4 / 45
1章 スタジオカメラマンと報道カメラマン
スタジオカメラマンと報道カメラマン 1
しおりを挟む
渋谷駅から徒歩五分ほど。若者たちで賑わうセンター街の反対側、南口方面にある閑静なオフィス街の一角に、俺の目指す雑居ビルがあった。
渋谷は名前が表すように谷間にある地域なだけあって、どこを歩いても坂に当たる。たった五分の道のりだったが、歩道橋を渡った後に急な坂道をのぼらねばならず、体力を削られた。
六月に入ったばかりだったが、既に半袖で充分な暑さになっており、額に汗がにじむ。
「ここだな」
築年数は相当経っているだろう、赤いタイル地の六階建てのビルを、手にしたスマートフォンの地図アプリが示している。
(多少老朽化していようと、好立地のこの場所は、家賃も高いだろうな)
……なんて、大学時代からずっと学生街の安普請に住んでいる俺は、ついそんなことを考えた。
四階でエレベーターを降りると、ドアはひとつしかなかった。「西園寺プロダクション」と書かれたプレートが張り付いている。呼び鈴を鳴らそうとして、俺はその手を止めた。
「いいのかな、これで」
思わず、言葉がこぼれた。
小さな頃から、カメラマンになりたいと思っていた。
写真学科のある大学を卒業して、希望どおりの撮影スタジオに就職できた。家族の記念撮影や、雑誌のグラビア撮影が主な仕事だ。
最高の笑顔や、ほんの一瞬垣間見せる、本人も知らないような表情を引き出して切り取る作業は楽しかった。
なのに。
日に日に、「撮りたいものとは違う」という気持ちが募っていった。
――親父のような写真を撮りたい。
その思いを母親に打ち明けたら、この編集プロダクションを紹介された。主に週刊誌に関わる編集者、ライター、カメラマンなどが所属する事務所だという。
(だからって、パパラッチってのも、なんか違う気がするんだけど)
そんな思いを、俺は頭を振って散らした。
この期に及んで、なにをためらっているんだ。もう撮影スタジオは辞めたのに。
俺は一息吸うと、思い切って呼び鈴を鳴らした。中から「はあい」とハスキーな女性の声が聞こえて、間もなく扉が開いた。
「あら、開いてるから、勝手に入ってきてよかったのに。あなたが佐藤澄生くんね。私は社長の西園寺愛。よろしく」
ベリーショートの黒髪の女性が俺を出迎えてくれた。彼女が母の知人であり、この事務所の社長のようだ。
五十代くらいだろうか、しっかりと化粧をしていて、意志の強そうな眉と瞳が印象的な美人だ。シャツとGパンという簡素な服装でも洗練されて見える。
十二畳ほどの事務所に入ると、机がいくつか並んでいて一角に流しと洗面所がある。白壁には雑誌や本がぎっしりと詰まった本棚が二つ並んでいた。大きな液晶テレビや、コンビニにあるような大きなプリンターもある。
窓が全開になっていて、午後の眩しい日差しと、ほどよい風が入っていた。事務所には社長以外に誰もいないようだ。
「スタッフは十人いるんだけど、みんな現場にいるか自宅で作業をするから、あまりここに来ないのよ。アイスコーヒーでいい?」
「ありがとうございます」
促された椅子に座っていると、社長は冷蔵庫から取り出したペットボトルを紙コップに注いで、俺の前のテーブルに置いた。社長はマイカップを手にして、俺の隣りに腰かける。
「随分大きいのね。お母さんは小柄なのに」
「百八十五センチです。父が大きくて」
「恵まれた体形ね。もてるでしょ」
「そんなことないです」
長身だからといって、特にもてない。高いところに手が届くのは便利だけど、気を抜いていると鴨居や電車の入り口に頭をぶつけるし、運動部からスカウトされても、期待されるほど運動神経は良くないのでガッカリされてしまう。
人ごみでも頭ひとつ出てしまって困る。目立つのはあまり好きではないのだ。キャッチのような人によく声をかけられてしまうので、できるだけ目を合わせないように足早に逃げていた。
「そう? バレンタインチョコ、いっぱいもらってたんじゃない?」
