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三章 ナポリタンとワンピースと文字
三章 12
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ビデオレター撮影から二週間近く経った日の午後。
貴之がパソコンに向かって原稿を書いていると、志津恵の夫から電話があった。
志津恵が亡くなった、という知らせだった。
本日、荼毘に付されたという。
貴之は携帯電話を握ったまま、しばらく動けなかった。
なんとかお悔やみの言葉を絞り出したあと、貴之は「早かったですね……」と呟いた。
あの手紙やビデオレターの作成は、やはり、志津恵の命を削っていたのだ。
「あの撮影のあとの数日間は、かなり体調がよかったんです。それこそ前向きな心に引っ張られて、免疫力が高まっていたのかもしれません。一時帰宅の許可まで出て、子どもたちとも遊んでいました。あの撮影がなければ、ここまで回復していなかったと思うんです」
夫は心なしか声を弾ませた。
「……それでも、病は消えてくれませんでした。急変してからはあっという間で、苦しまなかったはずだと担当医は言っていました。妻は“自分らしく”を最期まで貫きました。氷藤さんには感謝しています」
電話の向こうで、夫が頭を下げている気配がした。
「ただ……」
夫はそこで言葉を切った。なかなか次の言葉が出てこない。
「どうしましたか?」
「志津恵の両親がビデオレター撮影のことを知って、怒ってしまって」
――志津恵に無理をさせたから早く死んでしまったんだ。
――もっと長く生きられたに違いないのに!
「きちんと説明はしたのですが、理解しているのか怪しい。義父母は遠方から来ているので、もしかしたら今日、帰る前にそちらに寄るかもしれません。ちょっとその、気性が激しいので……。そのお知らせをしようと、電話をしたんです」
なるほど、状況は把握した。
突然、事務所に押しかけてきた美優を思い出す。今度は心の準備ができるだけでもありがたい。
貴之はもう一度お悔やみを述べて、電話を切った。手紙などを納品する際、線香をあげさせてもらおう。
「水谷さんが……」
貴之は両手で顔をおおった。
初めて会った時にも、余命は一か月ないと言っていた。あれから三週間ほどなので、いい表現ではないが、誤差の範囲といえるかもしれない。
いや、医師は親族からのクレームを恐れて、本来よりも少し短めの余命を伝えるケースが多いと聞く。ならば志津恵は予定よりかなり早く亡くなったのか――。
そこまで考えて、貴之は頭を振った。
そんな細かいことは、どうでもいいのだ。
志津恵が亡くなった。
その事実が、胸に重くのしかかった。
志津恵は菩薩のような笑顔の下で、持ち合わせた燃料を全て使い切ろうとするかのように、手紙に心血を注いでいた。
人の生というのは長さではない。どれだけ生きるのかではなく、どうやって生きたのかなのだと、志津恵に教えられた気がする。
短い人生だからと言って、必ずしも不幸になるわけではない。
不意に亡くなった貴之の両親は、志津恵のように思いを引き継ぐことができなかった。だからこそ、どれだけ貴之が親の意思を受け取れるかが重要なのではないか。
改めてそんなことを考えていると、インターフォンが鳴った。
「早速来たか……、ん?」
モニターを見ると、マンションのエントランスには、見慣れた薄桃色のコートを着た女性が立っていた。
「今日はなんの用だ」
一応、美優を玄関に迎え入れてやりながら貴之は尋ねた。
「水谷さんが亡くなったと、旦那さんから伺ったので」
「そうか……」
よく見ると、美優の目の下は赤く腫れていた。今まで泣いていたのかもしれない。
貴之がパソコンに向かって原稿を書いていると、志津恵の夫から電話があった。
志津恵が亡くなった、という知らせだった。
本日、荼毘に付されたという。
貴之は携帯電話を握ったまま、しばらく動けなかった。
なんとかお悔やみの言葉を絞り出したあと、貴之は「早かったですね……」と呟いた。
あの手紙やビデオレターの作成は、やはり、志津恵の命を削っていたのだ。
「あの撮影のあとの数日間は、かなり体調がよかったんです。それこそ前向きな心に引っ張られて、免疫力が高まっていたのかもしれません。一時帰宅の許可まで出て、子どもたちとも遊んでいました。あの撮影がなければ、ここまで回復していなかったと思うんです」
夫は心なしか声を弾ませた。
「……それでも、病は消えてくれませんでした。急変してからはあっという間で、苦しまなかったはずだと担当医は言っていました。妻は“自分らしく”を最期まで貫きました。氷藤さんには感謝しています」
電話の向こうで、夫が頭を下げている気配がした。
「ただ……」
夫はそこで言葉を切った。なかなか次の言葉が出てこない。
「どうしましたか?」
「志津恵の両親がビデオレター撮影のことを知って、怒ってしまって」
――志津恵に無理をさせたから早く死んでしまったんだ。
――もっと長く生きられたに違いないのに!
「きちんと説明はしたのですが、理解しているのか怪しい。義父母は遠方から来ているので、もしかしたら今日、帰る前にそちらに寄るかもしれません。ちょっとその、気性が激しいので……。そのお知らせをしようと、電話をしたんです」
なるほど、状況は把握した。
突然、事務所に押しかけてきた美優を思い出す。今度は心の準備ができるだけでもありがたい。
貴之はもう一度お悔やみを述べて、電話を切った。手紙などを納品する際、線香をあげさせてもらおう。
「水谷さんが……」
貴之は両手で顔をおおった。
初めて会った時にも、余命は一か月ないと言っていた。あれから三週間ほどなので、いい表現ではないが、誤差の範囲といえるかもしれない。
いや、医師は親族からのクレームを恐れて、本来よりも少し短めの余命を伝えるケースが多いと聞く。ならば志津恵は予定よりかなり早く亡くなったのか――。
そこまで考えて、貴之は頭を振った。
そんな細かいことは、どうでもいいのだ。
志津恵が亡くなった。
その事実が、胸に重くのしかかった。
志津恵は菩薩のような笑顔の下で、持ち合わせた燃料を全て使い切ろうとするかのように、手紙に心血を注いでいた。
人の生というのは長さではない。どれだけ生きるのかではなく、どうやって生きたのかなのだと、志津恵に教えられた気がする。
短い人生だからと言って、必ずしも不幸になるわけではない。
不意に亡くなった貴之の両親は、志津恵のように思いを引き継ぐことができなかった。だからこそ、どれだけ貴之が親の意思を受け取れるかが重要なのではないか。
改めてそんなことを考えていると、インターフォンが鳴った。
「早速来たか……、ん?」
モニターを見ると、マンションのエントランスには、見慣れた薄桃色のコートを着た女性が立っていた。
「今日はなんの用だ」
一応、美優を玄関に迎え入れてやりながら貴之は尋ねた。
「水谷さんが亡くなったと、旦那さんから伺ったので」
「そうか……」
よく見ると、美優の目の下は赤く腫れていた。今まで泣いていたのかもしれない。
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