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エピローグ

エピローグ 【完結】

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 合宿四日目。
 数日の曇り空と強風が消え去り、穏やかな青空が広がっていた。全てが紐解かれた朝にふさわしい天気だ。
 そこに、爽やかな朝に似合わない泣き声が続いていた。
「はよ言えやアホ! どない心配した思てんねん!」
「もうしわけありません、和樹」
「謝ってすむなら警察いらんわ」
 クリスは自分に抱きついて泣いている和樹を慰めるのに必死だ。和樹は聞く耳を持たず子供のようになってしまっている。
「あの二人はいつまでやってるのよ」
 奈月は呆れたように言う。
「クリスが羨ましいネ。ワタシは誰も泣いてくれなかったヨ」
 キャロルが拗ねたような表情をする。
「あれ、そうだっけ。……っていうか、さっきは『数日ぶりネ』とか言って元気にやってくるからびっくりして泣く気が起きなかったし、初日の夜は血の海だったじゃん。恐怖しかないから」
「残念だヨ。演出家に物申すネ」
 背中から聞こえるキャロルの声を龍之介は無視した。今はそれどころではない。落ちている橋を引っ張り上げているところなのだ。
「毎回これをやっていたのか。重労働だな」
 隣りで蒼一が歯を食いしばりながらロープを引っ張っている。腕力があって頼りになるクリスが和樹に掴まっているため、吊り橋の引き揚げ作業は龍之介と蒼一の力にかかっていた。
「……まあな」
 確かに吊り橋は重いが、クリスとの引き上げはもう少し楽だった。身体が大きい割に、蒼一の膂力はそれほどでもないことが判明した。完全に頭脳に偏ったタイプだ。二年前に奈月を軽々と担いでいた気がするが、あれは愛の力だったのか。
「私も手伝うよ」
 陽菜乃は龍之介の前の位置でロープを握った。
「一人増えるだけで結構変わるな」
 蒼一は感心している。
 隠し部屋での告白から数時間が経過していた。陽菜乃は泣き腫らして目の下が赤くなっているが、落ち着きを取り戻している。
「ずっと桜子の遺体のことが気になってたの」
 後ろにいる龍之介がかろうじて聞こえるくらいの小さな声だった。
「でも、知らないふりをしていれば、あの日のことがなかったようになる気がして、ここに戻ってくることができなかった。見なければ、もしかして生きているかもしれないって可能性にもすがることができた。そんなことありえないのにね」
 陽菜乃は首だけ振り返り、龍之介を見つめた。
「ありがとう龍之介。すっきりした」
 陽菜乃の表情は晴れやかだ。
 桜子は命を賭して、陽菜乃の五感全てに自分を刻み付けた。陽菜乃が桜子を忘れることはないだろう。
 陽菜乃が包丁を持ち出さなければ。あの状況を作らなければ、桜子は今も生きていたに違いない。
陽菜乃には償わなければいけない罪がある。
 しかしある意味では、陽菜乃は最大の被害者とも言えるのではないか。
「おい奈月、キャロル、お前たちも引け」
 ばて気味の蒼一が二人に声をかけた。
「どうしてそんなに時間がかかってるのよ。何度も吊り橋を上げたり下ろしたりしてたんでしょ」
「ワタシはやらなくていいと言われていたので、いつも龍之介とクリスがやっていたヨ。実は手伝いたかったネ」
 奈月とキャロルがロープ引きに加わった。
「女性はほどほどにしてください。手が荒れてしまいますよ」
 クリスはやっと和樹から解放されたようだ。
「クリスがしばらくオレの下僕になるってことで、許したったわ」
 クリスと和樹も列の後ろに並んだ。
 全員で引くと、吊り橋が一気に持ち上がる。
「こうして並んで引いていると、なんだか、『おおきなかぶ』みたいでおもしろいね。写メ撮ろ」
 奈月がスマートフォンを取り出した。
「急がなあかんな。警察来る前に直さな、めっちゃ叱られる」
 ジャマーを切ってあるので、通常どおり携帯を使えるようになった。警察に通報したのは陽菜乃だ。そろそろ到着するだろう。
「和樹、わたしたちは吊り橋を落としたことを隠すために戻しているのではありませんよ。電話線も切っていますし、警察や別荘のオーナーに、きちんと謝罪をしなければいけません」
「それを言うなら、ワタシが使っていた部屋、血だらけネ」
「あれはリフォーム案件でしょ。謝るだけですむかなあ」
 奈月は憂鬱そうな顔になる。
「オレら知らんかったやん。そんなん、クリスたちでどうにかせえや」
 賑やかになったサークルメンバー総出で、吊り橋を簡易的に修理した。
 橋の向こう岸にパトカーが静かに止まった。

          了  
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