43 / 44
終章 最高の出会い
終章 2
しおりを挟む
「そういえば、キールって……」
毬瑠子は思い出す。
初めてこの店に来た時に、毬瑠子にはノンアルコールの「偽キール」を作ってまで、マルセルは二人で「キール」で乾杯することに拘っていた。
それには、こんな理由があったのだ。
マルセルは薄く笑みを浮かべながら毬瑠子に視線を送り、話を続ける。
「それから理子は、ここの常連客になりました」
二人が付き合うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。
一年半ほど経った頃、理子は新しい命を宿しているとマルセルに告げた。
バーの二階にあるマルセルの部屋で打ち明けられた時、マルセルは喜びと、そして焦燥感が芽生えた。
吸血鬼であることを、また理子に伝えていなかったのだ。
「わたしは、理子に隠していたことがあります」
「やだ、浮気でもしてた?」
理子は苦笑する。
告白が浮気だったなら、理子は水に流していたことだろう。
「わたしは……」
マルセルは言葉に詰まった。今までも何度も打ち明けようとして、こうして言い出せずにきたのだ。
「わたしは人間ではありません」
吸血鬼ですと、やっとの思いで理子に伝えた。いやな汗が全身から吹き出すようだった。
「なにをバカなことを言ってるの」
理子は本気にしなかった。当然だろう。
マルセルはその場で姿をコウモリに変じるなど、人外であることを可視化した。
呆然としていた理子は、状況がのみこめてきたようだ。
「私のお腹に、吸血鬼の子供がいるというのね」
しばらく黙っていたが、やがて理子はポツリとつぶやいた。
「わたしたちの子供です。わたしが何者であるかは関係ありません」
「それはあなたの言うべき言葉ではないわ」
理子の声は震えていた。芯の強さを表すような瞳は、戸惑いの色で塗りつぶされていた。
「私をだましていたのね」
「違います」
ただ、どうしても言葉にできなかったのだ。理子に嫌われるのが怖かった。
「理子は、わたしが人でなければ愛してくれないのですか」
マルセルはすがるような気持だった。理子の端正な顔が歪んだ。
「少し、考えさせて」
「理子……」
どこかで、すんなり受け入れてもらえるのではないかという甘い期待があった。しかし、現実はそう上手くは運ばなかった。
理子は帰ってしまった。
数日後、理子から店に電話が入った。
自分と生まれてくる子供に関わらないように。父親は死んだことにして、子供は人として育てていく。人あらざるものだと知れば子供が不幸になる。自分や子供を少しでも愛する気持ちがあるのなら、二度と近づかないでほしい。
子育ての援助もすべて断られ、携帯電話もつながらなくなってしまった。
マルセルは絶望した。数日前までは理子と愛し合っていたはずだ。違った選択をしていたら、理子や生まれてくる子供と生活する未来があったかもしれないのに。
マルセルは激しく後悔した。
それからマルセルは、こっそりと母子を見守っていた。生まれてきたのが可愛らしい女の子であることも、その子に理子が毬瑠子と名付けたことも知っていた。父親を恋しがる幼い毬瑠子に、駆けつけて抱きしめたくなるのをなんとか堪えた。
理子が事故で亡くなり、毬瑠子が天涯孤独となってしまったとき、父だと名乗り出るか悩み、結局は理子の意思を尊重した。人の子として生きたほうが、毬瑠子は幸せなのだと。
しかし、二十歳を前に吸血鬼として覚醒した毬瑠子を見て、マルセルは娘の前に姿を現した。毬瑠子に父だと名乗りを上げる口実ができたと喜びながら――。
「これが経緯のすべてです」
マルセルはそう締めくくった。
「あなたにも、つらい思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
毬瑠子はゆっくりと首を横に振った。
確かに幼いころは父親が欲しいと思っていた。しかし理子は毬瑠子によく尽くしてくれたので、淋しい思いをしたことはなかった。
「母に父のことを尋ねると、素敵な人で、今でも大好きだと言っていたんです」
マルセルの瞳が大きく見開かれる。
「まさか……。それはきっと、自分の父親に悪いイメージを持たせないようにするための、理子の優しさだったのでしょう」
「いいえ、子供でもわかります。すごく愛おしそうに言っていたんです。母はマルセルさんのことが好きだったんだと思います」
マルセルは動揺している。
毬瑠子は思い出す。
初めてこの店に来た時に、毬瑠子にはノンアルコールの「偽キール」を作ってまで、マルセルは二人で「キール」で乾杯することに拘っていた。
それには、こんな理由があったのだ。
マルセルは薄く笑みを浮かべながら毬瑠子に視線を送り、話を続ける。
「それから理子は、ここの常連客になりました」
二人が付き合うようになるまでに、それほど時間はかからなかった。
一年半ほど経った頃、理子は新しい命を宿しているとマルセルに告げた。
バーの二階にあるマルセルの部屋で打ち明けられた時、マルセルは喜びと、そして焦燥感が芽生えた。
吸血鬼であることを、また理子に伝えていなかったのだ。
「わたしは、理子に隠していたことがあります」
「やだ、浮気でもしてた?」
理子は苦笑する。
告白が浮気だったなら、理子は水に流していたことだろう。
「わたしは……」
マルセルは言葉に詰まった。今までも何度も打ち明けようとして、こうして言い出せずにきたのだ。
「わたしは人間ではありません」
吸血鬼ですと、やっとの思いで理子に伝えた。いやな汗が全身から吹き出すようだった。
「なにをバカなことを言ってるの」
理子は本気にしなかった。当然だろう。
マルセルはその場で姿をコウモリに変じるなど、人外であることを可視化した。
呆然としていた理子は、状況がのみこめてきたようだ。
「私のお腹に、吸血鬼の子供がいるというのね」
しばらく黙っていたが、やがて理子はポツリとつぶやいた。
「わたしたちの子供です。わたしが何者であるかは関係ありません」
「それはあなたの言うべき言葉ではないわ」
理子の声は震えていた。芯の強さを表すような瞳は、戸惑いの色で塗りつぶされていた。
「私をだましていたのね」
「違います」
ただ、どうしても言葉にできなかったのだ。理子に嫌われるのが怖かった。
「理子は、わたしが人でなければ愛してくれないのですか」
マルセルはすがるような気持だった。理子の端正な顔が歪んだ。
「少し、考えさせて」
「理子……」
どこかで、すんなり受け入れてもらえるのではないかという甘い期待があった。しかし、現実はそう上手くは運ばなかった。
理子は帰ってしまった。
数日後、理子から店に電話が入った。
自分と生まれてくる子供に関わらないように。父親は死んだことにして、子供は人として育てていく。人あらざるものだと知れば子供が不幸になる。自分や子供を少しでも愛する気持ちがあるのなら、二度と近づかないでほしい。
子育ての援助もすべて断られ、携帯電話もつながらなくなってしまった。
マルセルは絶望した。数日前までは理子と愛し合っていたはずだ。違った選択をしていたら、理子や生まれてくる子供と生活する未来があったかもしれないのに。
マルセルは激しく後悔した。
それからマルセルは、こっそりと母子を見守っていた。生まれてきたのが可愛らしい女の子であることも、その子に理子が毬瑠子と名付けたことも知っていた。父親を恋しがる幼い毬瑠子に、駆けつけて抱きしめたくなるのをなんとか堪えた。
理子が事故で亡くなり、毬瑠子が天涯孤独となってしまったとき、父だと名乗り出るか悩み、結局は理子の意思を尊重した。人の子として生きたほうが、毬瑠子は幸せなのだと。
しかし、二十歳を前に吸血鬼として覚醒した毬瑠子を見て、マルセルは娘の前に姿を現した。毬瑠子に父だと名乗りを上げる口実ができたと喜びながら――。
「これが経緯のすべてです」
マルセルはそう締めくくった。
「あなたにも、つらい思いをさせてしまいました。申し訳ありません」
毬瑠子はゆっくりと首を横に振った。
確かに幼いころは父親が欲しいと思っていた。しかし理子は毬瑠子によく尽くしてくれたので、淋しい思いをしたことはなかった。
「母に父のことを尋ねると、素敵な人で、今でも大好きだと言っていたんです」
マルセルの瞳が大きく見開かれる。
「まさか……。それはきっと、自分の父親に悪いイメージを持たせないようにするための、理子の優しさだったのでしょう」
「いいえ、子供でもわかります。すごく愛おしそうに言っていたんです。母はマルセルさんのことが好きだったんだと思います」
マルセルは動揺している。
1
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
これもなにかの縁ですし 〜あやかし縁結びカフェとほっこり焼き物めぐり
枢 呂紅
キャラ文芸
★第5回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★
大学一年生の春。夢の一人暮らしを始めた鈴だが、毎日謎の不幸が続いていた。
悪運を祓うべく通称:縁結び神社にお参りした鈴は、そこで不思議なイケメンに衝撃の一言を放たれてしまう。
「だって君。悪い縁(えにし)に取り憑かれているもの」
彼に連れて行かれたのは、妖怪だけが集うノスタルジックなカフェ、縁結びカフェ。
そこで鈴は、妖狐と陰陽師を先祖に持つという不思議なイケメン店長・狐月により、自分と縁を結んだ『貧乏神』と対峙するけども……?
人とあやかしの世が別れた時代に、ひとと妖怪、そして店主の趣味のほっこり焼き物が交錯する。
これは、偶然に出会い結ばれたひととあやかしを繋ぐ、優しくあたたかな『縁結び』の物語。
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
おっ☆パラ
うらたきよひこ
キャラ文芸
こんなハーレム展開あり? これがおっさんパラダイスか!?
新米サラリーマンの佐藤一真がなぜかおじさんたちにモテまくる。大学教授やガテン系現場監督、エリートコンサル、老舗料理長、はたまた流浪のバーテンダーまで、個性派ぞろい。どこがそんなに“おじさん心”をくすぐるのか? その天賦の“モテ力”をご覧あれ!
真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~
椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」
仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。
料亭『吉浪』に働いて六年。
挫折し、料理を作れなくなってしまった――
結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。
祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて――
初出:2024.5.10~
※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。
薔薇の耽血(バラのたんけつ)
碧野葉菜
キャラ文芸
ある朝、萌木穏花は薔薇を吐いた——。
不治の奇病、“棘病(いばらびょう)”。
その病の進行を食い止める方法は、吸血族に血を吸い取ってもらうこと。
クラスメイトに淡い恋心を抱きながらも、冷徹な吸血族、黒川美汪の言いなりになる日々。
その病を、完治させる手段とは?
(どうして私、こんなことしなきゃ、生きられないの)
狂おしく求める美汪の真意と、棘病と吸血族にまつわる闇の歴史とは…?
天乃ジャック先生は放課後あやかしポリス
純鈍
キャラ文芸
誰かの過去、または未来を見ることが出来る主人公、新海はクラスメイトにいじめられ、家には誰もいない独りぼっちの中学生。ある日、彼は登校中に誰かの未来を見る。その映像は、金髪碧眼の新しい教師が自分のクラスにやってくる、というものだった。実際に学校に行ってみると、本当にその教師がクラスにやってきて、彼は他人の心が見えるとクラス皆の前で言う。その教師の名は天乃ジャック、どうやら、この先生には教師以外の顔があるようで……?
舞いあがる五月 Soaring May
梅室しば
キャラ文芸
【潟杜大学生物科学科二年生。彼女が挑むのは「怪異」と呼ばれる稀有な事象。】
佐倉川利玖は、風光明媚な城下町にある国立潟杜大学に通う理学部生物科学科の2年生。飲み会帰りの夜道で「光る毛玉」のような物体を見つけた彼女は、それに触れようと指を伸ばした次の瞬間、毛玉に襲い掛かられて声が出なくなってしまう。そこに現れたのは工学部三年生の青年・熊野史岐。筆談で状況の説明を求める利玖に、彼は告げる。「それ、喉に憑くやつなんだよね。だから、いわゆる『口移し』でしか──」
※本作はホームページ及び「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」「エブリスタ」にも掲載しています。
雪ごいのトリプレット The Lovers
梅室しば
キャラ文芸
【大晦日の夜の招かれざる客。変幻自在の凶暴な妖から屋敷内の本を守れ。】
鍾乳洞の内部に造られた『書庫』を管理する旧家・佐倉川邸で開かれる年越しの宴に招かれた潟杜大学三年生の熊野史岐と冨田柊牙。彼らをもてなす為に、大晦日の朝から準備に奔走していた長女・佐倉川利玖は、気分転換の為に訪れた『書庫』の中で異様な存在を目撃する。一部の臓器だけが透けて見える、ヒト型をした寒天状のその存在は、利玖に気づいて声を発した。「おおみそかに、ほん──を──いただきに。まいり、ました」
※本作はホームページ及び「pixiv」「カクヨム」「小説家になろう」「エブリスタ」にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる