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2章 報道のジレンマ
報道のジレンマ 4
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ほぼ丸一日もらって紫子さんにレクチャーを受けてから、バリバリとネタが……急に取れるようになるはずもない。
それでも、前より店員の反応が良くなっている気がする。会話も以前より続くようになっていた。
「いらっしゃい。あら澄生くん、最近来なかったじゃない」
「すみません、ちょっと忙しくて」
「雰囲気変わったね。またイイ男になって」
「はは、髪型を変えたんです」
ここは、三か月前から通い始めた『花ちゃん』という恵比寿の小料理屋だった。夫に先立たれた六十代の女将が一人で営む小さな店で、いつ行っても女将と同い年くらいの客が集っている。若いのは俺だけなのだが、女将も常連客も、みんな俺を孫のように可愛がってくれた。
今日は俺の他に、男女一人ずつ常連客が来ていた。俺はいつものように、八つしかないカウンター席の端に座り、いくつか注文をする。
女将一人で働いているので、常連客は女将の負担を減らすため、飲み物は生ビールだろうとホッピーだろうと、自分で作るのがお決まりとなっていた。ということで、俺も冷蔵庫からウーロン茶を取り出してグラスに注いだ。
(……ん?)
お通しのポテトサラダをタッパから小皿に移す女将は、なんだか顔色が悪く、元気がないように見えた。
女将は肩まである黒髪を細い首の後ろでひとつに結んでいる。深いしわが刻まれているが、昔は相当美人だったのだろうという面影がある、品のいい顔立ちだ。
「女将さん、体調が悪いんですか? 大丈夫?」
俺が声をかけると、
「そうなんだよ、花ちゃん落ち込んじゃってさ。聞いてやってくれよ」
白髪を五分刈りにしているふくよかな体の男性が言った。花ちゃんというのは、女将のことだ。
「今日ね、久しぶりにタケちゃんと会ったのよ」
女将の言葉に、俺はドキリとした。
タケちゃんというのは、俺がこの店に通う理由の人の名前だからだ。
二階堂武史。六十三歳の俳優だ。
長い下積みを経て、四十代でブレイク。それからはテレビドラマで見ないクールはないという、名バイプレーヤーの一人だ。
しかしここ一年、ぱったりとメディアに出なくなった。一部では療養しているのではないかと囁かれているが、まったく情報が掴めないでいた。
二階堂さんは独身の一人暮らしで、仕事漬けだったせいか近所付き合いもないようだった。最近、二階堂さんを見かけた人さえ見つからない状態だ。
「タケちゃん、末期がんなんだって。もう、やせ細っちゃって」
女将はエプロンで目元を押さえた。
「末期って、もう治らないんですか?」
「場所が悪いんだよな、膵臓だってんだからさ」
「あちこち転移しちゃってるらしいよ」
「今度オレたちも見舞いに行こうと思ってさ」
二人の客が口々に言うと、女将はまた目元を拭いた。
二階堂さんの家はこの店の近くにあり、店では二階堂さんの話題がよくあがった。商店街の温泉旅行に毎年一緒に行ったもんだとか、昔話が多かった。
最近の話としては、ドラマに出ていたとか、インタビュー記事の切り抜きを持って来たとか、ただのファンのような話題しかないので、地元の英雄的な扱いで、既に交流はないものと諦めかけていた。
(本当に親しい仲だったとは)
入院している病院や病室、おそらくあと一か月もたないだろうことなど、情報が耳に入ってくる。
これは、間違いなくスクープだ。
思わぬ収穫に、俺の胸は高鳴った。
「この話、所属事務所でも、一部の人しか知らないんですって。仕事仲間にも告げてないって言ってたよ」
目を赤くした女将が言った。
「騒がれず、静かに人生を終わりたいって。こういうことでマスコミが押し掛けると、ストレスになるでしょ。それじゃあ容体が悪くなって、余計に寿命を縮めるよ。そっとしておいてあげたい」
「だからオレたちも、一回だけ、励ましに行くだけにするんだ。積もる話はあるけど、手短にな。疲れさせちゃ本末転倒だ」
また俺の心臓が鳴った。今度はズキズキと。キリで刺されているようだ。
「花ちゃんなんて、タケちゃんと付き合ってたこともあったんだから」
「えっ」
初耳だった。
「やめてよ。そんな仲じゃないって」
「今でも花ちゃんが好きだから、会いたいってタケちゃんから連絡がきたんじゃないの? ずっと独身を貫いてたし」
「結婚すりゃよかったのに。旦那が亡くなって何年も経ってたのに、タケちゃん男気のある奴だから、義理立てしたんだろうなあ。お似合いだったのにさ」
その後はまたいつものように、二階堂さんとの思い出話が続いた。
ぎこちなく口に運んだ料理は、味がしなかった。
それでも、前より店員の反応が良くなっている気がする。会話も以前より続くようになっていた。
「いらっしゃい。あら澄生くん、最近来なかったじゃない」
「すみません、ちょっと忙しくて」
「雰囲気変わったね。またイイ男になって」
「はは、髪型を変えたんです」
ここは、三か月前から通い始めた『花ちゃん』という恵比寿の小料理屋だった。夫に先立たれた六十代の女将が一人で営む小さな店で、いつ行っても女将と同い年くらいの客が集っている。若いのは俺だけなのだが、女将も常連客も、みんな俺を孫のように可愛がってくれた。
今日は俺の他に、男女一人ずつ常連客が来ていた。俺はいつものように、八つしかないカウンター席の端に座り、いくつか注文をする。
女将一人で働いているので、常連客は女将の負担を減らすため、飲み物は生ビールだろうとホッピーだろうと、自分で作るのがお決まりとなっていた。ということで、俺も冷蔵庫からウーロン茶を取り出してグラスに注いだ。
(……ん?)
お通しのポテトサラダをタッパから小皿に移す女将は、なんだか顔色が悪く、元気がないように見えた。
女将は肩まである黒髪を細い首の後ろでひとつに結んでいる。深いしわが刻まれているが、昔は相当美人だったのだろうという面影がある、品のいい顔立ちだ。
「女将さん、体調が悪いんですか? 大丈夫?」
俺が声をかけると、
「そうなんだよ、花ちゃん落ち込んじゃってさ。聞いてやってくれよ」
白髪を五分刈りにしているふくよかな体の男性が言った。花ちゃんというのは、女将のことだ。
「今日ね、久しぶりにタケちゃんと会ったのよ」
女将の言葉に、俺はドキリとした。
タケちゃんというのは、俺がこの店に通う理由の人の名前だからだ。
二階堂武史。六十三歳の俳優だ。
長い下積みを経て、四十代でブレイク。それからはテレビドラマで見ないクールはないという、名バイプレーヤーの一人だ。
しかしここ一年、ぱったりとメディアに出なくなった。一部では療養しているのではないかと囁かれているが、まったく情報が掴めないでいた。
二階堂さんは独身の一人暮らしで、仕事漬けだったせいか近所付き合いもないようだった。最近、二階堂さんを見かけた人さえ見つからない状態だ。
「タケちゃん、末期がんなんだって。もう、やせ細っちゃって」
女将はエプロンで目元を押さえた。
「末期って、もう治らないんですか?」
「場所が悪いんだよな、膵臓だってんだからさ」
「あちこち転移しちゃってるらしいよ」
「今度オレたちも見舞いに行こうと思ってさ」
二人の客が口々に言うと、女将はまた目元を拭いた。
二階堂さんの家はこの店の近くにあり、店では二階堂さんの話題がよくあがった。商店街の温泉旅行に毎年一緒に行ったもんだとか、昔話が多かった。
最近の話としては、ドラマに出ていたとか、インタビュー記事の切り抜きを持って来たとか、ただのファンのような話題しかないので、地元の英雄的な扱いで、既に交流はないものと諦めかけていた。
(本当に親しい仲だったとは)
入院している病院や病室、おそらくあと一か月もたないだろうことなど、情報が耳に入ってくる。
これは、間違いなくスクープだ。
思わぬ収穫に、俺の胸は高鳴った。
「この話、所属事務所でも、一部の人しか知らないんですって。仕事仲間にも告げてないって言ってたよ」
目を赤くした女将が言った。
「騒がれず、静かに人生を終わりたいって。こういうことでマスコミが押し掛けると、ストレスになるでしょ。それじゃあ容体が悪くなって、余計に寿命を縮めるよ。そっとしておいてあげたい」
「だからオレたちも、一回だけ、励ましに行くだけにするんだ。積もる話はあるけど、手短にな。疲れさせちゃ本末転倒だ」
また俺の心臓が鳴った。今度はズキズキと。キリで刺されているようだ。
「花ちゃんなんて、タケちゃんと付き合ってたこともあったんだから」
「えっ」
初耳だった。
「やめてよ。そんな仲じゃないって」
「今でも花ちゃんが好きだから、会いたいってタケちゃんから連絡がきたんじゃないの? ずっと独身を貫いてたし」
「結婚すりゃよかったのに。旦那が亡くなって何年も経ってたのに、タケちゃん男気のある奴だから、義理立てしたんだろうなあ。お似合いだったのにさ」
その後はまたいつものように、二階堂さんとの思い出話が続いた。
ぎこちなく口に運んだ料理は、味がしなかった。
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