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一章 キライをスキになる方法

一章 16

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 ――心を救う仕事。

 そう考えたことはなかった。しばし心の中で噛みしめる。

 貴之が黙っていると美優は熱のこもった視線を向け続けてくるので、その言葉に感銘を受けつつも、
「そんな大したものじゃない」
 そううそぶいて視線をそらした。

「なぜ氷藤さんは、代筆屋の仕事を始めたんですか?」
「別に、特技を活かしただけだ」

 貴之は長い足を組んだ。膝がテーブルに当たるので折り畳み、飲みかけの缶を手に持って、それ以外の缶は前席のネットに入れた。

 なぜ、この仕事を始めたのか。
 副業の選択肢はいくらでもあった。

 もうひとつ仕事をしようと思案していた頃、貴之に高校二年生の記憶がよみがえった。
 仲のいいクラスメイトに、ラブレターの代筆を頼まれた時のことだ。

 当時の貴之は教室で静かに本を読むタイプで、積極的にクラスメイトと交友をしていなかった。それでも来る者は拒まなかったため数人の友人がおり、その一人が同じ部活の先輩に片思いをしていた。

「そろそろ受験で学校に来なくなっちゃうから……、先輩に告白したいんだ。協力してくれないか」
 友人は恥ずかしそうに貴之に告げた。

 先輩は古風な女性なので、メールで告白すると内容以前に「軽い」と拒まれそうだし、かといって面と向かって告白する勇気はない。
 そこで友人は手紙という手段を選んだのだが……。

「オレ、小学生の頃からちっとも字が上達しなかったんだ」
 友人は頭を抱えた。

 黒板に字を書くなどで貴之が達筆であることは周知の事実だったため、白羽の矢が立ったようだ。貴之は文面から一緒に友人と考えた。

 なぜ、いつから先輩が好きなのか。どんなところに惹かれたのか。これから二人でどうしていきたいのか。貴之は友人にヒアリングをした。

 友人は告白という大勝負の勝率を上げるために、普段なら言わないような心の内を素直に吐露した。

 それは貴之にとって、不思議な感覚だった。
 普段は胸の中に隠している大切なものに触れるのは、自分が失ったなにかを取り戻しているような気がした。

 話を聞いた貴之は、何パターンかラブレターを作った。
 意外にも、この作業は楽しかった。

 このとき、初めて父の形見の万年筆を使った。

「貴之は天才か!」
 文章を読んで友人は喜んだ。

 このラブレターを使って友人は先輩に告白し、見事に恋は成就した。
 友人は貴之に感謝した。貴之も友人の幸せに貢献できて嬉しかった。

 そうだ、嬉しかったんだよな……。

 貴之はビールを飲み干して、新しい缶に手を伸ばした。タブを開けるとプシュッと音を立てて白い泡がチラリと覗き、消えていく。さっきの缶よりも少しぬるくなったビールを喉に流し込んだ。

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