった。懐かしい感覚なのだ。祖父母と一緒にいる時間が長かったからだろう。
「ボケっていえばさ、ヤスコさん、どうしてるかねえ」
「ヤスコさん?」
この店では、初めて耳にする名前だ。
「いるじゃない、梶山靖子って女優」
「ああ」
俺はうなずいた。
事務所に入ってから勉強して知ったわけではなく、元々記憶にある名前だった。テレビ嫌いとかで、映画や舞台を中心に活動している女優だ。でもかなりの人気で、多数のCMに出演していたから、ポスターやネット動画の合間のCMでよく見かけた。
「まだ五十代ですよね。認知症になるには早いんじゃ」
「靖子さんのお母さんが認知症なのよ。介護に専念するために、もう五年くらい仕事してないんじゃないかしら」
女将さんが言う。
(あれ、それって、公表されていないんじゃ……)
俺はスマートフォンで検索してみた。
(やっぱり)
特に休業宣言もしていないし、介護をしていることも書かれていない。CMの契約が続いているんだろう、メディアには出ているから、露出が減っている気がしなかったんだ。
大物女優、認知症の母のため、介護で休業。
うん、ネタとしてアリだ。
「梶山靖子さんって、この辺りに住んでるんですか?」
「三年くらい前まで住んでたんだけどさ。実家に戻って、静かなところで介護するって言ってたな。本当はこっちで母親と暮らそうと、実家から母親を呼び寄せて、十年くらい前に大きな家を建てたんだけど。呼び寄せて数年しないうちに、認知症になったようでさ。その家は売りに出してるよ。まだ買い手がつかないけど」
そういう男性に、売りに出しているという家の場所を聞いた。メモを取るわけにはいかないので、頭に刻む。これもネタになりそうだ。
「実家はどこなんでしょう?」
「山形県って言ってたっけ?」
「天童市だよ」
「山形県天童市……」
俺は口の中で繰り返した。
二階堂武史だけじゃなく、梶山靖子のネタまであるとは。
中目黒や六本木のキラキラしたレストランに多くのネタが眠っているんだろうけど、地元のおじいちゃんおばちゃんが集まる渋い店の情報網も、捨てたもんじゃないね。
恵比寿と代官山の中間あたりにある住宅地で、周辺は人通りが少ない。店も小さいから見逃してしまいそうになるけど、三十年以上続いているというのだから、いかに地元の常連に愛されているかがわかる。
「ヒデーこと書くよなあ」
五分刈りで白髪の男性は、週刊誌をカウンターのテーブルに放り投げた。少ない関係者の話を盛って書いてあり、あることないこと無理矢理詰め込んだ内容だった。
八つのカウンター席のうち、三つが埋まっている。メンツは前回来た時と同じ、五分刈りの男性と、ニット帽をかぶった女性、カウンターの中に女将。みんな六十代だ。
二階堂さんの情報を俺が流したと誤解されたのではと、ビクビクしながら様子を見に来たのだが、杞憂だった。常連客達は二階堂さん本人から、情報元を聞いていた。
「タケちゃん一人身だから、身の回りのことはマネージャーがやっていたんだけど、そのマネージャーが事務所からつけられたみたいね」
「しかも、声をかけられた時にがんだってボロを出しちまうんだから、情けないマネージャーだ」
掲載されたのは毎週のようにスクープを飛ばしている週刊誌なので、記者が手練れだったのかもしれない。
「二階堂さんの容体は?」
「週刊誌に載ったものだから、心配になって電話したんだけど、声は元気そうだった。また見舞いに行っていいって言うから、明日顏を見てくるよ」
女将さんは、なんだか嬉しそうだ。やっぱり、二階堂さんと女将さんは、今でも両思いなのかもしれない。
それなのに、何年も、もしかしたら何十年も会っていなかったんだろう。こんなことにならなければ、まだ二人が会うことはなかったに違いない。
「病気は嫌だね。オレたちもいつお迎えが来るかわからねえからな」
「ピンピンコロリで逝きたいよ」
「ホントだな。娘がさ、ボケるくらいなら死んでくれって言うんだから、ヒデエだろ」
「憎まれ口を叩けるのは仲のいい証拠よ」
「自慢の娘のくせにねえ」
この店の話題ナンバーワンは、健康問題だ。俺は口を挟める話じゃないけど、聞いている分には楽しかった。懐かしい感覚なのだ。祖父母と一緒にいる時間が長かったからだろう。
「ボケっていえばさ、ヤスコさん、どうしてるかねえ」
「ヤスコさん?」
この店では、初めて耳にする名前だ。
「いるじゃない、梶山靖子って女優」
「ああ」
俺はうなずいた。
事務所に入ってから勉強して知ったわけではなく、元々記憶にある名前だった。テレビ嫌いとかで、映画や舞台を中心に活動している女優だ。でもかなりの人気で、多数のCMに出演していたから、ポスターやネット動画の合間のCMでよく見かけた。
「まだ五十代ですよね。認知症になるには早いんじゃ」
「靖子さんのお母さんが認知症なのよ。介護に専念するために、もう五年くらい仕事してないんじゃないかしら」
女将さんが言う。
(あれ、それって、公表されていないんじゃ……)
俺はスマートフォンで検索してみた。
(やっぱり)
特に休業宣言もしていないし、介護をしていることも書かれていない。CMの契約が続いているんだろう、メディアには出ているから、露出が減っている気がしなかったんだ。
大物女優、認知症の母のため、介護で休業。
うん、ネタとしてアリだ。
「梶山靖子さんって、この辺りに住んでるんですか?」
「三年くらい前まで住んでたんだけどさ。実家に戻って、静かなところで介護するって言ってたな。本当はこっちで母親と暮らそうと、実家から母親を呼び寄せて、十年くらい前に大きな家を建てたんだけど。呼び寄せて数年しないうちに、認知症になったようでさ。その家は売りに出してるよ。まだ買い手がつかないけど」
そういう男性に、売りに出しているという家の場所を聞いた。メモを取るわけにはいかないので、頭に刻む。これもネタになりそうだ。
「実家はどこなんでしょう?」
「山形県って言ってたっけ?」
「天童市だよ」
「山形県天童市……」
俺は口の中で繰り返した。
二階堂武史だけじゃなく、梶山靖子のネタまであるとは。
中目黒や六本木のキラキラしたレストランに多くのネタが眠っているんだろうけど、地元のおじいちゃんおばちゃんが集まる渋い店の情報網も、捨てたもんじゃないね。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。
おいしいご飯がたくさん出てきます。
いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。
助けられたり、恋をしたり。
愛とやさしさののあふれるお話です。
なろうにも投降中
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
タイムトラベル同好会
小松広和
ライト文芸
とある有名私立高校にあるタイムトラベル同好会。その名の通りタイムマシンを制作して過去に行くのが目的のクラブだ。だが、なぜか誰も俺のこの壮大なる夢を理解する者がいない。あえて言えば幼なじみの胡桃が付き合ってくれるくらいか。あっ、いやこれは彼女として付き合うという意味では決してない。胡桃はただの幼なじみだ。誤解をしないようにしてくれ。俺と胡桃の平凡な日常のはずが突然・・・・。
気になる方はぜひ読んでみてください。SFっぽい恋愛っぽいストーリーです。よろしくお願いします。
【完結】夢追い人のシェアハウス ~あなたに捧げるチアソング~
じゅん
キャラ文芸
国際ピアノコンクールの優勝候補・拓斗(19歳)は、頭に衝撃を受けてから指が思うように動かなくなり、絶望して部屋に引きこもっていた。
そこにかつての親友・雄一郎(19歳)が訪ねてきて、「夢がある者」しか住めないシェアハウスに連れて行く――。
拓斗はそのシェアハウスで漫画家、声優などを夢見る者たちに触れ合うことで、自分を見つめ直し、本来の夢を取り戻していく。
その過程で、拓斗を導いていた雄一郎の夢や葛藤も浮き彫りになり、拓斗は雄一郎のためにピアノのコンクールの入賞を目指すようになり……。
夢を追う者たちを連作短編形式で描きながら、拓斗が成長していく、友情の青春ヒューマンストーリー。
諦めず夢に向かって頑張っている人への応援歌です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる