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2章 報道のジレンマ
報道のジレンマ 5
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俺は頭を悩ませていた。
今日聞いた話を、ネタとして事務所に提出するべきか、否か。
俺は自室のパイプベッドに横たわり、古びた天井のシミを見ながら考えた。
当然、提出するべきだ。
仕事として店に潜入している以上、報告は義務だろう。経費だってかかっている。
それに、何週間もネタが取れていない俺にとっては、救世主のような情報だった。
身近な人からの確実な情報で、病室や病名などの詳細までわかっている。通常、通っている病院がわかっても、そこからの情報がなかなか取れないものなのだ。病院側の情報管理は徹底しているし、セキュリティーも厳しい。
そしてこれが、プライベートが殆ど明かされていない二階堂武史の話だというのも大きい。しかも、末期がんで余命いくばくもないのだ。センセーショナルな記事となるだろう。
記事になった場合の問題は、情報を流したのが俺だと特定されやすいことだ。女将の話の通りならば、二階堂さんの事務所でも、この事実を知る者は一部しかいない。その他でも、『花ちゃん』の常連含め、近しい人しか知らないだろう。
俺が情報源だとわかってしまえば、あの店に二度と顔を出せない。紫子さんに言わせれば勲章なのだろうが、俺にとっては裏切り者の烙印だ。第一、『花ちゃん』の女将や常連が、情報を流してしまったと悔やむことになるだろう。俺を親しく思っていたことに怒りや悲しみを感じるかもしれない。
そしてなりより心配なことは、二階堂さんの容体だ。
女将の言っていたように、ストレスで命を縮めることになるかもしれない。更に、静かに人生を終わりたいと言っている人の尊厳を踏みにじることにもなる。
(俺は、どうすればいいんだろう)
聞かなきゃよかったと、思考が逃げてしまう。
もぞもぞと布団の上で寝返りを打った。柔らかい枕に頬をすりつける。
尊厳を守りたいなんて大層な免罪符を掲げて、ただ女将たちに嫌われたくないだけなんじゃないか。
いい人でいたいという甘えなのか。
報道人としての覚悟が足りないのか。
(でも、俺、誰も傷ついてほしくないよ)
胸の上に置いた手の平は、小刻みに動いている心臓をとらえていた。ずっと動悸が治まらずに、落ち着かない。
「どうしよう……」
報道の人間としての立場と、佐藤澄生という個人では、意見が正反対になってしまう。
ただ、時間だけが過ぎていった。
――いつまで経っても、答えは出なかった。
悩み続けて、眠れない日が続いた。そのままずるずると一週間が経過したころ、コンビニで見かけた週刊誌に、こんな見出しが躍っていた。
『二階堂武史、末期がん 壮絶な闘病公開』
俺は雑誌を掴んで、頭を垂れた。どこに蓄積されていたのかと思うほど、大量の息が口からもれた。
「書かれちゃったか……」
複雑な感情が胸に溢れた。
これでもう悩まなくてすむという開放感。どうせ公になるなら事務所に報告すればよかったという後悔。二階堂さんの容体の心配。『花ちゃん』の女将たちに、俺がばらしたと疑われているんじゃないかという懸念……。
(情けない)
これは、俺が事務所に伝えないことを選んで、覚悟した結果じゃない。ただ悶々と悩んでいただけだ。
俺は結局、決断できなかった。
その日はタレントが住むマンションの張り込みの仕事が入っていた。俺の愛車・アルトの中で、紫子さんとタレントが動くのを待った。
この待機中は、暇ではあるが、気が抜けない時間だった。カーテレビをつけていることもあれば、ラジオを流していることもある。実際今も、音量を落としてテレビ番組を流していた。
ただ、あまりそちらに集中しすぎると、一瞬の隙にターゲットを見失いかねない。俺は苦い失敗体験があるので、出入り口からあまり目を離さないようにしていた。こんな時は、雑談をしているくらいがちょうどいい。
俺は思い切って、二階堂武史の末期がんの話が取れていたことを、紫子さんにしてみた。
「大バカ者!」
「すみませんっ」
予想していたが、やっぱり紫子さんに叱られた。
「紫子さんなら……」
「迷わず記事にするに決まってるじゃない。ああ、もったない」
ですよね。
「紫子さんが店員と接する姿、すごく勉強になりました。嘘も方便だし、はったりも演技も必要だと思います。俺が不器用で上手くできないってこともありますけど……」
俺はいったん、言葉を区切った。
「でも俺、どうしても、罪悪感が先に立つんです」
紫子さんは片眉を上げて、細くて白い腕を組んだ。
「私は、そんなの感じないけど。報道は事実を伝えるためにあるのよ。秘密を持つから暴かれるの。世の中の秘密は、すべて私が暴いてみせるわ」
こういう話題になるたびに、紫子さんから聞く言葉だ。座右の銘。いや、信念という方がしっくりくる。
海老原投手と赤間アナを追跡していた夜を思い出した。
「紫子さん、『辿りつきたい秘密がある』って言っていましたね。なんのことなんですか?」
「……よく覚えてたわね」
「こんな印象的な言葉、忘れませんよ」
愛社長も言っていた。紫子さんはなにか抱えているって。
言いたくないことを無理矢理聞き出そうとは思わないけど、話を聞いていれば、手伝えることもあるかもしれない。
「お父さんの死について」
紫子さんは伏せ目がちに呟いた。
「お父さんは自殺したことになってるの。でも、絶対におかしい」
紫子さんはふと気づいたようにカーテレビに目を向けて、その視線を強めた。視線でモニターを壊さんばかりに睨めつけている。
「お父さんは、殺されたのよ」
「殺された……?」
「辿りついてみせる」
カーテレビには、織田龍太郎財務大臣が映っていた。次の首相候補として名前が挙がる政治家だ。
今日聞いた話を、ネタとして事務所に提出するべきか、否か。
俺は自室のパイプベッドに横たわり、古びた天井のシミを見ながら考えた。
当然、提出するべきだ。
仕事として店に潜入している以上、報告は義務だろう。経費だってかかっている。
それに、何週間もネタが取れていない俺にとっては、救世主のような情報だった。
身近な人からの確実な情報で、病室や病名などの詳細までわかっている。通常、通っている病院がわかっても、そこからの情報がなかなか取れないものなのだ。病院側の情報管理は徹底しているし、セキュリティーも厳しい。
そしてこれが、プライベートが殆ど明かされていない二階堂武史の話だというのも大きい。しかも、末期がんで余命いくばくもないのだ。センセーショナルな記事となるだろう。
記事になった場合の問題は、情報を流したのが俺だと特定されやすいことだ。女将の話の通りならば、二階堂さんの事務所でも、この事実を知る者は一部しかいない。その他でも、『花ちゃん』の常連含め、近しい人しか知らないだろう。
俺が情報源だとわかってしまえば、あの店に二度と顔を出せない。紫子さんに言わせれば勲章なのだろうが、俺にとっては裏切り者の烙印だ。第一、『花ちゃん』の女将や常連が、情報を流してしまったと悔やむことになるだろう。俺を親しく思っていたことに怒りや悲しみを感じるかもしれない。
そしてなりより心配なことは、二階堂さんの容体だ。
女将の言っていたように、ストレスで命を縮めることになるかもしれない。更に、静かに人生を終わりたいと言っている人の尊厳を踏みにじることにもなる。
(俺は、どうすればいいんだろう)
聞かなきゃよかったと、思考が逃げてしまう。
もぞもぞと布団の上で寝返りを打った。柔らかい枕に頬をすりつける。
尊厳を守りたいなんて大層な免罪符を掲げて、ただ女将たちに嫌われたくないだけなんじゃないか。
いい人でいたいという甘えなのか。
報道人としての覚悟が足りないのか。
(でも、俺、誰も傷ついてほしくないよ)
胸の上に置いた手の平は、小刻みに動いている心臓をとらえていた。ずっと動悸が治まらずに、落ち着かない。
「どうしよう……」
報道の人間としての立場と、佐藤澄生という個人では、意見が正反対になってしまう。
ただ、時間だけが過ぎていった。
――いつまで経っても、答えは出なかった。
悩み続けて、眠れない日が続いた。そのままずるずると一週間が経過したころ、コンビニで見かけた週刊誌に、こんな見出しが躍っていた。
『二階堂武史、末期がん 壮絶な闘病公開』
俺は雑誌を掴んで、頭を垂れた。どこに蓄積されていたのかと思うほど、大量の息が口からもれた。
「書かれちゃったか……」
複雑な感情が胸に溢れた。
これでもう悩まなくてすむという開放感。どうせ公になるなら事務所に報告すればよかったという後悔。二階堂さんの容体の心配。『花ちゃん』の女将たちに、俺がばらしたと疑われているんじゃないかという懸念……。
(情けない)
これは、俺が事務所に伝えないことを選んで、覚悟した結果じゃない。ただ悶々と悩んでいただけだ。
俺は結局、決断できなかった。
その日はタレントが住むマンションの張り込みの仕事が入っていた。俺の愛車・アルトの中で、紫子さんとタレントが動くのを待った。
この待機中は、暇ではあるが、気が抜けない時間だった。カーテレビをつけていることもあれば、ラジオを流していることもある。実際今も、音量を落としてテレビ番組を流していた。
ただ、あまりそちらに集中しすぎると、一瞬の隙にターゲットを見失いかねない。俺は苦い失敗体験があるので、出入り口からあまり目を離さないようにしていた。こんな時は、雑談をしているくらいがちょうどいい。
俺は思い切って、二階堂武史の末期がんの話が取れていたことを、紫子さんにしてみた。
「大バカ者!」
「すみませんっ」
予想していたが、やっぱり紫子さんに叱られた。
「紫子さんなら……」
「迷わず記事にするに決まってるじゃない。ああ、もったない」
ですよね。
「紫子さんが店員と接する姿、すごく勉強になりました。嘘も方便だし、はったりも演技も必要だと思います。俺が不器用で上手くできないってこともありますけど……」
俺はいったん、言葉を区切った。
「でも俺、どうしても、罪悪感が先に立つんです」
紫子さんは片眉を上げて、細くて白い腕を組んだ。
「私は、そんなの感じないけど。報道は事実を伝えるためにあるのよ。秘密を持つから暴かれるの。世の中の秘密は、すべて私が暴いてみせるわ」
こういう話題になるたびに、紫子さんから聞く言葉だ。座右の銘。いや、信念という方がしっくりくる。
海老原投手と赤間アナを追跡していた夜を思い出した。
「紫子さん、『辿りつきたい秘密がある』って言っていましたね。なんのことなんですか?」
「……よく覚えてたわね」
「こんな印象的な言葉、忘れませんよ」
愛社長も言っていた。紫子さんはなにか抱えているって。
言いたくないことを無理矢理聞き出そうとは思わないけど、話を聞いていれば、手伝えることもあるかもしれない。
「お父さんの死について」
紫子さんは伏せ目がちに呟いた。
「お父さんは自殺したことになってるの。でも、絶対におかしい」
紫子さんはふと気づいたようにカーテレビに目を向けて、その視線を強めた。視線でモニターを壊さんばかりに睨めつけている。
「お父さんは、殺されたのよ」
「殺された……?」
「辿りついてみせる」
カーテレビには、織田龍太郎財務大臣が映っていた。次の首相候補として名前が挙がる政治家だ。
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