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2章 報道のジレンマ
報道のジレンマ 3
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「ボヤオ、今通ってる店はどこ? 随分前に私が教えた店のほかに、開拓してるんでしょうね」
ギクリ。
開拓しているどころか、合わないと思った店は、足が遠のいている。
「そんなことだろうと思った。スマホ出して」
俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
「今から言うところ、店員が芸能ネタを持ってるから、巡回に入れるといいよ。私は出禁になってるから」
「出禁? 紫子さん、なにかやらかしたんですか」
紫子さんは細い眉をあげ、呆れたような表情をした。
「その店で何度もネタを取っていたら、いずれ情報を流してるのは私だってばれるでしょ」
なるほど。常連客になって、信用されるから、情報を教えてくれるんだ。この人は口が堅いと思ったり、仲間だと思うから。その情報を雑誌で公表されちゃ、出禁にもなるだろう。こっちは当然、マスコミの人間だってことは隠して通っているのだから。
「私たちにとって、出禁の店が増えるのは、勲章みたいなものよ」
「勲章、ですか」
それは、スクープを取ってきた数だ。
(それと同時に、誰かを信用させて、裏切ってきた数でもある)
俺は複雑な気持ちになった。
「じゃあ、言うわよ」
「あっ、はい」
俺は紫子さんが教えてくれた店を、スマートフォンのメモ帳に記録した。
「あとは、なにを教えてあげればいいかしら……、あ、こんばんは」
俺はびっくりして紫子さんを見た。急に声が一オクターブ上がったからだ。
紫子さんは上品な笑顔を浮かべて手を振っている。すると、通りがかっていた給仕がテーブルに近づいてきた。三十代半ばくらいで、眼鏡をかけたインテリっぽい男性だ。
「お待ちしておりました。いつもご利用、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。今日はこのワインをお願いしたいんですけど」
紫子さんはメニューを指さした。
「畏まりました」
「グラスは三つで。今日は一緒にお飲みになってくださいますよね?」
「いえ、勤務中ですから。お言葉だけいただきます。ありがとうございます」
給仕は下がった。
「……紫子さん、今のは?」
「ちゃんと説明するから」
手で制された。しばし待てということか。
さっきの眼鏡の給仕が、俺と紫子さんの前にグラスを置き、それぞれにワインを注ぐ。
「そのワイン、お持ちになって。休憩のときにでも、どうぞ」
紫子さんは、半分以上ワインが入っている瓶を、給仕に押しつけた。
「ところで、あの女優と一緒の男性、テレビのプロデューサーだったかしら?」
「いえ、舞台監督ですね」
給仕の言った舞台監督の名前は、俺でも聞いたことのある大御所監督だった。ただし、メディアにはあまり出てこない。
「ああ、そうでした。あのお二人、最近よく一緒ですけど、こちらにも通われていますの?」
「そうですね。以前からお二人とも、それぞれご利用くださっていましたけど、最近はお二人でいらっしゃることが多いです」
「ありがとう。さっきからずっと気になっていたの。すっきりしたわ」
「お役に立てましたら光栄です。御用がございましたら、お声掛けください」
給仕はワイン瓶を持って去った。
紫子さんは、赤ワインを一口飲んだ。そして「ふう」と声に出して息をつく。作り笑いがなくなり、声のトーンも戻った。
「今の人は、ここでの私のネタ元」
「紫子さんが記者だって知ってるんですか?」
「もう長くやりとりしてるから、薄々気づいてはいると思うんだけどね。あの人はワイン好きなんだけど、この店で働いてるからって、そうそう高いワインを飲めるわけじゃないでしょ。だからああやって、ワインをプレゼントする代わりに、ちょっとした情報をもらうのよ。持ちつ持たれつね」
こうなると、店員を騙しているというよりも、共犯関係に近い。こういうやりかたもあるんだな。
「因みに、あの女優と監督が一緒にいるのを見たの、初めてだから。だいたいあの男性が監督だってわからなかったし」
鎌をかけたのか。
「ね、ネタがひとつ取れたでしょ。女優と監督が恋愛、してるかもしれない。監督のほうは既婚者のはずだから、不倫ね」
「あっ」
俺がひとつも見つからないネタを、こんなにあっさりと。鮮やか過ぎた。
「ネタの段階では、裏を取る必要はないの。裏取りには、張り込んだり追跡したりして、時間がかかるでしょ。ネタを採用するかどうかは編集者が決めること。ネタが通ったら、それを提出した人、つまり私に裏取りの依頼が来るってわけ」
「俺、そこに女優がいることすら気づきませんでした」
「他にもいるけど」
「えっ」
あまり不自然にならないようにフロアを見回したが、芸能人らしき人は見つからなかった。というよりも、みんなそれっぽいとも言える。
