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三章 ナポリタンとワンピースと文字
三章 1
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「貴之さん、お腹が空きました。なにか作ってください」
貴之の自宅兼事務所に入ってくるなり、美優は応接間の黒いソファにコートのまま寝転がった。三人掛けのソファに美優の小柄な身体はスッポリとおさまる。
「また食いに来たのか。ここはおまえの食堂じゃないんだぞ。帰れっ」
美優は銀婚式夫婦の依頼で会った後から、頻繁に貴之の家に押しかけてくるようになった。しかも、出来心で手料理を食べさせてからは、食事をねだってくるようにもなった。
自宅を知られているので逃げられないのだが、セキュリティがあるので、鍵さえ開けなければ美優は入れない。居留守を使ったほうがいいのだろうか。
「だって貴之さんの家のほうがわたしの家より、病院から近いんです」
「知るか。通勤が面倒なら近場に引っ越せ」
貴之は向かいのソファに座りながら、常温のミネラルウォーターのペットボトルをテーブルに置いてやる。
「追い出さないでください。また夜勤を代わってほしいと頼まれてしまったので、夜勤明けなのに、今夜また夜勤なんです」
「だったら尚更、家に帰って寝ろよ」
美優は頼みを断るという言葉を知らないのだろうか。
「……一人になりたくないんです」
美優は赤子のように丸まりながら、力なく言った。
「今朝、担当の患者さんが亡くなりました。そろそろだってわかっていたんですけど。看護師ですから、わたしは何人も患者さんを看取っています。でも、いつまで経っても、死には慣れません」
美優は目を伏せた。長い睫毛が揺れている。今にも泣きだしそうに見えた。
こうなると、貴之は弱い。
確かに、いつでも愚痴を聞いてやるとは言ったが、ナースが愚痴だらけだとは思わなかったのだ。
「別に、慣れなくてもいいだろ。看護師にとっては数ある死の一つだとしても、故人にとっては一度きりの死なんだ。ミュウくらいは毎回、メソメソと死を悼んでもいいじゃねえか」
「メソメソしてません」
「してるだろ」
「仕事中は毅然としていますよ。今は、ここにいるから……」
美優は肩をすぼめて、ますます丸くなった。捨てられた子犬のようだ。
「……なにが食いたいんだ?」
しぶしぶと貴之は尋ねた。落ち込んでいる美優は、食事をすれば大抵元気を取り戻す。
「作ってくれるんですか?」
パチリと開いた美優の瞳が潤んでいる。貴之には、子犬が「拾ってくれるの?」とすがってくる目に見えた。
「ミュウが作れと言ったんだろ。簡単なのにしろよ」
「はいっ! 貴之さんは、やっぱり優しいですね」
ひょいっと美優は上半身を起こした。
貴之は長い足を組んで「現金なやつ」と苦笑した。
貴之の自宅兼事務所に入ってくるなり、美優は応接間の黒いソファにコートのまま寝転がった。三人掛けのソファに美優の小柄な身体はスッポリとおさまる。
「また食いに来たのか。ここはおまえの食堂じゃないんだぞ。帰れっ」
美優は銀婚式夫婦の依頼で会った後から、頻繁に貴之の家に押しかけてくるようになった。しかも、出来心で手料理を食べさせてからは、食事をねだってくるようにもなった。
自宅を知られているので逃げられないのだが、セキュリティがあるので、鍵さえ開けなければ美優は入れない。居留守を使ったほうがいいのだろうか。
「だって貴之さんの家のほうがわたしの家より、病院から近いんです」
「知るか。通勤が面倒なら近場に引っ越せ」
貴之は向かいのソファに座りながら、常温のミネラルウォーターのペットボトルをテーブルに置いてやる。
「追い出さないでください。また夜勤を代わってほしいと頼まれてしまったので、夜勤明けなのに、今夜また夜勤なんです」
「だったら尚更、家に帰って寝ろよ」
美優は頼みを断るという言葉を知らないのだろうか。
「……一人になりたくないんです」
美優は赤子のように丸まりながら、力なく言った。
「今朝、担当の患者さんが亡くなりました。そろそろだってわかっていたんですけど。看護師ですから、わたしは何人も患者さんを看取っています。でも、いつまで経っても、死には慣れません」
美優は目を伏せた。長い睫毛が揺れている。今にも泣きだしそうに見えた。
こうなると、貴之は弱い。
確かに、いつでも愚痴を聞いてやるとは言ったが、ナースが愚痴だらけだとは思わなかったのだ。
「別に、慣れなくてもいいだろ。看護師にとっては数ある死の一つだとしても、故人にとっては一度きりの死なんだ。ミュウくらいは毎回、メソメソと死を悼んでもいいじゃねえか」
「メソメソしてません」
「してるだろ」
「仕事中は毅然としていますよ。今は、ここにいるから……」
美優は肩をすぼめて、ますます丸くなった。捨てられた子犬のようだ。
「……なにが食いたいんだ?」
しぶしぶと貴之は尋ねた。落ち込んでいる美優は、食事をすれば大抵元気を取り戻す。
「作ってくれるんですか?」
パチリと開いた美優の瞳が潤んでいる。貴之には、子犬が「拾ってくれるの?」とすがってくる目に見えた。
「ミュウが作れと言ったんだろ。簡単なのにしろよ」
「はいっ! 貴之さんは、やっぱり優しいですね」
ひょいっと美優は上半身を起こした。
貴之は長い足を組んで「現金なやつ」と苦笑した。
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