20 / 45
2章 報道のジレンマ
報道のジレンマ 5
しおりを挟む
俺は頭を悩ませていた。
今日聞いた話を、ネタとして事務所に提出するべきか、否か。
俺は自室のパイプベッドに横たわり、古びた天井のシミを見ながら考えた。
当然、提出するべきだ。
仕事として店に潜入している以上、報告は義務だろう。経費だってかかっている。
それに、何週間もネタが取れていない俺にとっては、救世主のような情報だった。
身近な人からの確実な情報で、病室や病名などの詳細までわかっている。通常、通っている病院がわかっても、そこからの情報がなかなか取れないものなのだ。病院側の情報管理は徹底しているし、セキュリティーも厳しい。
そしてこれが、プライベートが殆ど明かされていない二階堂武史の話だというのも大きい。しかも、末期がんで余命いくばくもないのだ。センセーショナルな記事となるだろう。
記事になった場合の問題は、情報を流したのが俺だと特定されやすいことだ。女将の話の通りならば、二階堂さんの事務所でも、この事実を知る者は一部しかいない。その他でも、『花ちゃん』の常連含め、近しい人しか知らないだろう。
俺が情報源だとわかってしまえば、あの店に二度と顔を出せない。紫子さんに言わせれば勲章なのだろうが、俺にとっては裏切り者の烙印だ。第一、『花ちゃん』の女将や常連が、情報を流してしまったと悔やむことになるだろう。俺を親しく思っていたことに怒りや悲しみを感じるかもしれない。
そしてなりより心配なことは、二階堂さんの容体だ。
女将の言っていたように、ストレスで命を縮めることになるかもしれない。更に、静かに人生を終わりたいと言っている人の尊厳を踏みにじることにもなる。
(俺は、どうすればいいんだろう)
聞かなきゃよかったと、思考が逃げてしまう。
もぞもぞと布団の上で寝返りを打った。柔らかい枕に頬をすりつける。
尊厳を守りたいなんて大層な免罪符を掲げて、ただ女将たちに嫌われたくないだけなんじゃないか。
いい人でいたいという甘えなのか。
報道人としての覚悟が足りないのか。
(でも、俺、誰も傷ついてほしくないよ)
胸の上に置いた手の平は、小刻みに動いている心臓をとらえていた。ずっと動悸が治まらずに、落ち着かない。
「どうしよう……」
報道の人間としての立場と、佐藤澄生という個人では、意見が正反対になってしまう。
ただ、時間だけが過ぎていった。
――いつまで経っても、答えは出なかった。
悩み続けて、眠れない日が続いた。そのままずるずると一週間が経過したころ、コンビニで見かけた週刊誌に、こんな見出しが躍っていた。
『二階堂武史、末期がん 壮絶な闘病公開』
俺は雑誌を掴んで、頭を垂れた。どこに蓄積されていたのかと思うほど、大量の息が口からもれた。
「書かれちゃったか……」
複雑な感情が胸に溢れた。
これでもう悩まなくてすむという開放感。どうせ公になるなら事務所に報告すればよかったという後悔。二階堂さんの容体の心配。『花ちゃん』の女将たちに、俺がばらしたと疑われているんじゃないかという懸念……。
(情けない)
これは、俺が事務所に伝えないことを選んで、覚悟した結果じゃない。ただ悶々と悩んでいただけだ。
俺は結局、決断できなかった。
その日はタレントが住むマンションの張り込みの仕事が入っていた。俺の愛車・アルトの中で、紫子さんとタレントが動くのを待った。
この待機中は、暇ではあるが、気が抜けない時間だった。カーテレビをつけていることもあれば、ラジオを流していることもある。実際今も、音量を落としてテレビ番組を流していた。
ただ、あまりそちらに集中しすぎると、一瞬の隙にターゲットを見失いかねない。俺は苦い失敗体験があるので、出入り口からあまり目を離さないようにしていた。こんな時は、雑談をしているくらいがちょうどいい。
俺は思い切って、二階堂武史の末期がんの話が取れていたことを、紫子さんにしてみた。
「大バカ者!」
「すみませんっ」
予想していたが、やっぱり紫子さんに叱られた。
「紫子さんなら……」