「窓際にタレント、テラスに俳優、個室は外からは見えないけど、さっき歌手が出入りしてるのが見えた」
「……脱帽です」
まだまだ紫子さんに追いつけそうもない。
ギクリ。
開拓しているどころか、合わないと思った店は、足が遠のいている。
「そんなことだろうと思った。スマホ出して」
俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
「今から言うところ、店員が芸能ネタを持ってるから、巡回に入れるといいよ。私は出禁になってるから」
「出禁? 紫子さん、なにかやらかしたんですか」
紫子さんは細い眉をあげ、呆れたような表情をした。
「その店で何度もネタを取っていたら、いずれ情報を流してるのは私だってばれるでしょ」
なるほど。常連客になって、信用されるから、情報を教えてくれるんだ。この人は口が堅いと思ったり、仲間だと思うから。その情報を雑誌で公表されちゃ、出禁にもなるだろう。こっちは当然、マスコミの人間だってことは隠して通っているのだから。
「私たちにとって、出禁の店が増えるのは、勲章みたいなものよ」
「勲章、ですか」
それは、スクープを取ってきた数だ。
(それと同時に、誰かを信用させて、裏切ってきた数でもある)
俺は複雑な気持ちになった。
「じゃあ、言うわよ」
「あっ、はい」
俺は紫子さんが教えてくれた店を、スマートフォンのメモ帳に記録した。
「あとは、なにを教えてあげればいいかしら……、あ、こんばんは」
俺はびっくりして紫子さんを見た。急に声が一オクターブ上がったからだ。
紫子さんは上品な笑顔を浮かべて手を振っている。すると、通りがかっていた給仕がテーブルに近づいてきた。三十代半ばくらいで、眼鏡をかけたインテリっぽい男性だ。
「お待ちしておりました。いつもご利用、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。今日はこのワインをお願いしたいんですけど」
紫子さんはメニューを指さした。
「畏まりました」
「グラスは三つで。今日は一緒にお飲みになってくださいますよね?」
「いえ、勤務中ですから。お言葉だけいただきます。ありがとうございます」
給仕は下がった。
「……紫子さん、今のは?」
「ちゃんと説明するから」
手で制された。しばし待てということか。
さっきの眼鏡の給仕が、俺と紫子さんの前にグラスを置き、それぞれにワインを注ぐ。
「そのワイン、お持ちになって。休憩のときにでも、どうぞ」
紫子さんは、半分以上ワインが入っている瓶を、給仕に押しつけた。
「ところで、あの女優と一緒の男性、テレビのプロデューサーだったかしら?」
「いえ、舞台監督ですね」
給仕の言った舞台監督の名前は、俺でも聞いたことのある大御所監督だった。ただし、メディアにはあまり出てこない。
「ああ、そうでした。あのお二人、最近よく一緒ですけど、こちらにも通われていますの?」
「そうですね。以前からお二人とも、それぞれご利用くださっていましたけど、最近はお二人でいらっしゃることが多いです」
「ありがとう。さっきからずっと気になっていたの。すっきりしたわ」
「お役に立てましたら光栄です。御用がございましたら、お声掛けください」
給仕はワイン瓶を持って去った。
紫子さんは、赤ワインを一口飲んだ。そして「ふう」と声に出して息をつく。作り笑いがなくなり、声のトーンも戻った。
「今の人は、ここでの私のネタ元」
「紫子さんが記者だって知ってるんですか?」
「もう長くやりとりしてるから、薄々気づいてはいると思うんだけどね。あの人はワイン好きなんだけど、この店で働いてるからって、そうそう高いワインを飲めるわけじゃないでしょ。だからああやって、ワインをプレゼントする代わりに、ちょっとした情報をもらうのよ。持ちつ持たれつね」
こうなると、店員を騙しているというよりも、共犯関係に近い。こういうやりかたもあるんだな。
「因みに、あの女優と監督が一緒にいるのを見たの、初めてだから。だいたいあの男性が監督だってわからなかったし」
鎌をかけたのか。
「ね、ネタがひとつ取れたでしょ。女優と監督が恋愛、してるかもしれない。監督のほうは既婚者のはずだから、不倫ね」
「あっ」
俺がひとつも見つからないネタを、こんなにあっさりと。鮮やか過ぎた。
「ネタの段階では、裏を取る必要はないの。裏取りには、張り込んだり追跡したりして、時間がかかるでしょ。ネタを採用するかどうかは編集者が決めること。ネタが通ったら、それを提出した人、つまり私に裏取りの依頼が来るってわけ」
「俺、そこに女優がいることすら気づきませんでした」
「他にもいるけど」
「えっ」
あまり不自然にならないようにフロアを見回したが、芸能人らしき人は見つからなかった。というよりも、みんなそれっぽいとも言える。
「窓際にタレント、テラスに俳優、個室は外からは見えないけど、さっき歌手が出入りしてるのが見えた」
「……脱帽です」
まだまだ紫子さんに追いつけそうもない。
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