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二章 大切なものほど秘められる
二章 10
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翌日の十三時過ぎ。貴之と美優は上杉家の前に来ていた。
裕福そうだと思っていたが、想像どおりの立派な一軒家だった。とはいえ豪邸というわけでもない。子ども二人は巣立ったというが、四人暮らしにちょうどいいサイズ感だ。
貴之が呼び鈴を鳴らすと、低めの女性の声が返事をした。
「ライターの氷藤です」
貴之はスピーカーに向かって名乗る。
この時間に訪問することは、先方は了承済みだ。徹也から妻の冴子に「知り合いのライターが来るから協力してやってほしい」と伝わっているはずだった。
ドアが開くと、薄化粧をした目鼻立ちがはっきりとした美女が現れた。
黒い巻き髪が張りのある胸まで下がっている。彼女が冴子だろう。五十二歳だと聞いているが、とてもそうには見えないほど若々しい。
ボートネックのボーダートップスに白デニムを合わせていて、スタイルがいいからこそシンプルなコーディネートが洒落て見える。
こりゃ妻を自慢したくなるわけだ。あのオッサンもまあまあイケてたしな。
貴之は心の中でこっそりと値踏みをした。
「……って!」
美優に足を踏まれて、貴之は前かがみになった。
「なに見惚れてるんですか貴之さん、ちゃんとあいさつしてください」
「バカおまえ、足を踏まれて指を骨折するやつもいるんだぞ」
「看護師が人に怪我をさせるわけないでしょ、加減くらいしてますよ。ほら、早く。貴之さんは熟女好きなんですか」
不機嫌な顔をしている美優に脇腹を突かれた。地味に腹も痛い。
ドアの前で小声でコントのようなやり取りをしている二人を見ている冴子に、貴之は気を取り直して改めて向き直った。
「急なお願いになってしまって申し訳ありません。来月十一月二十二日のいい夫婦の日に向けて、何組かおしどり夫婦にお話を伺っているんです」
貴之は名刺と菓子折りを渡した。
代筆屋とは名乗れないので、貴之は本業のライターとして訪問することにした。付け焼刃の企画内容だったが、おかしくはないだろう。
「夫に聞いています、どうぞ」
二人はリビングに通された。徹也が写真家だからだろう、部屋には引き伸ばされた風景写真がいくつも飾られている。最低限の家具しかなく、それも厳選されているとわかるハイセンスのものばかりだ。
冴子がキッチンから戻ってくると、二人の前に緑茶とカットされた冷えたナシが置かれた。
「包み隠さず話していいと夫に言われています。なにをお聞きになりたいのですか?」
いきなり半身麻痺について尋ねると重すぎると思った貴之は、既に徹也に聞いている二人の馴れ初めから質問した。回答は、ほぼ同じものだった。
「そういえば上杉さんは、ご主人のドライブに付き合うようになったそうですね」
「ええ。あの人はすぐに一人で出かけてしまうので、気づくと私一人が家に取り残されているんです。趣味を探そうと思ったんですけどね。人生百年と言われているじゃないですか。あと五十年もあるのなら、もっと夫と仲良くなることを趣味にしたほうが、人生楽しいかなって思ったんです」
冴子は微笑んだ。
「あの人は多趣味で交友関係が広いので、無趣味で仕事人間の私とは正反対です。糸の切れた凧というか、錨のない船というか、とにかく夫は家に留まっていないんですね。ならば、私が合わせるしかありません。車は走る密室ですから、音楽や流れる景色も相まって、家ではできない話がじっくりとできるんですよ」
冴子の表情と言葉から、徹也にぞっこんだというのが伝わってきた。
うちの両親も仲がよかったよなと、貴之は小さな胸の痛みと共に思い出す。生きていれば、こんな夫婦になっていたのだろうか。
視線を感じて隣りを見ると、「そろそろ、あの話題を出せ」と美優が目力で訴えてきた。
はいはい、わかってるよ。
裕福そうだと思っていたが、想像どおりの立派な一軒家だった。とはいえ豪邸というわけでもない。子ども二人は巣立ったというが、四人暮らしにちょうどいいサイズ感だ。
貴之が呼び鈴を鳴らすと、低めの女性の声が返事をした。
「ライターの氷藤です」
貴之はスピーカーに向かって名乗る。
この時間に訪問することは、先方は了承済みだ。徹也から妻の冴子に「知り合いのライターが来るから協力してやってほしい」と伝わっているはずだった。
ドアが開くと、薄化粧をした目鼻立ちがはっきりとした美女が現れた。
黒い巻き髪が張りのある胸まで下がっている。彼女が冴子だろう。五十二歳だと聞いているが、とてもそうには見えないほど若々しい。
ボートネックのボーダートップスに白デニムを合わせていて、スタイルがいいからこそシンプルなコーディネートが洒落て見える。
こりゃ妻を自慢したくなるわけだ。あのオッサンもまあまあイケてたしな。
貴之は心の中でこっそりと値踏みをした。
「……って!」
美優に足を踏まれて、貴之は前かがみになった。
「なに見惚れてるんですか貴之さん、ちゃんとあいさつしてください」
「バカおまえ、足を踏まれて指を骨折するやつもいるんだぞ」
「看護師が人に怪我をさせるわけないでしょ、加減くらいしてますよ。ほら、早く。貴之さんは熟女好きなんですか」
不機嫌な顔をしている美優に脇腹を突かれた。地味に腹も痛い。
ドアの前で小声でコントのようなやり取りをしている二人を見ている冴子に、貴之は気を取り直して改めて向き直った。
「急なお願いになってしまって申し訳ありません。来月十一月二十二日のいい夫婦の日に向けて、何組かおしどり夫婦にお話を伺っているんです」
貴之は名刺と菓子折りを渡した。
代筆屋とは名乗れないので、貴之は本業のライターとして訪問することにした。付け焼刃の企画内容だったが、おかしくはないだろう。
「夫に聞いています、どうぞ」
二人はリビングに通された。徹也が写真家だからだろう、部屋には引き伸ばされた風景写真がいくつも飾られている。最低限の家具しかなく、それも厳選されているとわかるハイセンスのものばかりだ。
冴子がキッチンから戻ってくると、二人の前に緑茶とカットされた冷えたナシが置かれた。
「包み隠さず話していいと夫に言われています。なにをお聞きになりたいのですか?」
いきなり半身麻痺について尋ねると重すぎると思った貴之は、既に徹也に聞いている二人の馴れ初めから質問した。回答は、ほぼ同じものだった。
「そういえば上杉さんは、ご主人のドライブに付き合うようになったそうですね」
「ええ。あの人はすぐに一人で出かけてしまうので、気づくと私一人が家に取り残されているんです。趣味を探そうと思ったんですけどね。人生百年と言われているじゃないですか。あと五十年もあるのなら、もっと夫と仲良くなることを趣味にしたほうが、人生楽しいかなって思ったんです」
冴子は微笑んだ。
「あの人は多趣味で交友関係が広いので、無趣味で仕事人間の私とは正反対です。糸の切れた凧というか、錨のない船というか、とにかく夫は家に留まっていないんですね。ならば、私が合わせるしかありません。車は走る密室ですから、音楽や流れる景色も相まって、家ではできない話がじっくりとできるんですよ」
冴子の表情と言葉から、徹也にぞっこんだというのが伝わってきた。
うちの両親も仲がよかったよなと、貴之は小さな胸の痛みと共に思い出す。生きていれば、こんな夫婦になっていたのだろうか。
視線を感じて隣りを見ると、「そろそろ、あの話題を出せ」と美優が目力で訴えてきた。
はいはい、わかってるよ。
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