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二章 大切なものほど秘められる
二章 9
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左手がどうかしたのか。
上杉の手のことなんて、少しも記憶に残っていない。
「ずっと上杉さんは、右手しか動かしていませんでした」
美優は貴之の腕をくぐって応接間に戻っていく。その後ろを貴之は追いかけた。
「右利きなんだろ。普通のことだ」
「動かすのは右手だけ。左手はずっと膝の上でした。気になってフィナンシェを渡したら、左手も少し使っていましたが、その動きはぎこちなかった。だから、なかなか袋を開けられなかったんです。そして帰りの歩き方を見て確信しました」
美優はぱっと振り向いた。
「上杉さんは、軽度の左半身麻痺です」
「……それがどうしたんだ」
看護師の美優が言うのだから、そうなのかもしれない。だとしても、それがなんなのだ。手紙となんら関係がない。
「おかしいじゃないですか。妻への感謝の手紙なんですから、半身麻痺をサポートしてくれて助かったとか、麻痺について触れるのが自然です。事故か病気かわかりませんが、後遺症が残るようなことが起こっているんですよ」
「単に、言い忘れたんじゃないか?」
「その可能性もありません。貴之さんが確認したとき、上杉さんは話し尽くしたと言っているんですから」
「だったら、俺たちに言いたくなかったんだろ。それに、俺は気づかなかった程度の麻痺だ。日常生活に問題がないだろうし、そこについての感謝はなかったんだろう」
「本当に貴之さんは、そう思っているんですか?」
美優は細い眉をつり上げて、貴之をじっと見つめてくる。貴之は言葉に詰まった。
指摘されてみれば、不自然ではある。
「上杉さんは意図的になにか隠している。実は奥さんに一番伝えたいことを、わたしたちに話していない。だけど、本当はそれを伝えたいと思っている。そうは考えられませんか? そうじゃなければ、わたしたちが奥さんに会いに行くのを許可したりしないと思うんです」
貴之は美優を見返しながら、眉間のしわを深めた。
くそ、辻褄が合ってるじゃねえかよ。
旗色が悪くなった貴之は視線をそらした。
「納得してくれたならいいんです。怖い顔をして壁ドンされましたが、そして内心泣きそうでしたが、謝ったら許してあげますよ」
美優は貴之の視線の先に移動して、じっと貴之を見つめてくる。その目が大きいせいか、貴之は妙な圧力を受けた。壁を打ったときにもまったく動じていなかったので、泣きそうだったというのは嘘っぽく感じる。
貴之はガタイがいいので、特に身長差があると意図せず脅えさせてしまうことがあるのだが、美優にその心配はいらなそうだ。看護師をしていると、肝が据わるのだろうか。
とはいえ、貴之が苛立ちに任せて乱暴な振舞いをしてしまったことは事実だ。詫びねばなるまい。
「……すまなかった」
「よろしい」
満足そうに美優は微笑んで、ローテーブルの上のものを片付け始めた。
「貴之さん、明日は何時に上杉家に行きますか? わたしは夜勤なので、昼間なら大丈夫ですよ」
美優はてきぱきと動いて皿を洗い始める。
結局、また美優のペースになってしまった。
ちっこいのに、よく動くな。
美優の華奢な後ろ姿を、貴之は脱力しながら眺めていた。
上杉の手のことなんて、少しも記憶に残っていない。
「ずっと上杉さんは、右手しか動かしていませんでした」
美優は貴之の腕をくぐって応接間に戻っていく。その後ろを貴之は追いかけた。
「右利きなんだろ。普通のことだ」
「動かすのは右手だけ。左手はずっと膝の上でした。気になってフィナンシェを渡したら、左手も少し使っていましたが、その動きはぎこちなかった。だから、なかなか袋を開けられなかったんです。そして帰りの歩き方を見て確信しました」
美優はぱっと振り向いた。
「上杉さんは、軽度の左半身麻痺です」
「……それがどうしたんだ」
看護師の美優が言うのだから、そうなのかもしれない。だとしても、それがなんなのだ。手紙となんら関係がない。
「おかしいじゃないですか。妻への感謝の手紙なんですから、半身麻痺をサポートしてくれて助かったとか、麻痺について触れるのが自然です。事故か病気かわかりませんが、後遺症が残るようなことが起こっているんですよ」
「単に、言い忘れたんじゃないか?」
「その可能性もありません。貴之さんが確認したとき、上杉さんは話し尽くしたと言っているんですから」
「だったら、俺たちに言いたくなかったんだろ。それに、俺は気づかなかった程度の麻痺だ。日常生活に問題がないだろうし、そこについての感謝はなかったんだろう」
「本当に貴之さんは、そう思っているんですか?」
美優は細い眉をつり上げて、貴之をじっと見つめてくる。貴之は言葉に詰まった。
指摘されてみれば、不自然ではある。
「上杉さんは意図的になにか隠している。実は奥さんに一番伝えたいことを、わたしたちに話していない。だけど、本当はそれを伝えたいと思っている。そうは考えられませんか? そうじゃなければ、わたしたちが奥さんに会いに行くのを許可したりしないと思うんです」
貴之は美優を見返しながら、眉間のしわを深めた。
くそ、辻褄が合ってるじゃねえかよ。
旗色が悪くなった貴之は視線をそらした。
「納得してくれたならいいんです。怖い顔をして壁ドンされましたが、そして内心泣きそうでしたが、謝ったら許してあげますよ」
美優は貴之の視線の先に移動して、じっと貴之を見つめてくる。その目が大きいせいか、貴之は妙な圧力を受けた。壁を打ったときにもまったく動じていなかったので、泣きそうだったというのは嘘っぽく感じる。
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「……すまなかった」
「よろしい」
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「貴之さん、明日は何時に上杉家に行きますか? わたしは夜勤なので、昼間なら大丈夫ですよ」
美優はてきぱきと動いて皿を洗い始める。
結局、また美優のペースになってしまった。
ちっこいのに、よく動くな。
美優の華奢な後ろ姿を、貴之は脱力しながら眺めていた。
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