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龍之介 合宿一日目 午前

龍之介 合宿一日目 午前 その1

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 渋滞にもみまわれず、星英大学の奇術愛好会メンバー四人を乗せたセダンは高速道路を快適に走行していた。後続の車にも同サークルの四人が乗車している。
カーオーディオから流れるポップスに合わて指先でハンドルを叩き、よく晴れた青い空と海を眺めながら、小野寺龍之介はドライブを楽しんでいた。
――後部座席の不穏な空気に目を瞑れば。
「蒼一は手が大きいから簡単だろうけど、あたしはカードが見えちゃうんだってば」
「手の大きさは関係ない。単に奈月が下手なだけだ。強いて言えば肉がつきすぎだ」
「手の大小が関係ないならデブなのも関係ないでしょっ」
「自覚があるなら痩せたらどうだ」
「あんたがうるさいからダイエットして、リバウンドしてかえって太ったのよ!」
「人のせいにするな」
「……っ!」
 奈月はトランプを投げ出して言葉にならない叫びをあげた。
 車に乗ってから四十分、後部座席の上杉蒼一と細田奈月はずっと口げんかをしていた。奇術愛好会では見慣れた日常だ。
「奈月、落ち着いて。蒼一くんは親切にパームを教えてくれているんじゃない」
 助手席に座る雪野桜子は振り返って奈月をなだめる。
「パームはできるようになりたいけど、蒼一に教わると嫌味の方が多いから嫌だよ。っていうか、後ろにも車があるのに、どうしてよりによって座席が蒼一の隣りになるのよ、もう!」
 同席拒否をされた蒼一は、フレームレス眼鏡を指の背で押し上げて、他人事のように涼しい顔をしている。
 龍之介たち星英大学一年生の奇術愛好会メンバー八人は、夏休みを利用して今日から合宿をすることになっていた。三泊四日で、千葉県・房総半島の別荘に宿泊する。
 その貸別荘は、助手席に座っている桜子と、後ろのセダンに乗っている有馬陽菜乃の二人が見つけた場所で、驚くほど安価の代わりに恐ろしく不便な別荘だった。
 まず龍之介たちの住んでいる都内から遠い。電車で行くにも最寄駅から車で一時間ほどかかるので、レンタカーを利用することにした。
しかも山奥にあるので周囲に店はなく、このご時世に携帯の電波が届かない。
 極めつけなのが、車を降りてから十メートルほどの吊り橋を渡らなければ別荘に辿りつかないそうなのだ。
あまりの安さに胡散臭さを感じていたのだが、それらの条件を聞いた龍之介は、シーズン時の貸別荘が安価なうえに閑古鳥なことに納得した。
 そしてなんと、幽霊が出るといういわくまである。思いつく限りの不便オプションが搭載されている別荘だといえるだろう。
 しかし、誰も借りたがらない別荘だろうが、龍之介たちは奇術愛好会だ。マジックの虜になる人間は人を驚かせることが楽しく、謎や怪奇が好きな者が多い。別荘が安いこともあり、そんな不便で不穏な条件が並んでいても、サークルメンバーから反対意見は出なかった。
 奇術愛好会は大学全体では四十名ほどで、一年生は八人。同学年の全員がこの合宿に参加している。
 実はその八人の中で蒼一だけは協調性がなかった。特に奈月への当りが厳しい。
 では集まりが嫌いなのかというと、イベントには必ず参加をするし、今回二回目となる一年生だけの合宿も、声をかけると二つ返事だった。和を乱すからといって蒼一だけ呼ばないわけにはいかないのだ。
蒼一は友達が多いタイプには見えないので、ひねくれてはいるが、実は淋しがり屋なのだろうと、ひそかに龍之介は考えている。
「奈月、パームはカードの角の対角を、小指の腹と親指の付け根の丘に当てて……、だめだわ、後ろを向くと気持ち悪くなる」
「無理しなくていいよ桜子」
 桜子が自分のトランプを鞄から取り出して説明しようとするのを、奈月がとめた。
「そうだ。俺が教えているのだから問題ない」
 蒼一が教えているのが問題なんだ、と車内の誰もが思ったに違いない。
 パームというのは、手に持ったカードなどを隠す技法だ。
カードを持つポジションによって名前が細かく分けられている。桜子が説明しようとしていたのはオーディナリー・パームという、オーソドックスなパームだ。カードを手の平の肉で支え、指先を伸ばせるので、手の甲側から見るとカードを持っていないように見える。
 反対に、手の甲側の人差し指と中指、薬指と小指の間に、カードの外側を挟んで保持することを、バック・パームという。こうしてカードを持つと、手の平を見せても何も持っていないように見える。
 マジシャンが両手に何も持っていないことをアピールしてから、空中をつまむ仕草をしてカードを出現させるマジックは、このパームを使っている場合がある。数枚重ねたカードを手の平側、手の甲側に巧みに移動させながら、空中から無数のカードを出現させているように見せるのだ。ちなみにこれを、「カードマニピュレーション」という。
 カードを一枚隠すだけでも難しいのに、重ねて厚みの出るカードを隠し持つのは難しい。龍之介のように技法がわかっていると、マジックは見て驚くものではなく、そのテクニックに感心し盗むものになってくる。
「マジックが一番上手いのは龍之介だもんね。後でコツを教えて」
「いいよ。でも、蒼一もパームは充分上手いよ」
 奈月に返事をした。
 龍之介の運転する車には、桜子、蒼一、奈月の四人が乗っている。この四人の中では、入会の時点でマジック経験者は龍之介一人だった。しかし元々器用なのだろう、数か月前に始めたばかりの蒼一の上達は早く、マジックのテクニックはなかなかのものだと龍之介は感心していた。
 蒼一が指導側に回ってくれるのはありがたいのだが、もう少し思いやりがあればなあ、と龍之介は思わずにはいられない。
 反対に奈月は不器用で、マジックグッズに頼ってしまいがちだ。マジックはするよりも見ている方が好きだと言っていたが、それでも上手くなろうと練習に励んでいる。
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