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三章 ナポリタンとワンピースと文字
三章 6
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美優は志津恵に確認をして、キッチンで温かいお茶を入れてきた。
「酸素をもらいますか?」
美優が志津恵に尋ねた。
「大丈夫よ、休めばすぐに治るから」
「今日はこのあたりにしましょうか。ここは個室ですし、調子のいい時にこまめに電話で作業を進めませんか?」
さすがに千葉まで頻繁に通うことはできない。それに志津恵としても、対面で話すよりも電話のほうが体力を消耗せずに済むのではないだろうか。
「そうですね、お会いできて、手紙を任せられる方だと安心しましたし。こうして見ると本当に字が綺麗で、お願いしてよかったわ」
志津恵は微笑んだ。
「なんだかその音声、もったいないですね」
「……音声って?」
美優の言葉に、志津恵は首をかしげた。
「録音の声です。手紙を完成させるのに、いろいろな思いを語っていたじゃないですか。それも聴いたら、ご家族は喜びますよ」
「そんな、適当にしゃべっていただけだもの。恥ずかしいわ」
「そうだ!」
美優は表情を輝かせて、パチンと手を打った。
「手紙と一緒に、ビデオレターもつけましょうよ!」
「映像を送るということ?」
「そうです。最近増えているんですよ。わたし看護師なんですけど、遺言書にビデオレターをつけるからって、業者さんが病室に撮影に来たりするんです」
「そんなの遺言書につけてどうするんだ」
貴之は素朴な疑問を抱く。
「もちろん映像の言葉は遺言書としての効力はないようですけど、家族に感謝の気持ちを伝えたり、遺産分割で揉めないように、こういう理由であなたにあげるんですよ、みたいな説明を入れるそうですよ」
「なるほど」
遺言書でも付言事項で家族にメッセージを伝えることができるが、紙だけで知らされるよりも、本人が映像で説明していたほうが、相続人たちも納得感がありそうだ。
「話がそれちゃいましたけど、わたしが水谷さんにビデオレターを勧めたのは、声です」
美優はICレコーダーを指した。休憩に入ってからは録音をとめている。
「わたしが小学四年生の時に、両親は他界しました」
突然の美優の告白に、志津恵は眉を下げて骨ばった細い指で口を押えた。
「写真があるので顔はわかります。でも、もう両親の声を思い出せないんです。親の言葉を脳内再生することがあるんですけど、おそらく、実際の声とは違うと思います。それが、とても残念で……」
ああ、と貴之は声が漏れそうになった。
両親の声を忘れたわけではないのだが、かなりぼんやりとしている。記憶の声が正しいのか、今となっては確かめようもない。
「それにやっぱり、写真と映像ではインパクトが全然違いますよ。お子さんの五年先、十年先の節目のメッセージだけでも、ビデオレターを作りませんか? 水谷さんは綺麗ですもん、この姿をお子さんたちに残してあげましょう!」
「そうかしら……」
志津恵は頬を擦りながら、嬉しそうにする。
「水谷さんは、立って歩けるんですか?」
ベッドの近くの車椅子を見ながら美優が尋ねた。
「ええ、少しなら。車椅子は離れた検査室に行くときに使うの」
「そしたら、おしゃれもしましょうよ! お化粧をして素敵な衣装を着て。撮影はスマホでもかなり画質がいいですよ。どうですか水谷さん」
「……そうね、いいかも」
志津恵は乗り気になってきたようだ。
「ですって貴之さん! ビデオレターも作りましょう!」
ですって、じゃねえだろうと貴之は苦笑した。もはや代筆とは関係ない。
「話すだけでもそんなにお疲れなのに、大丈夫ですか、水谷さん」
貴之は志津恵に意思確認をした。美優に押し切られているようにも見えるからだ。純粋に、志津恵の身体が心配だ。
「ええ。ビデオレターという発想はなかったけど、とても素敵なご提案だと思いました。協力していただけるのですか?」
貴之は、指の背を顎に当ててしばし考えた。貴之は取材で撮影も兼ねることがあるので、撮影機材については問題ない。メイクや衣装担当も心当たりがある。ビデオレターは難なく作成できるだろう。
最大の問題は、志津恵の体力だ。
「主治医とご主人の許諾を得られたら、ビデオレターも進めさせていただきたいと思います」
「ありがとうございます」
志津恵はぱっと表情を明るくして、頭を下げた。貴之の隣りでは、美優が驚いたように見上げてきている。
「なんだ?」
「いえ、貴之さんのことだから『代筆と関係ないだろ』とか言ってごねると思っていたので、意外です」
そのとおり、代筆と関係ないとは思った。以前の貴之なら一蹴していただろう。
美優の無茶振りに慣れてきたのか。それとも、貴之の中でなにかが変化しているのだろうか。
不思議なことに、ビデオレターの提案を断るという発想は浮かばなかった。
「酸素をもらいますか?」
美優が志津恵に尋ねた。
「大丈夫よ、休めばすぐに治るから」
「今日はこのあたりにしましょうか。ここは個室ですし、調子のいい時にこまめに電話で作業を進めませんか?」
さすがに千葉まで頻繁に通うことはできない。それに志津恵としても、対面で話すよりも電話のほうが体力を消耗せずに済むのではないだろうか。
「そうですね、お会いできて、手紙を任せられる方だと安心しましたし。こうして見ると本当に字が綺麗で、お願いしてよかったわ」
志津恵は微笑んだ。
「なんだかその音声、もったいないですね」
「……音声って?」
美優の言葉に、志津恵は首をかしげた。
「録音の声です。手紙を完成させるのに、いろいろな思いを語っていたじゃないですか。それも聴いたら、ご家族は喜びますよ」
「そんな、適当にしゃべっていただけだもの。恥ずかしいわ」
「そうだ!」
美優は表情を輝かせて、パチンと手を打った。
「手紙と一緒に、ビデオレターもつけましょうよ!」
「映像を送るということ?」
「そうです。最近増えているんですよ。わたし看護師なんですけど、遺言書にビデオレターをつけるからって、業者さんが病室に撮影に来たりするんです」
「そんなの遺言書につけてどうするんだ」
貴之は素朴な疑問を抱く。
「もちろん映像の言葉は遺言書としての効力はないようですけど、家族に感謝の気持ちを伝えたり、遺産分割で揉めないように、こういう理由であなたにあげるんですよ、みたいな説明を入れるそうですよ」
「なるほど」
遺言書でも付言事項で家族にメッセージを伝えることができるが、紙だけで知らされるよりも、本人が映像で説明していたほうが、相続人たちも納得感がありそうだ。
「話がそれちゃいましたけど、わたしが水谷さんにビデオレターを勧めたのは、声です」
美優はICレコーダーを指した。休憩に入ってからは録音をとめている。
「わたしが小学四年生の時に、両親は他界しました」
突然の美優の告白に、志津恵は眉を下げて骨ばった細い指で口を押えた。
「写真があるので顔はわかります。でも、もう両親の声を思い出せないんです。親の言葉を脳内再生することがあるんですけど、おそらく、実際の声とは違うと思います。それが、とても残念で……」
ああ、と貴之は声が漏れそうになった。
両親の声を忘れたわけではないのだが、かなりぼんやりとしている。記憶の声が正しいのか、今となっては確かめようもない。
「それにやっぱり、写真と映像ではインパクトが全然違いますよ。お子さんの五年先、十年先の節目のメッセージだけでも、ビデオレターを作りませんか? 水谷さんは綺麗ですもん、この姿をお子さんたちに残してあげましょう!」
「そうかしら……」
志津恵は頬を擦りながら、嬉しそうにする。
「水谷さんは、立って歩けるんですか?」
ベッドの近くの車椅子を見ながら美優が尋ねた。
「ええ、少しなら。車椅子は離れた検査室に行くときに使うの」
「そしたら、おしゃれもしましょうよ! お化粧をして素敵な衣装を着て。撮影はスマホでもかなり画質がいいですよ。どうですか水谷さん」
「……そうね、いいかも」
志津恵は乗り気になってきたようだ。
「ですって貴之さん! ビデオレターも作りましょう!」
ですって、じゃねえだろうと貴之は苦笑した。もはや代筆とは関係ない。
「話すだけでもそんなにお疲れなのに、大丈夫ですか、水谷さん」
貴之は志津恵に意思確認をした。美優に押し切られているようにも見えるからだ。純粋に、志津恵の身体が心配だ。
「ええ。ビデオレターという発想はなかったけど、とても素敵なご提案だと思いました。協力していただけるのですか?」
貴之は、指の背を顎に当ててしばし考えた。貴之は取材で撮影も兼ねることがあるので、撮影機材については問題ない。メイクや衣装担当も心当たりがある。ビデオレターは難なく作成できるだろう。
最大の問題は、志津恵の体力だ。
「主治医とご主人の許諾を得られたら、ビデオレターも進めさせていただきたいと思います」
「ありがとうございます」
志津恵はぱっと表情を明るくして、頭を下げた。貴之の隣りでは、美優が驚いたように見上げてきている。
「なんだ?」
「いえ、貴之さんのことだから『代筆と関係ないだろ』とか言ってごねると思っていたので、意外です」
そのとおり、代筆と関係ないとは思った。以前の貴之なら一蹴していただろう。
美優の無茶振りに慣れてきたのか。それとも、貴之の中でなにかが変化しているのだろうか。
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