「迷わず記事にするに決まってるじゃない。ああ、もったない」
ですよね。
「紫子さんが店員と接する姿、すごく勉強になりました。嘘も方便だし、はったりも演技も必要だと思います。俺が不器用で上手くできないってこともありますけど……」
俺はいったん、言葉を区切った。
「でも俺、どうしても、罪悪感が先に立つんです」
紫子さんは片眉を上げて、細くて白い腕を組んだ。
「私は、そんなの感じないけど。報道は事実を伝えるためにあるのよ。秘密を持つから暴かれるの。世の中の秘密は、すべて私が暴いてみせるわ」
こういう話題になるたびに、紫子さんから聞く言葉だ。座右の銘。いや、信念という方がしっくりくる。
海老原投手と赤間アナを追跡していた夜を思い出した。
「紫子さん、『辿りつきたい秘密がある』って言っていましたね。なんのことなんですか?」
「……よく覚えてたわね」
「こんな印象的な言葉、忘れませんよ」
愛社長も言っていた。紫子さんはなにか抱えているって。
言いたくないことを無理矢理聞き出そうとは思わないけど、話を聞いていれば、手伝えることもあるかもしれない。
「お父さんの死について」
紫子さんは伏せ目がちに呟いた。
「お父さんは自殺したことになってるの。でも、絶対におかしい」
紫子さんはふと気づいたようにカーテレビに目を向けて、その視線を強めた。視線でモニターを壊さんばかりに睨めつけている。
「お父さんは、殺されたのよ」
「殺された……?」
「辿りついてみせる」
カーテレビには、織田龍太郎財務大臣が映っていた。次の首相候補として名前が挙がる政治家だ。
今日聞いた話を、ネタとして事務所に提出するべきか、否か。
俺は自室のパイプベッドに横たわり、古びた天井のシミを見ながら考えた。
当然、提出するべきだ。
仕事として店に潜入している以上、報告は義務だろう。経費だってかかっている。
それに、何週間もネタが取れていない俺にとっては、救世主のような情報だった。
身近な人からの確実な情報で、病室や病名などの詳細までわかっている。通常、通っている病院がわかっても、そこからの情報がなかなか取れないものなのだ。病院側の情報管理は徹底しているし、セキュリティーも厳しい。
そしてこれが、プライベートが殆ど明かされていない二階堂武史の話だというのも大きい。しかも、末期がんで余命いくばくもないのだ。センセーショナルな記事となるだろう。
記事になった場合の問題は、情報を流したのが俺だと特定されやすいことだ。女将の話の通りならば、二階堂さんの事務所でも、この事実を知る者は一部しかいない。その他でも、『花ちゃん』の常連含め、近しい人しか知らないだろう。
俺が情報源だとわかってしまえば、あの店に二度と顔を出せない。紫子さんに言わせれば勲章なのだろうが、俺にとっては裏切り者の烙印だ。第一、『花ちゃん』の女将や常連が、情報を流してしまったと悔やむことになるだろう。俺を親しく思っていたことに怒りや悲しみを感じるかもしれない。
そしてなりより心配なことは、二階堂さんの容体だ。
女将の言っていたように、ストレスで命を縮めることになるかもしれない。更に、静かに人生を終わりたいと言っている人の尊厳を踏みにじることにもなる。
(俺は、どうすればいいんだろう)
聞かなきゃよかったと、思考が逃げてしまう。
もぞもぞと布団の上で寝返りを打った。柔らかい枕に頬をすりつける。
尊厳を守りたいなんて大層な免罪符を掲げて、ただ女将たちに嫌われたくないだけなんじゃないか。
いい人でいたいという甘えなのか。
報道人としての覚悟が足りないのか。
(でも、俺、誰も傷ついてほしくないよ)
胸の上に置いた手の平は、小刻みに動いている心臓をとらえていた。ずっと動悸が治まらずに、落ち着かない。
「どうしよう……」
報道の人間としての立場と、佐藤澄生という個人では、意見が正反対になってしまう。
ただ、時間だけが過ぎていった。
――いつまで経っても、答えは出なかった。
悩み続けて、眠れない日が続いた。そのままずるずると一週間が経過したころ、コンビニで見かけた週刊誌に、こんな見出しが躍っていた。
