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二章 大切なものほど秘められる
二章 12
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「なにが功を奏するのかわかりませんね。それから夫の浮気はピタリとなくなりました。少なくても、私の知る限りでは」
この件で徹也は、妻の愛情がどれほど深いものだったのか、やっと実感したのだろう。
「それからご主人は、家庭のことを顧みるようになったんじゃないですか?」
「ええ。主人から聞きました?」
「はい」
――私は家事も育児も妻に任せきりでした。十年ほど前までは、それを当たり前のように享受していました。
そう徹也は言っていた。
大病を期に、心を入れ替えたのだ。
「ありがとうございます。ご夫婦のことがよくわかりました」
昨日、一番感謝をしている出来事を貴之が尋ね、徹也が一瞬言葉を詰まらせたように見えたのは気のせいではなかった。
冴子がずっと家庭を守ってくれていたこと。自分を自由にさせてくれたこと。そして、最悪の状態で脳梗塞を患ってからも献身的に尽くしてくれたこと。
徹也はそのすべてに感謝していたのだ。
今の話から、冴子の徹也への愛情は偽りのないものだとわかる。
その気持ちが伝わるようにしたためれば、受け取った冴子だけではなく、徹也にとっても最高の贈り物になるに違いない。
「ドライブに同行しているのは、旦那さんのためでもあるんじゃないですか?」
美優は冴子に言った。
「脳梗塞は再発率が高いですから、旦那さん一人にさせるのは心配ですよね。でも、ドライブの趣味をやめろとも言えない」
その言葉に、冴子は微笑む。
「それもありますけど……、この写真を見てください」
液晶テレビの上の壁に、パネルになった写真が飾られていた。
夕焼けの富士山を背景に、男女のシルエットが寄り添っている。写っているのは徹也と冴子だろう。
「いい写真ですね」
美優が写真を見ながら目を細めた。
「ありがとうございます。タイマーで撮影したんですけどね。よく富士山のあたりに行くんです。こうして二人の写真を増やしているところなんですよ」
冴子は恋する少女のように微笑んだ。
「なにかが少しずれていたら、夫は命を落としていたかもしれません。一緒に思い出を作ることが、共に過ごす時間が、私にとってかけがえのないものなんです」
「それはご主人も同じ気持ちでしょう」
貴之の言葉に、冴子は笑みで返した。
「わたしの話、お役に立てたかしら」
「はい、充分です」
「いい記事にしてくださいね」
貴之と美優を見送る冴子は、迎え入れられた時よりも更に美しく見えた。二人は冴子に礼をして家を出た。
「貴之さん、奥さまの話も聞いてよかったでしょ? いい手紙が書けそうですね」
「ああ、そうだな」
どんな手紙にしようか、貴之は頭の中で構成を練っていた。夫婦の顔を知っているので、手紙を受け取った時にどんな表情になるのかと想像する。
二人が笑顔になる手紙を書きたい。
そんな思いが強くなったのは、依頼者と面談するようになってからだ。
やかましくはあるが、美優には感謝せねばなるまい。
貴之たちは近くのコインパーキングに向かって歩いていた。貴之の車を停めているのだ。
「素敵なご夫婦でしたね」
美優は胸の前でパチンと手を合わせた。
「そうだな。俺の両親も生きていれば……」
こんなふうに仲睦まじい夫婦になっていたかもしれないと考えていたところだよ。
そう言おうとして、貴之は途中でとめた。
しまった、口を滑らせてしまった。
「貴之さんのご両親は、亡くなっているんですか?」
「ああ」
貴之は肯定した。
言ってしまったものは仕方がない。隠すようなものでもないのだ。
「やっぱり。そうだと思っていました」
美優は前を見たまま、当然のように発言した。貴之は眉をしかめる。
「やっぱりってなんだ。俺を見てそう思ったのか。おまえは年齢当てのほかに、家族構成を当てるのも得意なのか」
貴之の声が低くなった。気軽に親の死について触れてもらいたくはない。
それに美優はときどき、こうしてなんでも知っている、というような発言をする。それが当たっているから、少々不気味にもなる。
「貴之さん、少し時間ありますか? そこのベンチに座りましょう」
この件で徹也は、妻の愛情がどれほど深いものだったのか、やっと実感したのだろう。
「それからご主人は、家庭のことを顧みるようになったんじゃないですか?」
「ええ。主人から聞きました?」
「はい」
――私は家事も育児も妻に任せきりでした。十年ほど前までは、それを当たり前のように享受していました。
そう徹也は言っていた。
大病を期に、心を入れ替えたのだ。
「ありがとうございます。ご夫婦のことがよくわかりました」
昨日、一番感謝をしている出来事を貴之が尋ね、徹也が一瞬言葉を詰まらせたように見えたのは気のせいではなかった。
冴子がずっと家庭を守ってくれていたこと。自分を自由にさせてくれたこと。そして、最悪の状態で脳梗塞を患ってからも献身的に尽くしてくれたこと。
徹也はそのすべてに感謝していたのだ。
今の話から、冴子の徹也への愛情は偽りのないものだとわかる。
その気持ちが伝わるようにしたためれば、受け取った冴子だけではなく、徹也にとっても最高の贈り物になるに違いない。
「ドライブに同行しているのは、旦那さんのためでもあるんじゃないですか?」
美優は冴子に言った。
「脳梗塞は再発率が高いですから、旦那さん一人にさせるのは心配ですよね。でも、ドライブの趣味をやめろとも言えない」
その言葉に、冴子は微笑む。
「それもありますけど……、この写真を見てください」
液晶テレビの上の壁に、パネルになった写真が飾られていた。
夕焼けの富士山を背景に、男女のシルエットが寄り添っている。写っているのは徹也と冴子だろう。
「いい写真ですね」
美優が写真を見ながら目を細めた。
「ありがとうございます。タイマーで撮影したんですけどね。よく富士山のあたりに行くんです。こうして二人の写真を増やしているところなんですよ」
冴子は恋する少女のように微笑んだ。
「なにかが少しずれていたら、夫は命を落としていたかもしれません。一緒に思い出を作ることが、共に過ごす時間が、私にとってかけがえのないものなんです」
「それはご主人も同じ気持ちでしょう」
貴之の言葉に、冴子は笑みで返した。
「わたしの話、お役に立てたかしら」
「はい、充分です」
「いい記事にしてくださいね」
貴之と美優を見送る冴子は、迎え入れられた時よりも更に美しく見えた。二人は冴子に礼をして家を出た。
「貴之さん、奥さまの話も聞いてよかったでしょ? いい手紙が書けそうですね」
「ああ、そうだな」
どんな手紙にしようか、貴之は頭の中で構成を練っていた。夫婦の顔を知っているので、手紙を受け取った時にどんな表情になるのかと想像する。
二人が笑顔になる手紙を書きたい。
そんな思いが強くなったのは、依頼者と面談するようになってからだ。
やかましくはあるが、美優には感謝せねばなるまい。
貴之たちは近くのコインパーキングに向かって歩いていた。貴之の車を停めているのだ。
「素敵なご夫婦でしたね」
美優は胸の前でパチンと手を合わせた。
「そうだな。俺の両親も生きていれば……」
こんなふうに仲睦まじい夫婦になっていたかもしれないと考えていたところだよ。
そう言おうとして、貴之は途中でとめた。
しまった、口を滑らせてしまった。
「貴之さんのご両親は、亡くなっているんですか?」
「ああ」
貴之は肯定した。
言ってしまったものは仕方がない。隠すようなものでもないのだ。
「やっぱり。そうだと思っていました」
美優は前を見たまま、当然のように発言した。貴之は眉をしかめる。
「やっぱりってなんだ。俺を見てそう思ったのか。おまえは年齢当てのほかに、家族構成を当てるのも得意なのか」
貴之の声が低くなった。気軽に親の死について触れてもらいたくはない。
それに美優はときどき、こうしてなんでも知っている、というような発言をする。それが当たっているから、少々不気味にもなる。
「貴之さん、少し時間ありますか? そこのベンチに座りましょう」
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