社長はからかうように尋ねてくるので、俺は苦笑した。
「数だけは」
「へえ、いくつ?」
「多い時は、五十個くらいですか」
「えっ」
社長は目を丸くした。
「もてるじゃないの」
「違いますよ。友チョコです」
「友チョコ?」
メディアの人が、友チョコという言葉を知らないのだろうか。そういえば、母も初めは驚いていた。どうらや昔は、友達にチョコを配らなかったらしい。
「友チョコの存在を知らないわけじゃないのよ。女子の間でするものかと、勝手に思っていたから。澄生くんは男子校?」
「いえ、共学です。女子からもらったんですけど。友チョコだよねって聞くと、そうだよって、みんな言います」
「……なるほどね」
社長は眉をひそめて、気の毒そうな眼差しを向けてきた。
「澄生くん、彼女いないでしょ」
「いませんけど」
決めつけられてしまった。当たっているのが悲しい。
彼女いない歴は年齢とイコールなのでちょっと恥ずかしいけれど、欲しいと思ったこともないので仕方がない。
「あなたの彼女は苦労しそうね」
「?」
なぜか同情された。俺の未来の彼女が。
渋谷は名前が表すように谷間にある地域なだけあって、どこを歩いても坂に当たる。たった五分の道のりだったが、歩道橋を渡った後に急な坂道をのぼらねばならず、体力を削られた。
六月に入ったばかりだったが、既に半袖で充分な暑さになっており、額に汗がにじむ。
「ここだな」
築年数は相当経っているだろう、赤いタイル地の六階建てのビルを、手にしたスマートフォンの地図アプリが示している。
(多少老朽化していようと、好立地のこの場所は、家賃も高いだろうな)
……なんて、大学時代からずっと学生街の安普請に住んでいる俺は、ついそんなことを考えた。
四階でエレベーターを降りると、ドアはひとつしかなかった。「西園寺プロダクション」と書かれたプレートが張り付いている。呼び鈴を鳴らそうとして、俺はその手を止めた。
「いいのかな、これで」
思わず、言葉がこぼれた。
小さな頃から、カメラマンになりたいと思っていた。
写真学科のある大学を卒業して、希望どおりの撮影スタジオに就職できた。家族の記念撮影や、雑誌のグラビア撮影が主な仕事だ。
最高の笑顔や、ほんの一瞬垣間見せる、本人も知らないような表情を引き出して切り取る作業は楽しかった。
なのに。
日に日に、「撮りたいものとは違う」という気持ちが募っていった。
――親父のような写真を撮りたい。
その思いを母親に打ち明けたら、この編集プロダクションを紹介された。主に週刊誌に関わる編集者、ライター、カメラマンなどが所属する事務所だという。
(だからって、パパラッチってのも、なんか違う気がするんだけど)
そんな思いを、俺は頭を振って散らした。
この期に及んで、なにをためらっているんだ。もう撮影スタジオは辞めたのに。
俺は一息吸うと、思い切って呼び鈴を鳴らした。中から「はあい」とハスキーな女性の声が聞こえて、間もなく扉が開いた。
「あら、開いてるから、勝手に入ってきてよかったのに。あなたが佐藤澄生くんね。私は社長の西園寺愛。よろしく」
ベリーショートの黒髪の女性が俺を出迎えてくれた。彼女が母の知人であり、この事務所の社長のようだ。
五十代くらいだろうか、しっかりと化粧をしていて、意志の強そうな眉と瞳が印象的な美人だ。シャツとGパンという簡素な服装でも洗練されて見える。
十二畳ほどの事務所に入ると、机がいくつか並んでいて一角に流しと洗面所がある。白壁には雑誌や本がぎっしりと詰まった本棚が二つ並んでいた。大きな液晶テレビや、コンビニにあるような大きなプリンターもある。
窓が全開になっていて、午後の眩しい日差しと、ほどよい風が入っていた。事務所には社長以外に誰もいないようだ。
「スタッフは十人いるんだけど、みんな現場にいるか自宅で作業をするから、あまりここに来ないのよ。アイスコーヒーでいい?」
「ありがとうございます」
促された椅子に座っていると、社長は冷蔵庫から取り出したペットボトルを紙コップに注いで、俺の前のテーブルに置いた。社長はマイカップを手にして、俺の隣りに腰かける。