『二階堂武史、末期がん 壮絶な闘病公開』
俺は雑誌を掴んで、頭を垂れた。どこに蓄積されていたのかと思うほど、大量の息が口からもれた。
「書かれちゃったか……」
複雑な感情が胸に溢れた。
これでもう悩まなくてすむという開放感。どうせ公になるなら事務所に報告すればよかったという後悔。二階堂さんの容体の心配。『花ちゃん』の女将たちに、俺がばらしたと疑われているんじゃないかという懸念……。
(情けない)
これは、俺が事務所に伝えないことを選んで、覚悟した結果じゃない。ただ悶々と悩んでいただけだ。
俺は結局、決断できなかった。
その日はタレントが住むマンションの張り込みの仕事が入っていた。俺の愛車・アルトの中で、紫子さんとタレントが動くのを待った。
この待機中は、暇ではあるが、気が抜けない時間だった。カーテレビをつけていることもあれば、ラジオを流していることもある。実際今も、音量を落としてテレビ番組を流していた。
ただ、あまりそちらに集中しすぎると、一瞬の隙にターゲットを見失いかねない。俺は苦い失敗体験があるので、出入り口からあまり目を離さないようにしていた。こんな時は、雑談をしているくらいがちょうどいい。
俺は思い切って、二階堂武史の末期がんの話が取れていたことを、紫子さんにしてみた。
「大バカ者!」
「すみませんっ」
予想していたが、やっぱり紫子さんに叱られた。
「紫子さんなら……」
「迷わず記事にするに決まってるじゃない。ああ、もったない」
ですよね。
「紫子さんが店員と接する姿、すごく勉強になりました。嘘も方便だし、はったりも演技も必要だと思います。俺が不器用で上手くできないってこともありますけど……」
俺はいったん、言葉を区切った。
「でも俺、どうしても、罪悪感が先に立つんです」
紫子さんは片眉を上げて、細くて白い腕を組んだ。
「私は、そんなの感じないけど。報道は事実を伝えるためにあるのよ。秘密を持つから暴かれるの。世の中の秘密は、すべて私が暴いてみせるわ」
こういう話題になるたびに、紫子さんから聞く言葉だ。座右の銘。いや、信念という方がしっくりくる。
海老原投手と赤間アナを追跡していた夜を思い出した。
「紫子さん、『辿りつきたい秘密がある』って言っていましたね。なんのことなんですか?」
「……よく覚えてたわね」
「こんな印象的な言葉、忘れませんよ」
愛社長も言っていた。紫子さんはなにか抱えているって。
言いたくないことを無理矢理聞き出そうとは思わないけど、話を聞いていれば、手伝えることもあるかもしれない。
「お父さんの死について」
紫子さんは伏せ目がちに呟いた。
「お父さんは自殺したことになってるの。でも、絶対におかしい」
紫子さんはふと気づいたようにカーテレビに目を向けて、その視線を強めた。視線でモニターを壊さんばかりに睨めつけている。
「お父さんは、殺されたのよ」
「殺された……?」
「辿りついてみせる」
カーテレビには、織田龍太郎財務大臣が映っていた。次の首相候補として名前が挙がる政治家だ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
『愛が揺れるお嬢さん妻』- かわいいひと -
設樂理沙
ライト文芸
♡~好きになった人はクールビューティーなお医者様~♡
やさしくなくて、そっけなくて。なのに時々やさしくて♡
――――― まただ、胸が締め付けられるような・・
そうか、この気持ちは恋しいってことなんだ ―――――
ヤブ医者で不愛想なアイッは年下のクールビューティー。
絶対仲良くなんてなれないって思っていたのに、
遠く遠く、限りなく遠い人だったのに、
わたしにだけ意地悪で・・なのに、
気がつけば、一番近くにいたYO。
幸せあふれる瞬間・・いつもそばで感じていたい
◇ ◇ ◇ ◇
💛画像はAI生成画像 自作
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる