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三章 ナポリタンとワンピースと文字
三章 8
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「水谷さんから毎年、思いのこもった手紙が届くお子さんたちは幸せだと思います。わたしも欲しかったです……」
そう言う美優の手に、志津恵はそっと細い手をのせた。
何度も点滴の針を刺されたからだろう、志津恵の腕から手の甲にかけて、内出血で紫色に変色していて痛々しい。
しかしそれは、志津恵が病魔と闘ってきた証でもある。
「空想の手紙ってどうかしら」
「空想の手紙?」
「毎年、母親から届くのならどんな手紙なのだろうと想像するの。そして、母親に胸を張れるように行動するのよ」
美優は大きな瞳を見開いて、またたかせた。そして前のめりになる。
「わたし、両親ならどうするかなって考えて行動しています。それで、両親ならこう言ってくれるかなって、想像することもありますっ」
「なら、もうしているのよ、空想の文通。ご両親とずっと心の中で対話しているのね」
「はい、対話しています。虚しくなることもあったんですけど、それ以上に救われました。……空想の文通……。なんだか、いい響きですね」
胸を押さえながら呟く美優を、志津恵は微笑みながら見つめた。
そこに、ノックの音と共に引き戸が開いた。
「調子はどうだ。あっ……、すみません、来客中でしたか。出ていようか」
入ってきたのは四十歳前後のスーツ姿の男性だ。志津恵の夫だろう。後半は志津恵に話しかけていた。
「いいえ、この方たちは、あなたを待っていたのよ」
志津恵は貴之たちが代筆屋なのだと説明し、ビデオレターを撮影する予定だが構わないかと夫に尋ねた。
「先生は、病室で撮影するなら急変しても対応できるから構わないと言ってくれたの。いいでしょ?」
「そんな計画を立てていたのか」
夫は貴之たちとは反対のベッドサイドの椅子に腰を下ろす。中肉中背で目鼻が大きく、愛嬌のある顔をしている。
「手紙は子どもたちの励みになると思う。ビデオレターもさっと撮るだけなら構わない。でも、着替えるだのメイクするだのと、そんなに大掛かりにしなくてもいいんじゃないのか」
夫は渋い顔をする。
「こんな寝間着姿が映像に残るなんてイヤよ。子どもたちに、自慢のお母さんだと思ってもらいたいじゃない」
「普段とあまりに違うことをするのは賛成できない。着替えの時に怪我をしたら、それがきっかけで寝たきりになるかもしれないし、変に興奮して体調が悪くなるかもしれない」
「あなた」
志津恵は口調を改めた。
「私がどんなに大人しくしていても、一か月程度の命なの。そのなかで、あなたや子どもたちに残せることはなにかって、いつも考えてるのよ。数日命が削れたっていいじゃない。残したいかたちを見つけたからお願いしているのよ」
「命を削るって……」
志津恵は絶句する夫を見上げた。
「こうなってから私、考えるの。産まれは選べないけど、死に方は選べるんだって。私はやれることはやり尽くしたと思って死にたいのよ。子どもたちにも、私たちの間に生まれてよかったと思ってもらいたいの」
夫婦はしばらく見つめ合い、志津恵の意思が固いことを確認すると、夫はため息をついた。
「わかったよ。おれも立ち会う」
「ありがとう、あなた」
志津恵は夫の背中に両腕を回した。
「おいおい、随分熱が高いぞ」
夫は志津恵の額に手をのせた。
「そうかしら。考えながら随分としゃべったから、知恵熱かしらねえ」
「すみません、家内を休ませますので、ビデオレターの件は改めて連絡します」
「はい。長居をしてしまってすみません」
貴之たちは謝罪をして部屋を出た。
そう言う美優の手に、志津恵はそっと細い手をのせた。
何度も点滴の針を刺されたからだろう、志津恵の腕から手の甲にかけて、内出血で紫色に変色していて痛々しい。
しかしそれは、志津恵が病魔と闘ってきた証でもある。
「空想の手紙ってどうかしら」
「空想の手紙?」
「毎年、母親から届くのならどんな手紙なのだろうと想像するの。そして、母親に胸を張れるように行動するのよ」
美優は大きな瞳を見開いて、またたかせた。そして前のめりになる。
「わたし、両親ならどうするかなって考えて行動しています。それで、両親ならこう言ってくれるかなって、想像することもありますっ」
「なら、もうしているのよ、空想の文通。ご両親とずっと心の中で対話しているのね」
「はい、対話しています。虚しくなることもあったんですけど、それ以上に救われました。……空想の文通……。なんだか、いい響きですね」
胸を押さえながら呟く美優を、志津恵は微笑みながら見つめた。
そこに、ノックの音と共に引き戸が開いた。
「調子はどうだ。あっ……、すみません、来客中でしたか。出ていようか」
入ってきたのは四十歳前後のスーツ姿の男性だ。志津恵の夫だろう。後半は志津恵に話しかけていた。
「いいえ、この方たちは、あなたを待っていたのよ」
志津恵は貴之たちが代筆屋なのだと説明し、ビデオレターを撮影する予定だが構わないかと夫に尋ねた。
「先生は、病室で撮影するなら急変しても対応できるから構わないと言ってくれたの。いいでしょ?」
「そんな計画を立てていたのか」
夫は貴之たちとは反対のベッドサイドの椅子に腰を下ろす。中肉中背で目鼻が大きく、愛嬌のある顔をしている。
「手紙は子どもたちの励みになると思う。ビデオレターもさっと撮るだけなら構わない。でも、着替えるだのメイクするだのと、そんなに大掛かりにしなくてもいいんじゃないのか」
夫は渋い顔をする。
「こんな寝間着姿が映像に残るなんてイヤよ。子どもたちに、自慢のお母さんだと思ってもらいたいじゃない」
「普段とあまりに違うことをするのは賛成できない。着替えの時に怪我をしたら、それがきっかけで寝たきりになるかもしれないし、変に興奮して体調が悪くなるかもしれない」
「あなた」
志津恵は口調を改めた。
「私がどんなに大人しくしていても、一か月程度の命なの。そのなかで、あなたや子どもたちに残せることはなにかって、いつも考えてるのよ。数日命が削れたっていいじゃない。残したいかたちを見つけたからお願いしているのよ」
「命を削るって……」
志津恵は絶句する夫を見上げた。
「こうなってから私、考えるの。産まれは選べないけど、死に方は選べるんだって。私はやれることはやり尽くしたと思って死にたいのよ。子どもたちにも、私たちの間に生まれてよかったと思ってもらいたいの」
夫婦はしばらく見つめ合い、志津恵の意思が固いことを確認すると、夫はため息をついた。
「わかったよ。おれも立ち会う」
「ありがとう、あなた」
志津恵は夫の背中に両腕を回した。
「おいおい、随分熱が高いぞ」
夫は志津恵の額に手をのせた。
「そうかしら。考えながら随分としゃべったから、知恵熱かしらねえ」
「すみません、家内を休ませますので、ビデオレターの件は改めて連絡します」
「はい。長居をしてしまってすみません」
貴之たちは謝罪をして部屋を出た。
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