「随分大きいのね。お母さんは小柄なのに」
「百八十五センチです。父が大きくて」
「恵まれた体形ね。もてるでしょ」
「そんなことないです」
長身だからといって、特にもてない。高いところに手が届くのは便利だけど、気を抜いていると鴨居や電車の入り口に頭をぶつけるし、運動部からスカウトされても、期待されるほど運動神経は良くないのでガッカリされてしまう。
人ごみでも頭ひとつ出てしまって困る。目立つのはあまり好きではないのだ。キャッチのような人によく声をかけられてしまうので、できるだけ目を合わせないように足早に逃げていた。
「そう? バレンタインチョコ、いっぱいもらってたんじゃない?」
社長はからかうように尋ねてくるので、俺は苦笑した。
「数だけは」
「へえ、いくつ?」
「多い時は、五十個くらいですか」
「えっ」
社長は目を丸くした。
「もてるじゃないの」
「違いますよ。友チョコです」
「友チョコ?」
メディアの人が、友チョコという言葉を知らないのだろうか。そういえば、母も初めは驚いていた。どうらや昔は、友達にチョコを配らなかったらしい。
「友チョコの存在を知らないわけじゃないのよ。女子の間でするものかと、勝手に思っていたから。澄生くんは男子校?」
「いえ、共学です。女子からもらったんですけど。友チョコだよねって聞くと、そうだよって、みんな言います」
「……なるほどね」
社長は眉をひそめて、気の毒そうな眼差しを向けてきた。
「澄生くん、彼女いないでしょ」
「いませんけど」
決めつけられてしまった。当たっているのが悲しい。
彼女いない歴は年齢とイコールなのでちょっと恥ずかしいけれど、欲しいと思ったこともないので仕方がない。
「あなたの彼女は苦労しそうね」
「?」
なぜか同情された。俺の未来の彼女が。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。
おいしいご飯がたくさん出てきます。
いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。
助けられたり、恋をしたり。
愛とやさしさののあふれるお話です。
なろうにも投降中
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――
タイムトラベル同好会
小松広和
ライト文芸
とある有名私立高校にあるタイムトラベル同好会。その名の通りタイムマシンを制作して過去に行くのが目的のクラブだ。だが、なぜか誰も俺のこの壮大なる夢を理解する者がいない。あえて言えば幼なじみの胡桃が付き合ってくれるくらいか。あっ、いやこれは彼女として付き合うという意味では決してない。胡桃はただの幼なじみだ。誤解をしないようにしてくれ。俺と胡桃の平凡な日常のはずが突然・・・・。
気になる方はぜひ読んでみてください。SFっぽい恋愛っぽいストーリーです。よろしくお願いします。
【完結】夢追い人のシェアハウス ~あなたに捧げるチアソング~
じゅん
キャラ文芸
国際ピアノコンクールの優勝候補・拓斗(19歳)は、頭に衝撃を受けてから指が思うように動かなくなり、絶望して部屋に引きこもっていた。
そこにかつての親友・雄一郎(19歳)が訪ねてきて、「夢がある者」しか住めないシェアハウスに連れて行く――。
拓斗はそのシェアハウスで漫画家、声優などを夢見る者たちに触れ合うことで、自分を見つめ直し、本来の夢を取り戻していく。
その過程で、拓斗を導いていた雄一郎の夢や葛藤も浮き彫りになり、拓斗は雄一郎のためにピアノのコンクールの入賞を目指すようになり……。
夢を追う者たちを連作短編形式で描きながら、拓斗が成長していく、友情の青春ヒューマンストーリー。
諦めず夢に向かって頑張っている人への応援歌です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる